「北斎で日本史ーあの人をどう描いたかー」すみだ北斎美術館の後は、吉良邸にも足を延してみては

 

「北斎で日本史ーあの人をどう描いたかー」
会場:すみだ北斎美術館(東京都墨田区亀沢2-7-2)
会期:2021年12月21日(火)~2022年2月27日(日)

前期:1221日(火)~123日(日) 後期:125日(火)~227日(日) ※前後期で一部展示替え

休館日:毎週月曜日、年末年始(12月29日~1月1日)。但し1月3日(月)と1月10日(月・祝)は開館し、1月4日(火)と1月11日(火)は休館。
開館時間:午前9時30分~午後5時30分(入館は午後5時まで)
入場料:一般1000円、高校生・大学生700円、65歳以上700円、中学生300円、障がい者300円、小学生以下無料
詳しくは展覧会公式サイト

日本史の名場面が次々登場

「あれは明智の桔梗紋」「小次郎、敗れたり」「上野介がいたぞ。炭小屋だ」。葛飾北斎とその弟子などの作品を見ながら歴史をたどる「北斎で日本史-あの人をどう描いたか-」(すみだ北斎美術館)は、小説やドラマでおなじみの名シーン、名セリフが次々に蘇ってくる展覧会です。そんな雰囲気を楽しんでもらうため、戦国期以降の主人公、ヒーローを扱った作品をいくつか選んで紹介します。

葛飾北斎『画本武蔵鐙』下 上杉輝虎入道兼信 武田晴信入道信玄 すみだ北斎美術館蔵(通期)

渾身の一振り かわす軍配

最初の作品の舞台は「川中島の戦い」。上杉謙信と武田信玄の一騎討ちが描かれています。

謙信が両手で持った刀を信玄めがけ渾身の力で振り下ろしています。「信玄。覚悟!」。そんな謙信の気迫が伝わってきます。

しかし、信玄は臆しません。左手の軍配で辛くも受け止めていますが、右手は腰に差した刀にあり、反撃に移る構えです。

人馬一体。謙信の手綱と敢闘精神に操られた馬も信玄を睨みつけ、その刀を抜かせまいと、懸命にあごで鞘を押さえにかかっているようにも見えます。

火花散るかのような視線のぶつかりあい。スリリングな画面にしばらく目が離せなくなります。

森高雅『尾張名所図会』前編五 其四 義元最期の図 すみだ北斎美術館蔵(前期)

乾坤一擲 風雨つく奇襲

次は織田信長が今川義元を滅ぼし、その名を天下にとどろかせた「桶狭間の戦い」です。強い雨と風が乱戦ぶりをいっそう際立たせています。

「狙うは義元の首ただ一つ」。信長の下知に奮起した織田勢が遮二無二突撃。よもやの奇襲を食らった今川勢は具足を付ける間もなく、防戦一方です。

すみだ北斎美術館の解説では「陣幕の中で後ろから槍で突かれている人物が今川義元と思われます」。画面中央左に、腰のあたりを槍で突かれ、バランスを崩している武将が義元でしょう。

「海道一の弓取り」の名に恥じず、窮地でも鎧兜は身につけています。でも周りに味方はいません。万事休す。横顔から「無念」の二文字が読み取れます。

二代柳川重信『日本百将伝一夕話』十二 本能寺に明智主に逼る すみだ北斎美術館蔵(通期)

よもやの裏切り 「是非もなし」

その信長が皮肉にも自分が裏切りの奇襲に遭い、滅びます。「本能寺の変」です。

本作では戦国史を大転換させたこの事件を小姓の森蘭丸・坊丸兄弟を中心に描いています。信長は縁側の奥に見えます。

寺を取り囲む旗指物を見た坊丸の「水色桔梗の紋。惟任日向守(明智光秀)」という叫びに応じ、蘭丸が信長のもとに走るところでしょうか。どうやら蘭丸の報告を聞くまでもなく、信長も事態を把握した模様です。

同上(部分)

