“浮世絵美術館”の「これまで」と「これから」――太田記念美術館の日野原健司・主席学芸員に聞く(その3)評価軸の変化

第3回 浮世絵の現在地
「日本発のアート」として世界的に認知度の高い浮世絵。21世紀も20年以上がたった今、その見られ方は以前と比べて変わっているのだろうか。連続インタビューの最終回、太田記念美術館の日野原健司・主席学芸員に、その「現在地」について話してもらった。(聞き手は事業局専門委員・田中聡)
――浮世絵と言えば、これまでは歌川広重、葛飾北斎、東洲斎写楽、喜多川歌麿といった絵師が有名で人気も高かった印象があります。江戸時代中期、文化文政期あたりまでの作品の評価が高く、幕末から明治にかけての作品は「それらに比べるとちょっと」みたいな感じがあったと思うのですが、21世紀に入ってそういう評価も少しずつ変わって来ているような気がします。浮世絵の専門家としては、いかが感じていらっしゃいますか。

日野原 一番大きな変化は、歌川国芳の再評価ですかね。2011年の大規模な展覧会以降、しばしば展覧会が開催され、それによって一般的な認知度も急激に高まりました。1990年代後半あたりから、日本美術の評価軸が変わって来始めて、それとつながっているような感じがします。
――「90年代後半の評価軸の変化」ですか。もう少し詳しく説明していただけますか。

日野原 例えば、伊藤若冲の再評価が分かりやすいですね。それまでも「面白い絵」を描く作家として専門家には知られてはいましたが、2000年の京都国立博物館、2006年の東京国立博物館での展覧会から爆発的に人気が出て、今では北斎などと並ぶ人気作家になっています。曽我簫白や長沢芦雪なども含め、かつて(東大名誉教授で美術史家の)辻惟雄先生が著書『奇想の系譜』で取り上げていたような、インパクトのある表現をする作家が再評価されるようになってきました。
――それはなぜなんでしょうか。
日野原 ちょうどこのころ、日本では、アートに対する見方の転換があったと思うんですよ。現代アートが難しくなりすぎて、一般の美術好きにとって「何がいいアートなのか」「何が『売れる』作品なのか」の基準が直感的に分からなくなってきた。さらにいえば、近現代の日本のアートシーンは、欧米の評価方法を学ぶ・追随することで発展してきたわけですが、欧米の価値基準が絶対ではないという感覚も強くなってきた。その2つがあわさって、日本美術史のこれまでの評価軸にとらわれることなく、日本美術の面白さを素直に楽しもうという動きが出てきたと思うんです。
――なるほど。西洋美術の評価軸は「ハイカルチャー」からの視点が中心だったわけですが、「それだけでいいのだろうか」という考え方が出てきた、ということですね。
日野原 そういう言い方もできるかもしれませんね。
「ハイカルチャー」に対応するものは「ポップカルチャー」ですが、現代アートの世界でも、村上隆さんとか奈良美智さんとか、「ハイカルチャー」の立場から「ポップカルチャー」の表現を取り込もうという動きも強まりましたよね。一方、伝統的な日本美術の方でも、江戸絵画よりも早く、いとうせいこうさん、みうらじゅんさんの『見仏記』から加速した「仏像ブーム」に代表されるような、「もっとカジュアルに日本美術を楽しもう」という流れも出ていました。
――つまり、歴史的な背景・知識の有無はともかくとして、作品そのものの面白さやインパクトの強さを楽しもうということですね。「ハイカルチャー」的な鑑賞法からより「ポップカルチャー」的な楽しみ方でアート全体が見られるようになってきた。
日野原 そういう視点の転換で、言葉は悪いですが、それまでやや「キワモノ」的な扱いをされてきた国芳が浮世絵の世界でも再評価されるようになってきた、と思うんですよ。国芳の作品はカッコいい、楽しい、笑えるという感覚を直観することができますからね。月岡芳年とか河鍋暁斎とかそうでしょう。妖怪ブームなど、おどろおどろしいものが好まれる「世紀末感覚」も後押ししたかと思います。ここ最近では、小林清親ら明治の浮世絵師や川瀬巴水ら「新版画」の作家たちの人気が上がって来ていますが、それも「ポップカルチャー」的な楽しみ方が浸透してきたからではないか、と思っています。

――まあ、考えてみれば、いずれも同時代的には人気があって、技術的にも高く評価されていた人たちばかりですね。1990年代半ばといえば、太平洋戦争が終わって半世紀。敗戦後は欧米文化に対する憧れや劣等感が長らくあったと思うのですが、時が経ってそれが払拭されてきた時代とも言えそうです。文化全般で。美術もその例外ではないということなのでしょうか。現在はどのような絵師が注目されているのでしょう。

日野原 今、展示をしている河鍋暁斎は、明らかに人気が上昇したと思います。暁斎は狩野派を学んでいる絵師なので、浮世絵と本画、つまり「ポップカルチャー」と「ハイカルチャー」の双方の文脈で評価できる面白い人物です。かつては「浮世絵師」の顔、今は「狩野派絵師」の顔に焦点が向いている感じですが、将来的にはどちらの顔がより重視されるのか。これからの評価軸がどうなるかが楽しみな絵師です。
――その他は、どんな絵師の人気が上がっていますか。

日野原 10年ほど前からですが、葛飾北斎の娘の応為も人気が急上昇しています。北斎という巨匠の影に隠れた天才の女流絵師という存在が注目されているポイントですね。メインどころだけではなく、サブキャラ的な人たちにも注目が集まっていくのも今後の傾向のひとつかもしれません。浮世絵自体は江戸・明治を通じて、庶民の娯楽品として制作されたものですから、時代が変わっても、日本人に好まれる特質をどこかしら持っていることは間違いありません。浮世絵を評価する視点の変化は今後もあるでしょうが、日本人が日本人である限り、その時代に合った浮世絵の面白さは何かしら浮かび上がってくると思います。
――長い時間、ありがとうございました。
(おわり)

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