桃山時代のダヴィンチコード?「北野演能図屏風」(国立能楽堂蔵)を読み解く

慶長年間(1596~1615年)は、関ヶ原の合戦や大坂の陣など、戦国時代から江戸時代へと移っていく時期でした。野外での「能」の様子など、当時の文化や風俗がわかる《北野演能図屏風》が国立能楽堂(東京・千駄ケ谷)で3月26日まで展示されています。

《北野演能図屏風》について話す高尾さん

《北野演能図屏風》は国立能楽堂が近年、新たに収蔵した資料です。当初は桃山時代として購入されましたが、江戸時代とする異論も出ていました。2020年に国立能楽堂が開催した特別展「勧進能」をきっかけとして、国立能楽堂の高尾曜・事業推進課専門員の調査研究で、桃山時代(慶長年間)の作品である可能性が高まりました。

《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

絵は、京都の北野天満宮周辺で行われた野外での能の興行の様子が生き生きと描かれています。

この紋が謎を解くカギに。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

豊臣秀吉が死んだ翌年の慶長4年(1599年)以降に、「聚楽第じゅらくてい」跡で勧進能が開催されたこと自体は別の史料から分かっていました。この屏風に描かれた建物ややぐらの幕紋などから、高尾さんは、聚楽第に勤務した下級武士たちの住居跡地を使って、渋谷大夫しぶやだゆうが、能の演目「船弁慶」を演じた、と推測しています。

《北野演能図屏風》から、当時の文化や風俗の様子を読み取ってみましょう。

1 客席エリアにお茶や酒を出す屋台が出て、観客は飲みながら能を観賞した

舞台に背中を向けて飲食に熱中(?)している観客もチラホラ。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

現代人にとっては、同じ伝統芸能でも、歌舞伎と比べて能・狂言はかしこまった印象がありますが、当時は老若男女がわいわいと集って能を楽しんでいたようです。

2 鏡板の松や梯子がない

橋懸(はしがかり)はあるが鏡板の松の絵や白州梯子はない。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

能舞台というとおなじみの背後の鏡板に描かれた「松」がありません。また正面につけられた梯子(白州梯子しらすはしご、実際に梯子として上り下りには使わない)がなく、観客の子供が舞台に勝手に登ろうとしている描写もあります。

3 VIP席にちゃっかりと

奥の高床式の座敷がVIP席、左側には御簾(みす)が下がり貴人が座っている可能性も。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

舞台の両脇(画面では奥と手前)に、高床式の座敷があります。ここは富裕層や貴人のためのVIP席。ところが床下の空間にはちゃっかりと見物人が何人もいます。江戸時代になるとこうしたVIP席の床下は壁が張られたり、さらに江戸中期以降は2階建てになってしっかり料金を取られたりして、「ただ見」対策が施されたそうです。

4 聚楽じゅらくは聚楽第そのものではなく勤務する人の官舎

能が行われた場所を「北野天満宮周辺」や「聚楽第跡」と書きましたが、聚楽第を北野天満宮の周辺と呼ぶには、距離が離れすぎているのではないかと、京都にお住まいの方や戦国時代の歴史に詳しい方は疑問に思ったかもしれません。

屏風絵の位置関係(国立能楽堂提供)

聚楽第は京における秀吉の城として築かれ、天正14年(1586年)には秀吉が大坂城から移り住みました。その後、秀吉はおいの秀次に、関白の座とともに聚楽第も譲りましたが、秀吉は、文禄4年(1595年)に、秀次を追放・自刃させると、聚楽第と周辺の大名屋敷もすべて破壊しました。

関白と諸大名だけでなく、聚楽第にはたくさんの下級の武士たちも働いていました。彼らの住居は聚楽第内にはなく、少し離れた“官舎” である聚楽第勤番組屋敷から日々通勤していたのです。北野天満宮の南には現在でも、一番町から七番町の地名が残っており、東京でも旧江戸城(皇居)の西側に番町の地名が残っています。つまり番町とは「御番方の町」を意味しています。
聚楽第の取り壊しとともに、これらの組屋敷も更地・農地になったため、聚楽第に通った人たちの住居跡地が「聚楽」と呼ばれるようになったそうです。

5 「紋」から浮かんだ興行主は

当時の能には、現存する流派のほかにも、手猿楽(素人出身の能役者)と呼ばれる能大夫が何人かいました。「聚楽」と呼ばれた地で寛永年間(江戸時代前期)より前に勧進能をしたことがあるのは、渋谷・観世・金春・日吉の4家に限られるそうです。

左側の「有料エリア」を区切る櫓の幕に梅の紋。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

屏風には木戸銭をとる櫓を巡る幕に「丸に白銀梅紋」が描かれています。高尾さんによると、4家のうち観世・金春・日吉の3家は紋が分かっていますが、渋谷家はのちに高村姓に変わるなどして紋の形が不明とのこと。記録に残らない勧進能があったかもしれませんが、現時点では消去法で渋谷大夫による聚楽第破却後最初の勧進能であることが有力視できるそうです。

6 江戸時代には使われない旧式の駕籠かご

記録に残らない別の人物だったとしても、慶長年間ということは確実だそうです。そう言える理由のひとつは、屏風中に描かれている武家の一行の駕籠が、桃山時代の一時期で廃れてしまった旧式の駕籠の構造であることです。

乗り物の上部を棒が貫いている古いタイプの駕籠。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

江戸時代の駕籠は、1本の長い棒に、乗る部分がぶら下がっています。しかし、屏風に描かれている駕籠は、人が乗る部分の上部に穴をあけて棒を通しています。このタイプは、徳川家康が大坂の陣の際に乗った駕籠として日光東照宮に残る駕籠などがありますが、当時の屏風絵でもほとんど描かれていない珍しい古い駕籠だそうです。
この形では乗り心地が悪いため、丸棒から角棒に、さらに棒を外に出して吊下げるように進化していったようです。
ほかにも、登場人物の着物が江戸時代より古い形式であることも見てとれます。

桃山ファッションの人たち。《北野演能図屏風》部分(国立能楽堂提供)

この屏風が展示されている「能面・能装束展」は3月26日(土)まで、入場無料です。高尾さんの論文「北野演能図屏風」は、3月18日に刊行の『國華』1517号に掲載されています。

《北野演能図屏風》(国立能楽堂提供)
《北野演能図屏風》に描かれているものの説明(国立能楽堂提供)
収蔵資料展「能面・能装束展」
会場:国立能楽堂 展示資料室
期間:2022年1月5日(水)~3月26日(土)
時間:午前11時~午後5時
料金:無料
入場制限:32人以内
アクセス JR千駄ケ谷駅徒歩5分、大江戸線国立競技場駅徒歩5分
国立能楽堂収蔵資料の中から、能面と能装束の優品を中心に展示。収蔵後の調査研究により判明した成果も報告。詳しくは同能楽堂ホームページ

(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)

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