まだ幼さの残る兄弟ですが、ともに立派な体格、戦意に満ちた表情です。しかし2人は奮戦むなしく横死します。信長も「是非もなし」という有名な言葉を遺し、炎の中へ姿を消します。悲運直前の3人の覚悟が事態の切迫感とともに浮かび上がってきます。

葛飾北斎『絵本和漢誉』 宮本武蔵 佐々木巌流 すみだ北斎美術館蔵(通期)

「小次郎敗れたり」

宮本武蔵と巌流・佐々木小次郎の「巌流島の決闘」です。小説やドラマの武蔵は舟の櫓を削った木刀1本で勝負に臨みますが、本作では木刀2本で試合に臨んでいます。

勝負は一瞬にして決まります。武蔵が小次郎の刀を左の木刀で防ぎながら、右の木刀で相手の額を今まさに割らんとしています。見事なカウンター攻撃。小次郎も「しまった」と思ったのでしょう。左の五本の指が虚しく広がっています。

どうも小次郎は鞘を腰に差していません。きっとこの絵の中でも、武蔵は「小次郎、敗れたり。勝つ者がなぜ鞘を捨てる」の文句で小次郎の動揺を誘い、勝利したのでしょう。

葛飾北斎「忠臣蔵討入」 すみだ北斎美術館蔵(前期)

赤穂は躍動 吉良は遁走

最後は「忠臣蔵」の討ち入りです。広い画面(本所松坂町の吉良邸)のあちらこちらで赤穂浪士が躍動しています。振り下ろす刀、突く槍、引く弓のどれにも力がこもり、統制も取れている印象です。

それに比べ、吉良方の不甲斐なさといったら。寝込みを襲われたとはいえ、多くは武器も取らず、裸同然のかっこうで逃げ出しています。

同上(部分)

面白いことに、大混乱の中でも吉良の女性陣は落ち着いています。慌てて逃げようとする者はいません。槍を手に警戒の目を走らせています。

「小林平八郎は曽祖父」

芝居やドラマでは吉良方の剣客・小林平八郎が有名です。赤穂方を散々てこずらせた末に討ち死にします。

小林平八郎について、北斎は「私の曽祖父」と語っていたそうです。もしそうなら、この絵の中に小林平八郎らしき人物がいてもおかしくないと思うのですが――。

窮地の上野介 最後に抵抗か

さて四十七士が目指す吉良上野介はどこでしょう。画面左下、隠れていた炭小屋で見つかりました。浪士に左腕と背中を固められながら、表に引きずり出されています。

同上(部分)

上野介が両手で炭俵をぐいとつかみ、持ち上げんとしているのは、最後の抵抗を試みるつもりなのでしょうか。無念さ、あるいは恐怖心からでしょうか。

一人の浪士が「最期は武士らしくふるまえ」と言わんばかりに、その炭俵を槍で貫きました。上野介発見を知らせる笛も邸内に響いていることでしょう。上野介ももう観念するしかありません。

ところで上野介の顔や手足が黒くなっています。炭俵の中に潜んでいたことを示す、北斎一流の細密描写かと想像しましたが、同館によると、「確かなことはわかりませんが、使用された顔料の経年変化の可能性もあります」とのことです。

吉良邸跡外観

壁や門を復元 公園に

討ち入りの舞台となった吉良邸跡(墨田区両国3)は同館から歩いていけるところにあります。取材の帰りに立ち寄ってみると、高家の格式を示す「なまこ壁」や黒塗りの門など屋敷の一部が復元され、「本所松坂町公園」として保存されていました。

吉良上野介義央公像

領地では善政の名君

中に入ると、正面奥に上野介の座像が安置されていました。「忠臣蔵」ではもっぱら敵役を背負わされましたが、領地だった愛知・吉良町では新田開発や塩業発展に尽くすなど、善政を敷いた名君と伝わっています。

吉良方で落命した二十士の碑文

吉良方で落命した二十士の碑文もありました。討ち入りの際の奮戦の功からでしょうか。筆頭は小林平八郎でした。(ライター・遠藤雅也)

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