【開幕レビュー】奇妙でかわいい。ミロと日本の関係とは――Bunkamura ザ・ミュージアムで「ミロ展-日本を夢みて」

「ミロ展」の展示風景

「ミロ展-日本を夢みて」
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム(東京都渋谷区道玄坂2-24-1 B1F)
会期:2022年2月11日(金・祝)~4月17日(日)
休館日:2月15日、3月22日
アクセス:JR渋谷駅ハチ公口から徒歩7分、東京メトロ銀座線、京王井の頭線渋谷駅から徒歩7分、東急東横線・田園都市線、東京メトロ半蔵門線・副都心線渋谷駅A2出口から徒歩5分
入館料:一般1800円、高校・大学生1000円、小・中学生700円ほか。
※入館料などの詳細情報はホームページ(https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/22_miro/)で確認を。
問い合わせは、ハローダイヤル(050・5541・8600)へ。

「きみんとこのジニーほど奇々怪々な不協和音は、とても想像できないよ」

アメリカのSF作家、R・A・ラファティの短編小説「日の当たるジニー」=浅倉久志訳、『ラファティ・ベスト・コレクション2 ファニーフィンガーズ』(牧眞司編、ハヤカワ文庫)収録=には、奇妙な女の子が登場する。「世界一の並外れた生き物」で「世界一美しい子供」なのだが、「もし一瞬でも止まったら、彼女はグロテスク」なのだ。「存在と運動はあの子にとっては同じもの」。彼女の父親はジニーについてそう言うのである。

ジュアン・ミロ 《絵画(パイプを吸う男)》 1925年 油彩、キャンバス 富山兼美術館  © Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 E4304

「奇々怪々」で「美しい」。「存在と運動」がシンクロしていて、「一瞬でも止まったらグロテスク」――。Bunkamura ザ・ミュージアムの「ミロ展」で、スペインが生んだ20世紀屈指のアーティストの作品を見て、まず思い出したのが、このアメリカの「奇想の作家」だった。どう見ても常識的ではない形、けれどもなぜか魅力的でバランスが取れている。そんな「人物」たちが跋扈する世界が、どちらも存在しているのである。

ジュアン・ミロ 《ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子》 1945年 油彩、キャンバス 福岡市美術館  © Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 E4304

ラファティが描くジニーは「存在と運動は同じもの」だ。その筆法で行けば、ミロの創り出す「描線」や「フォルム」も「存在」や「運動」とシンクロしている。何げない一本の線が何とも言えない躍動感を感じさせ、ポテッとそこにある形そのものが人間や動物、あるいは植物や鉱物の存在感を際立たせる。素材や色合い、筆遣い……、すべてが「存在」と直結している。

ジュアン・ミロ 《アンリク・クリストフル・リカルの肖像》 1917年 油彩・コラージュ、キャンバス ニューヨーク近代美術館  © The Museum of Modern Art, New York. Florene May Schoenborn Bequest, 1996 / Licensed by Art Resource, NY  © Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 E4304

今回の「ミロ展」の副題は、「日本を夢みて」。ミロは日本が好きで、特に書や陶芸から多くの影響を受けたという。なるほど、展示を見ているとそういうテーマが腑に落ちてくる。日本の「書」は、ただ文字の意味を伝えるだけのものではない。「線」や「フォルム」でひとつの世界を作り上げる。描かれる対象だけでなく、線や形、素材の質感で世界を表現するのが、「和」の美術だったりするのだ。ミロがその世界に共感したのは、すごく当たり前のことのようにも思えてくる。

ジュアン・ミロ 《絵画》 1966年 油彩・アクリル・木炭、キャンバス ピラール&ジュアン・ミロ財団、マジョルカ  Fundació Pilar i Joan Miró a Mallorca Photographic Archive © Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 E4304

ミロの世界は軽妙だ。そこには俳句のような軽みがあり、狂歌のような諧謔精神がある。「生命」や「存在」に対して、基本的な憧憬の心、敬愛の念があるからだろうか。描かれている奇妙なヤツらはみんな、生きていること自体を楽しみ、喜んでいるようだ。われわれの生きている世界は時に深刻であり、悲しみに満ちていることがあるかもしれないが、「生命」自体は美しいモノであり、人間の想いや営みを超えて崇高なものである、と言っているようにも見える。

ジュゼップ・リュレンス・イ・アルティガス、ジュアン・ミロ 《花瓶》 1946年 炻器 個人蔵  © Successió Miró / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2022 E4304

ラファティの短編集『ラファティ・ベスト・コレクション1 町かどの穴』(ハヤカワ文庫)の「あとがき」で編者の牧眞司氏がこんなことを書いている。《ラファティと言えば、アヤシイ世界でしょう。私たちが暮らしている日常の外にアヤシイ世界があるのではなく、現実そのものがアヤシイのである》。ガルシア=マルケスなどの南米の「マジック・リアリズム」の作家とも比較されるラファティの世界。それは、奇妙で不思議で、そしてカワイイ。牧氏の評言は、「ラファティ」を「ミロ」と置き換えても通じるだろう。そう。ミロの創造する世界も、奇妙でカワイイのである。(事業局専門委員 田中聡)

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