【開幕レビュー】「あなたの隣の」異世界を――深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢。」 上野の森美術館

深堀隆介展「金魚鉢、地球鉢。」
会場:上野の森美術館
会期:2021年12月2日(木)~2022年1月31日(月)
休館日:12月31日、1月1日
アクセス:東京都台東区上野公園、JR上野駅公園口から徒歩約3分、東京メトロ(日比谷線、銀座線)、京成電鉄上野駅から徒歩5分。
※チケットなどの最新情報は公式hp(https://www.kingyobachi-tokyo.jp/)で確認を。

目に見えているものだけが現実なのか――。
現代科学では知りえない、われわれとは違うルールの世界は存在するのか――。

古今東西、美術、文学、映像芸術にいたるまで、「異世界」は永遠のテーマだ。いつもと変わらぬ平凡な生活。だけど、一皮めくれば人智の及ばぬ不可思議な世界がそこにある。それを日常として感じる感覚は、実は日本の文化には古くから根付いていたように思える。平安のいにしえの『源氏物語』から現代のマンガ『百鬼夜行抄』(今市子)に至るまで、現世と異界を隔てる膜は本当に薄くてはかない、普段はそんな膜があるのを気付かないが突然にその膜がはじけてしまう時がある。そんな感覚がDNAの中に刷り込まれているような気がするのである。

「金魚酒 命名 出雲なん」 2019年

深堀隆介氏の作品は、そういう「日本的な異世界」を強く意識させるものだ。何層にも重ねられたエポキシ樹脂の中にアクリル絵具で描き込まれた金魚たち。彼らとわれわれは、透明な膜で隔てられ、違う世界に生きている。金魚たちがリアルで日常的な姿を見せれば見せるほど、「わずかな膜」が強調され、存在の曖昧さ、日常のはかなさが浮かび上がってくる。

「丹塗り椀 更紗」 2011年

今回の「金魚鉢、地球鉢。」は、そういう深堀氏の作品をまず時系列で並べることによって、その世界観がいかに深化していったかを見せる。さらにサイズの大きなパネルや布に描かれた絵を見せることで、実は「異世界」の実体は「膜」にあるのではなく、「金魚」という存在にあるのだということを示してみせる。

「金魚之間」 2005年

ゆらゆらと画面の中を漂っている金魚は、無表情の表情を浮かべている。分かりやすく言えば「何を考えているのか分からない」。「異世界」に住まうモノども、あるいは「異世界」そのものは、私たちが住んでいる日常と余り変わらないようにみえるのだが、そこで動いている論理も、あるいはモノどもの行動規範も「こちらの世界」とはまったく違うのである。金魚というモチーフが身近でとても分かりやすいだけに、そういう感覚がとても自然に心に収まってくる。樹脂の「膜」に包まれた金魚を見た後ならば、なおさらだ。

「ララ金魚」 2020年

そういう意味では、深堀氏の歩みを分かりやすく説明し、さらにその世界を無理なく見せる構成だ。ただ、この展覧会はそこにとどまらない。中盤に置かれた《ララ金魚》と最新作のインスタレーション《僕の金魚園》で、深堀氏の新たな「顔」を見せてくれる。そこで描かれている金魚は、極端にデフォルメされ、アニメキャラクターのようにかわいい。「膜」の向こうにある「異界」はカラフルに異化されて、はっきりと「あなたの世界と私の世界はまったく違うものなのよ」と言っているようなのだ。

「僕の金魚園」 2021 インスタレーション ©︎Toshiyuki Okabe

「あちら」と「こちら」はしょせん違うモノなのか。「膜」は例え薄くて不定形でも破れないモノなのか。「新しい深堀金魚」を見ていると、さらに不思議な感覚が襲ってくる。ひょっとすると「あちら」の論理の方が楽しく正しく、「こちら」の方がまやかしではないのだろうか、と。金魚の棲む古桶がリアルで存在感があるだけに、ポップな記号的描写の中から、「こちら」と「あちら」の価値の逆転、意味の錯綜が生み出されてくる。

現実と異界、その狭間をたゆたう金魚。その曖昧さを追い求めるのか、新たな意味を求めるのか。今後の深堀氏はどこに行くのか。「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」。江戸川乱歩の言葉である。

(事業局専門委員 田中聡)

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