【開幕レビュー】「上野リチ」激動の時代にウィーンと京都で活躍した女性デザイナーの生涯をたどる 京都国立近代美術館で来年1月16日まで

【左】「ポートレート:上野リチ・リックス」1930年代、京都国立近代美術館蔵【右】上野リチ・リックス《ウィーン工房壁紙:そらまめ》1928年、京都国立近代美術館蔵

女性デザイナー上野リチ・リックス(以下、リチ)の世界初の包括的な回顧展「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」が11月16日から2022年1月16日まで京都国立近代美術館で開催されています。
リチは、1893年生まれの「ウィーン」人デザイナー。日本人の建築家・上野伊三郎と結婚し京都に移住してからも、定期的にウィーンを訪れ、ウィーンと京都の2拠点で活躍しました。
第2次世界大戦以前に活躍した女性デザイナーの回顧展は、世界で見ても、開催された例がほとんどありません。当時、女性デザイナーが生涯にわたって活躍し続けることは、容易ではなかったのです。そんな時代に、リチは一貫してデザインに携わり続けてきました。本展では、バイタリティあふれるリチの人生を約370件の作品や資料とともにたどります。
本展は2022年2月18日(金)から三菱一号館美術館(東京)に巡回します。

独自のデザインが花開いたウィーン時代


リチは1893年、当時オーストリア=ハンガリー帝国の首都であったウィーンで生まれました。
美術や工芸に関心を抱いたリチは、1912年、ウィーン工芸学校へ入学。芸術家を養成する公的機関が女性の入学を認めなかった一方で、珍しく女性に門戸を開いていたのが工芸学校でした。
リチは工芸学校で、テキスタイルや七宝、彫刻を学びました。ここで、建築家ヨーゼフ・ホフマンのクラスを受講したことが、リチの人生に大きな影響を与えます。

ホフマンは、自身が設立した「ウィーン工房」に、優秀な教え子をデザイナーとして招き入れました。そのデザイナーのひとりが、リチです。1917年、リチは工芸学校を卒業すると同時に、ウィーン工房のデザイナーとなりました。

リチの初期の作品が並ぶ第1章

「第1章:ウィーン時代ーファンタジーの誕生」では、ウィーン工房でリチが手がけたテキスタイルやファッション、ハンドバッグなどを見ることができます。

ホフマンが手がけた花器も並ぶ

また、ホフマンら上司や、同僚の作品も展示。リチがどのようなデザインに触れてきたかがわかります。リチの初期の作品には、幾何学模様やシンプルな色調など、ホフマンらの影響が見られます。

リチの初期の作品

そんなリチのデザインは、次第に変貌していきました。のびのびとした描線で描かれた、花や鳥。ハッと目をひく色の組み合わせ。展示室を歩むごとに、リチ独自のデザインの世界が色濃くなっていきます。

上野伊三郎との出会い 京都とウィーンで活躍

1924年、リチは日本人の建築家・上野伊三郎と出会いました。リチと伊三郎は、出会ってから1年も経たずして結婚。リチは伊三郎の故郷である京都へ移住することになります。

伊三郎と出会ったあとの作品が並ぶ第2章

伊三郎とリチは京都で上野建築事務所を開設し、個人住宅や商業店舗の設計、内装、デザインを手がけました。
リチは、同時並行でウィーン工房での活動も続けました。京都とウィーンを約一年ごとに往復し、退職する1930年までの4年間、第一線のデザイナーとして活躍したのです。

「第2章:日本との出会いー新たな人生、新たなファンタジー」では、京都移住後のリチがウィーン工房でデザインしたテキスタイルを展示。

京都とウィーンを往復した4年間で、リチ独自のスタイルは一層磨かれていきました。
リチのデザインの特徴は、花や鳥などのモチーフがデフォルメされていること。リチは、モチーフを見たままにとらえるのではく、自分の中で解釈し、色や線、形などを再構成したうえで表現しました。また、絶妙な色彩のコントラストも、リチのデザインの魅力と言えます。

