【レビュー】地味だけど凄い ミュージアム開館10周年記念「東洋文庫名品展 『東洋学』の世界へようこそ」 東洋文庫ミュージアム(東京・駒込)で開催中

日本で初めて翻訳された西洋解剖学の医学書『解体新書』  杉田玄白ほか訳  1774年頃刊

東洋学の研究図書館で100万冊の蔵書を持つ東洋文庫が、所蔵する名品を公開する展覧会が東洋文庫ミュージアムで開かれている。「教科書で見た」「聞いたことがある」という歴史を彩るものばかりで、世界中にこの一冊しかないというものも。地域や研究分野ごとの6つのコーナーに分かれて、約60件が展示されている。「展示を見て関心を持ち、知識の幅を広げ、さらに深く探求するきっかけにしてもらえれば」と学芸課長の岡崎礼奈さんは語る。

ミュージアム開館10周年記念「東洋文庫名品展 『東洋学』の世界へようこそ」
会 場 :東洋文庫ミュージアム(東京・駒込) 
会  期:106()2022116()
開館時間:午前10時~午後5時 (入館は4時30分まで) 
休館日 :火曜日(火曜日が祝日の場合は翌平日)1228日~14
入館料 :一般900円ほか 
JR山手線、東京メトロ南北線・駒込駅徒歩8
都営地下鉄三田線・千石駅より徒歩7
詳しくは同ミュージアムホームページ

東洋文庫はアジア全域を対象とする学問「東洋学」の研究所として、1924年に三菱第3代当主岩崎久彌によって設立された。東洋学分野では日本最古・最大の研究図書館。研究、出版、学術交流、講演などの活動を続けており、ミュージアムは2011年に開館した。蔵書類は研究の資料として閲覧も可能。小岩井農場がプロデュースするレストランも。

モリソン書庫。オーストラリア人ジャーナリストG.E.モリソンが収集した2万4000冊の書籍。モリソンは戦前、北京に駐在し、中華民国総統府顧問を務めた。

東アジア(中国・朝鮮)

漢字資料だけでなく東アジアの考古調査資料、清朝時代の満州語・モンゴル語資料などの画像資料、非漢字資料も豊富なのが東洋文庫の特徴。今回の展示も甲骨文字や北朝鮮にある遺跡を調査した「楽浪漢墓の調査記録(梅原考古資料)」、聖徳太子が派遣した遣隋使の記録が載った「隋書」、明第3代皇帝の永楽帝の命でまとめられた中国最大級の百科事典「永楽大典」、満州語の国語辞書「御製清文鑑(満蒙文)」、戦前の中国で日本人経営者が出していた中国語新聞「順天時報」などなど。東洋の歴史に関心のある人にとっては、その場を離れられなくなってしまうような資料ばかりだ。

(左)『甲骨卜辞片』 前14-前11世紀頃 殷墟(河南省安陽市)出土
(右)『嶧山刻石残字』 李斯筆か 原碑:前219年  993年摸刻

中国古代王朝「いん(17~前11世紀)時代に、占いに用いられた獣骨や亀の甲羅に刻まれた占いの内容と結果を示す「甲骨文字」。漢字の最も古い形態だとされる。展示品は縦横10センチほどの小さな破片だが、3000年以上も前に刻まれた字がはっきり見える。『嶧山刻石残字えきざんこくせきざんじ』は始皇帝が建てた刻石の拓本。書は秦が統一した小篆しょうてんという書体で、秦の宰相・李斯りしの筆と伝えられる。中国を統一した秦は度量衡や文字も統一した。その文字と秦滅亡時の宰相・李斯の名は歴史のドラマを思い浮かばせてくれる。

『歴代地理指掌図』  1162年(南宋)刊

世界中で現存するのはこれだけという「超」のつく稀覯本。伝説の三皇五帝から宋代(960-1279)までの地理沿革を図解した44図と総論が収録されている。宋版の『歴代地理指掌図』は5、6種類あったとされるが、現存するのはこの東洋文庫所蔵本だけ。

(左)『東方見聞録』 マルコ・ポーロ口述  ルスティケッロ著  1671年刊
(右)『大旅行記』 イブン・バットゥータ 1355年成立(1840-55年、リスボン刊)

有名な『東方見聞録』。子供の頃に簡略版を読んだ人もいるだろう。図版はマルコがモンゴル帝国の皇帝フビライに謁見する様子を描いているのではないかという。『大旅行記』も知る人ぞ知る名著。14世紀の旅行家のイブン・バットゥータはメッカ巡礼のため故郷のモロッコを出発、30年に及ぶ旅でエジプト、トルコ、イラン、アラビア半島、インド、インドネシア、中国などイスラーム教徒が住む地のほとんどを訪れたという。大冒険記の2冊。子供の頃の夢を思い出す。

『アヘン戦争図』ダンカン 1843年

イギリス軍艦と清の船団が戦う図。東洋文庫ではカラー版とモノクロ版の2種類を所蔵していたが、今回この絵が加わったという。教科書で見た絵はこれだったかな?

