【レビュー】ビルの壁に、地下道に、一時代を築いたアートに再び光 「壮観!ナゴヤ・モザイク壁画時代」展 INAXライブミュージアムで3月22日まで

ふだん通る道に接したビルの外壁、あるいは地下道の壁を飾るモザイク壁画をじっくり見たことがありますか――。タイルやガラス、大理石などの小さなパーツが無数に並び、あるものは人間賛歌、あるものは抽象的な世界を描いている。時代の経過とともに、すっかり街の景色に溶け込んだためか、いつのまにかその存在を忘れ、足早に通り過ぎてしまっている。そのモザイク壁画が、ナゴヤ(名古屋市やその近郊)では、再び光彩を放ち始めている。
壮観!ナゴヤ・モザイク壁画時代 |
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会場:INAXライブミュージアム「土・どろんこ館」(愛知県常滑市奥栄町1-130) |
会期:2021年11月6日(土)~2022年3月22日(火) |
休館日:水曜日 |
アクセス:名鉄常滑線「常滑」駅下車、知多バス「知多半田駅行き」で「INAXライブミュージアム前」下車 |
入館料:一般700円、高・大学生500円、小・中学生250円 |
詳しくはINAXライブミュージアムのホームページ (https://livingculture.lixil.com/ilm/) |
始まりは丸栄百貨店

名古屋市のモザイク壁画の始まりは1953年に同市中区に完成、56年に増築された旧丸栄百貨店本館とされる。増築時に8階建ての外壁を埋める巨大な壁画が設置された。壁画の図案も同百貨店を設計した建築家の村野藤吾(1891~1984年)が考えた。

名古屋では丸栄、松坂屋、三越、名鉄のライバル百貨店をローマ字の頭文字をとって「4M」といったが、丸栄は2018年に閉店、ビルは解体された。その一部(縦・横180㌢)がINAXライブミュージアムに寄贈され、現在、同ミュージアムを構成する6つの施設のうち、「テラコッタパーク」に復元、常設展示されている。

「TOMATO」には伊奈製陶(現・LIXIL)のホームタイルが60色、23万個使用されていた。20年のビルの建て替えで、はがした壁画の一部をINAXライブミュージアムが譲り受け、今回、初披露された。

北川民次(1894~1989年)は20歳で渡米して洋画を学び、メキシコで思想を伝える壁画運動を体験。帰国後、戦時中に疎開した愛知県瀬戸市に住み着き、多くの壁画の原画を描き、「モザイク壁画時代」到来に貢献した一人だ。
展覧会の写真でホンモノを見たくなり、足を伸ばしてみた。図書館内にも北川の壁画「勉学」がある。瀬戸市民の自慢のひとつだ。
なぜナゴヤで
1950年代半ばから始まった高度経済成長で大都市ではビルの建設ラッシュとなった。無機質のコンクリートを装飾しようと、村野藤吾のようにモザイク壁画に関心を寄せる建築家が出てきた。
特に名古屋周辺にはタイルを供給する瀬戸や常滑、岐阜県多治見市など焼き物の産地、同県大垣市の大理石など地の利があった。壁画に積極的な北川民次、家業の大理石を駆使できる矢橋六郎(1905~1988年)ら画家の存在という人の利もあった。
さらに東京、大阪ほどビルの新陳代謝が進まず、ビルのモザイク壁画が残ってきたことも大きいという。矢橋の代表作のひとつが、名古屋市中区の中部日本ビルディング(旧中日ビル)だ。

名古屋市中区栄の一角にあった中部日本ビルディングは2019年に閉館となり、24年に新ビルが開業予定。作品の一部は新ビルに移設されることになっている。
これも現場へ出かけ、実物を撮影した1枚で、矢橋六郎が手掛けた愛知県庁西庁舎1階のモザイク壁画。「大樹」「広がる愛知」の2つの名前がある


モザイク壁画案内人

愛知県豊田市の主婦森上千穂さん(53)は街の中のモザイク壁画の存在に気付くとともに、「建物とともに消える」芸術と知り、愛おしさが増した。そこから、現役の壁画の所在地やその歴史を調べ、「モザイク愛好家」を自称するまでに。NPO法人主催の壁画めぐりツアーで案内人を務めるようにもなった。
森上さんの活動で、壁画の価値を再認識したビルのオーナーも多く、ビルは解体しても、何らかの形で壁画は残そうという動きも出てきた。壁画時代を支える一人となった。

(読売新聞中部支社編集センター 千田龍彦)