活動の軸を京都へ移す

ナチス・ドイツの台頭によって、ユダヤ系のリチがウィーンを訪れることは、叶わなくなっていきました。1935年以降、リチの活動の拠点は京都に移ります。

第2章の後半では、リチが京都で手がけた数々のデザインを見ることができます。

《イースター用砂糖菓子のデザイン:家鴨》 1925-35年頃 京都国立近代美術館蔵
《プリント服地デザイン:ボンボン(1)(2)(3)》 1925-35年頃 京都国立近代美術館蔵
【左】上野リチ・リックス《花鳥図屏風》1935年頃 京都国立近代美術館蔵 【右】上野リチ・リックス(七宝)/ヨーゼフ・ホフマン(形)《七宝飾り手箱》 1929年 ウィーンMAK― オーストリア応用芸術博物館蔵

なかでも、1935年にリチが描いた「花鳥図屏風」は見逃せません。樹木や鳥が、リチ独特の表現で、屏風の中に息づいています。ウィーンで育んだ感性が、伝統的な日本の様式に落とし込まれていることがわかります。
よく見ると、一部の鳥は、ウィーン工房で制作した七宝飾り手箱の鳥と同じ! ぜひ会場で、見比べてみてください。

第2次世界大戦の最中に手がけた輸出向けデザイン

1935年から1944年まで、リチは京都市染織試験場の技術嘱託として、日本占領下の外地へ輸出される製品のデザインを手がけました。

「第3章:京都時代ーファンタジーの再生」では、服地や手袋、ハンドバッグなどのデザインを展示。どのデザインも楽しげで、見ているとウキウキとした気分になります。戦争一色に染まっていく日本で生み出されたとは思えません。どんな環境でもデザインに情熱を注ぎ続けてきた、リチの人柄を垣間見ることができます。

【左】上野リチ・リックス(案)/村田春緑(刺繍)《刺繍飾額 二羽の鳥1》 1939/40年頃 【右】《刺繍飾額 二羽の鳥2》  1936年。いずれも京都市産業技術研究所蔵

終戦後、デザイナーから教育者へ

第3章:京都時代ーファンタジーの再生の会場風景

終戦後、人々の洋装化が進み、新たなデザインを開拓する必要に迫られた染織業界や伝統産業は、リチのデザインを頼りました。リチは、京都の繊維会社や七宝製作所などから依頼を受け、様々なデザインを提供しました。

【上中央】《七宝飾箱:馬のサーカスⅠ》 1950年頃[再製作:1987年]【上奥】《七宝飾箱:馬のサーカスⅡ(1)》 1950年頃【下】《マッチ箱カバー 左から[淑女Ⅱ][淑女Ⅰ][紳士][マッチ棒]》 1950年頃。いずれも京都国立近代美術館蔵

またリチは、京都市立美術大学(現在の京都市立芸術大学)の図案専攻講師として、次世代のデザイナーの育成に熱心に取り組みました。

上野リチ・リックス《日生劇場旧レストラン「アクトレス」壁画(部分)》1963年、京都市立芸術大学芸術資料館蔵

リチの晩年の代表作が、4人の教え子と共に制作した、日生劇場(東京日比谷)の旧レストラン「アクトレス」の壁画です。リチはデザイン画こそ描いたものの、壁画自体の制作は教え子たちに委ねたそうです。草花や鳥が舞うような幻想的な壁画から、彼女の創作意欲が次世代に受け継がれていったことが感じられました。

ついつい欲しくなる!展覧会グッズも充実


七宝飾箱やマッチ箱を再現した紙箱、リチのデザインがプリントされたポーチなど、グッズコーナーも充実。見ていると、ついつい欲しくなってしまいます。お気に入りのデザインのグッズがあるか、ぜひチェックしてみてください。
(ライター・三間有紗)

上野リチ:ウィーンから来たデザイン・ファンタジー
会場:京都国立近代美術館(京都市左京区岡崎円勝寺町26-1、バスで「岡崎公園 美術館・平安神宮前」下車すぐ)
会期:2021年11月16日(火)~2022年1月16日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時、金曜日、土曜日は午後8時まで開館*入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日及び12月28日(火)~1月3日(月)*ただし1月10日(月・祝)は開館
観覧料:一般1,700円 大学生1,100円 高校生600円 中学生以下無料
詳しくは同館公式サイトへ https://www.momak.go.jp
巡回:三菱一号館美術館 2022年2月18日~5月15日(予定)

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