岩崎文庫―日本の学術・文化の足跡をたどる

東洋文庫創設者の岩崎久彌が個人的な楽しみとして集めた日本、中国のものを中心とする古典籍コレクション。日本の漢字文化の発展、印刷・出版の歴史を語る文献で充溢している。今回は国宝の『文選集注もんぜんしっちゅう』や国指定重要文化財の『楽善録らくぜんろく』、歌川広重が晩年に全国の名所を描いた『山海見立相撲』などが展示されている。

国宝『文選集注』 10-12世紀(平安時代) 書写 5巻7軸

『文選』は6世紀前半の南北朝時代の、中国南朝の「梁」の皇太子・簫統しょうとうが編纂した詩文集。日本に伝来したのは7世紀(飛鳥時代)頃と考えられ、長く知識人の教養書とされた。「集注」は代表的な注釈を集めて再編集したもので、平安時代に日本で書写された。『文選集注』は全120巻あったとされるが、現存するのは24巻のみ。このうち東洋文庫は7軸を所蔵している。

宋代の印刷物は日本の木版印刷に大きな影響を与えたが、中国では王朝が代わる際の戦乱で多くの印刷物が失われた。本家の中国では残っていない印刷物が、それを“輸入”した日本に残っているという例がいくつもある。先に触れた『楽善録』も、京都の東福寺を開いた僧聖一国師円爾弁円しょういちこくしえんにべんえん(1202-80)が中国から請来した仏教説話集の一つで、世界で唯一残っているもの。歴史の不思議を思ってしまう。

内陸アジア

東はモンゴル高原、西はカスピ海、北はシベリア森林地帯、南はヒンドゥークシュ山脈、ヒマラヤ山脈に至るユーラシアの広大な内陸部にあたり、東洋文庫では中央アジアとチベットの2つの研究班を置いて研究に取り組んでいる。

『唐人雑鈔(敦煌文書)』 9世紀末頃(唐時代) 書写

中国・敦煌の仏教遺跡「莫高窟」で発見された敦煌文書の一つ。『荘子』や『孟子』などの中国の古典から文章を抜き書きしたもので、現在伝わっている書物には出てこない文が多く見られるという。敦煌文書というとスタイン、ペリオ、ヘディンなど多くの探検家の名前が出てくる。日本の大谷探検隊請来の資料も中国の旅順博物館や韓国の博物館、日本国内各所に分散されているが、研究が進んでいるとは言えない。この文書の研究成果も期待したい。

『写本チベット大蔵経』 チベット語 書写年不詳(1926年奥書)

8世紀後半に仏教が国教となったチベットで、サンスクリット語を主とした仏典をチベット語に訳し集成、編纂したものを「チベット大蔵経」という。これは1915年にダライ・ラマ13(1876-1933)から僧であり仏教学者・探検家の川口慧海えかいに下賜されたものだという。鎖国状態にあったチベットに入って学んだ慧海の話は有名だが、持ち帰ったものがここにあるとは。縦20センチ、幅50センチほどのものだが、保存状態はいいようだ。

『死者の書』 書写年不詳 チベット

死を迎える人の枕元で、死後に見る光景や対処法を説き聞かせるチベット仏教の経典。1927年に英訳され、多くの西欧人の死生観に影響を与えたという。日本でも以前、ブームになったことがあり何種類もの本が出版され、テレビの番組になったこともある。実物は5センチ×20センチほどの小さな本だが、文字は金銀粉を解いた顔料が使われている。

東南アジア

大航海時代を経てヨーロッパ諸国のアジア貿易が盛んになった時期の資料。ジャワでの交易の様子を描いた絵図やイエズス会士の書簡集などが並ぶ。

西アジア

アフガニスタンから西のアジア、北アフリカを含む中東とも呼ばれる地域。天地創造から作者の同時代(1231)までを扱ったイスラーム世界通史とされる「完史」や、羊皮紙に書かれた重要な取引の契約文書、日本語で初めて書かれた預言者ムハンマド伝など。

『ヴェラム製アラビア語契約文書』 1712-1823年  フェス(モロッコ)

子牛や子羊の皮から作った上質紙「ヴェラム」に、不動産の売買や相続についてアラビア文字で記した契約書。このころ、モロッコでも紙が普及していたが、重要な事柄については長期保存に耐えられるヴェラムが使われたという。羊皮紙というと厚いイメージがあったが、このヴェラムは比較的薄いようだ。

名品の「紙」を見る―新たな「資料学」への取り組み

近年デジタル技術の進歩により、紙質の非破壊調査を行って書物を構成する「紙」の種類や作られた地域を分析、書物が制作された時代や誰のために作られたかを推定できるようになって来た。

デジタルカメラで見ると、『解体新書』の紙はミツマタを原料とする和紙が使われていることが分かった。ミツマタは高級な紙用で、現在でも紙幣に使われている。ミツマタを使った本は主に上方で刊行されていたが、江戸で刊行された『解体新書』に使われていたことは、この書物の意義の大きさがうかがわせる。

『ターヘル・アナトミア』 ヨハン・アダム・クルムス  1734年 アムステルダム刊

『解体新書』の原典にあたる書物。ドイツ人医師クルムスによって書かれた『解剖図表』(1722年)というドイツ語の本が元になっており、日本に持ち込まれたのは同書のオランダ語版。デジタルカメラで観察したところ、紙に糸くずの痕跡が見つかり、純粋なヨーロッパの紙だと分かった。当時のヨーロッパ製印刷用紙はぼろ布を原料としていたのだという。

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

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