【開幕レビュー】「赤」をテーマに浮世絵の歴史を観る――「赤-色が語る浮世絵の歴史」展 太田記念美術館で3月27日まで

「赤-色が語る浮世絵の歴史」 |
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会場:太田記念美術館 |
会期:2022年3月4日(金)~3月27日(日) |
休館日:月曜日休館、ただし3月21日は開館し、翌22日が休館 |
アクセス:東京都渋谷区神宮前、JR山手線原宿駅から徒歩5分、東京メトロ千代田線・副都心線明治神宮前駅から徒歩3分 |
入館料:一般800円、高校生・大学生600円、中学生以下無料 |
※最新情報は、公式HP(http://www.ukiyoe-ota-muse.jp/)で確認を |
次に掲げた2枚の絵、もちろん同じ作家の同じ作品である。あれ、どうしてそんな展示をしているの? そう思う方もいるかもしれない。もちろん、それにはちゃんとした意味がある。

色合いが明らかに違うのだ。特に違うのが「赤」系統で、左の方が明らかにくっきりしている。「紅花を原料にした赤の絵の具は、もともとが植物だから色があせやすいんですよ」と言うのは、この展覧会を企画した主席学芸員の日野原健司さん。鳥居清長のこの浮世絵が摺られたのは今から約240年前の1780年だが、「その時点で『赤』がどのような発色だったかは正確には再現できない」のだそうだ。華やかで眼に鮮やかだが、年月による衰えも激しい。保存状態によって、同色が残っているかの差も大きい。浮世絵の「色」といえば、葛飾北斎や歌川広重が多用した鮮やかな青「ベロ藍」が有名だが、こちらは時が経っても退色が少ない。それと好対照な「赤」は何だか儚げで人間的だ。

浮世絵の中の「赤」をテーマにした今回の展覧会。その使い方の変遷は「浮世絵の発展の歴史とリンクしている」と日野原さんはいう。墨一色の「墨摺絵」に筆で「紅」を彩色した「紅絵」、それが18世紀半ばになると、印刷で色を付ける「紅摺絵」がとなる。18世紀の中盤になると多色刷りの技術が発達し、「浮世絵と言えば、これ」といいたくなるような「錦絵」が登場。19世紀の浮世絵最盛期を迎える。どちらかというとこの時代、赤でもあまり派手派手しい使い方は「下品」だといって好まれなかったようだ。日野原さんんによると、「紅花の生産量に限りがあり、赤の絵の具は高価なので、なかなか大量には使えない」という事情もあったようだが。

どちらかというとポイントポイントで効果的に使われていた浮世絵の「赤」。それががらりと変わるのが、幕末である。下の絵は、安政5年に描かれた国貞の「春の遊初音聞ノ図」。「絵の具の供給量が劇的に増える何かがあったのでしょうか。この頃から、『赤』が目立つようになるのです」と日野原さん。「初音」を聞く図なのだから本来は優雅なはずなのだが、なぜかこの絵は毒々しいまでの「赤」に覆われている。

さらに明治期になると、海外から安価な絵の具が輸入されるようになり、一気に「赤」の使用量が増えてくる。豊原国周らの役者絵もそうだし、月岡芳年らが風俗を描いたものもそうだ。下の絵は、明治期の東京・京橋の様子を描いたもの。よく見ると、幕末期の国貞とは「赤」の色合いが違うのも分かる。ただ、日野原さんによると、「『赤』が目立つのは、明治20年ごろまで」で、そこから後は色調も大人しくなってくるという。

つまり、幕末から明治維新直後の動乱期、浮世絵の「赤」が目立ったわけだ。この時期、月岡芳年や落合芳幾らの「無残絵」も大当たりしており、そこには血がだくだくと流れている。動乱の時代、浮世絵は「赤」という色で何かを警告しようとしていたのか、それとも血わき躍り、あらゆる状況で変化が続いた社会状況が、「赤」という色を欲したのか。

ペリー来航以来、政治的な混乱が続いていた安政年間。江戸の人々は「安政の大地震」という大災害に遭遇し、「コレラの大流行」を体験した。「東日本大震災」にショックを受け、「コロナ禍」に遭遇している令和の日本人と通ずるところがあると思うのは、気のせいだろうか。「最近、来館者で、浮世絵の『赤』に反応する方が増えてきているような気がする」と日野原さんはいう。儚く人間的な浮世絵の「赤」。それがなぜ、21世紀の今、求められ初めているのだろうか――。(事業局専門委員 田中聡)