名古屋城内に「西の丸御蔵城宝館」が開館 特別展「名古屋城誕生!」では重文の障壁画や初公開の史料を展示

特別史跡・名古屋城内に、西の丸御蔵城宝館が11月1日にオープンしました。重要文化財の障壁画などを保存、公開するための新しい施設です。「おくら」「じょうほう」と読みます。
開館記念特別展「名古屋城誕生!」(11月1日~12月19日)を取材しました。展示の規模は小さいけれども中身の濃い展示でした。

 

重要文化財の障壁画などを保存・公開

名古屋城の天守や本丸御殿は空襲で焼けてしまいましたが、実は名古屋城は城郭として国宝第1号。
本丸御殿の障子や天井を彩った豪華な障壁画(重要文化財)は避難しており無事でした。
メインの展示はこの障壁画です。

重要文化財「本丸御殿障壁画 松楓禽鳥図 表書院二之間西側襖絵」(江戸時代・慶長19年(1614)、名古屋城総合事務所)と特別展を担当した木村慎平・名古屋城調査研究センター学芸員

初公開の築城にまつわる史料

名古屋城築城にまつわる展示品には、初公開のものがあります。
「名古屋城石垣絵図」(慶長15年(1610)、靖国神社遊就館蔵)は後年の写しはありましたが、現物は令和元年(2019年)に初めて紹介されたばかり。お城ファンは必見!
今は堀で囲まれてる天守台の角が地続きになっています。
1609年に徳川家康が設計(縄張り)をした当初プランであるなど、諸説ある名古屋城の謎の一つです。想像がふくらみます。

廃藩置県後に愛知県、次いで名古屋鎮台、明治21年に靖国神社に寄贈された「名古屋城石垣絵図」(慶長15年(1610)、靖国神社遊就館蔵)
石垣の茶色や堀の水色などの部分が、後世の写しと違って、台紙と別の色紙を貼ることで表現しているので、現物を見ると立体的に見える
名古屋城天守台。今は堀が巡っている

消された大スキャンダル

こちらの初公開の2通(熊本大学附属図書館蔵)には驚きの大事件が!
名古屋城の石垣の工事は家康の命令で西国から20もの大名が担当しました。天守台の石垣は加藤清正が担当したことで知られています。
そのひとり細川忠興は、現地責任者として3人の部下を奉行として派遣。さらに嫡男(20代)の細川忠利も派遣しました。
ところが、若殿である忠利が、3奉行のうち筆頭である岡村半右衛門尉という人物を成敗(処刑)した事件があったことが、この2つの史料で明らかになりました。
先ほどの絵図に岡村の名は無く、事件は細川家中で処理されたようです…。

細川家の筆頭奉行に名を連ねていた人物が1か月後に成敗されたことが分かった「名古屋城御普請衆御役高ノ覚」(慶長15年4月18日)と「岡村半右衛門尉事」(慶長15年5月14日)。いずれも熊本大学附属図書館蔵

信長も見た天然記念物の樹


西の丸御蔵城宝館の前に立つカヤの大木は樹齢約600年の国の天然記念物。
名古屋城築城は約400年前のはずだけど?
織田信長は若い頃、ここにあった旧ナゴヤ城(便宜上「那古野城」と呼ぶことも)の城主でした。すでにその頃から立っている象徴的な木でした。
空襲で天守や本丸御殿などほとんどの建物が燃えた時、この木も燃え、幹は炭化してしまいました。

空襲で幹が炭化した天然記念物のカヤの木(特別な許可を得て撮影)

しかし、その後、樹勢を回復させたとのこと。名古屋城を訪問した時は城宝館とともにカヤの木もぜひご覧下さい。

手前から天然記念物のカヤの木、西の丸御蔵城宝館、戦後に再建された天守(特別な許可を得た場所から撮影)

特別展「名古屋城誕生!」は12月19日(日)まで、特別史跡・名古屋城の西の丸御蔵城宝館で。名古屋城の観覧料(大人500円)のみで入館できます。詳しくは名古屋城の公式ホームページで。

(読売新聞デジタルコンテンツ部 岡本公樹)

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