【レビュー】見る者の感性を揺さぶる 開館55周年記念特別展「奥村土牛 -山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾-」 山種美術館(東京・広尾)で開催中

奥村土牛  左=《蓮》1961(昭和36)年 紙本・彩色  右=《浄心》1957(昭和32)年 紙本・彩色 山種美術館 (以下、写真はすべて奥村土牛作、山種美術館所蔵)

山種美術館開館の創立者・山﨑種二(1893-1983)が「私は将来性のあると確信する人の絵しか買わない」と本人に伝え、画業初期から約半世紀にわたり親交を重ねた奥村土牛おくむらとぎゅう(1889-1990)。土牛の101年に及ぶ生涯で制作した作品から、同館が所蔵する院展出品作全35点を含む、約60点を紹介している。展示は年齢順に「第1章 土牛芸術の礎」、「第2章 土牛のまなざし」、「第3章 百寿を超えて」、山﨑との交流を示す「特集 土牛と山﨑種二」からなる。「絵を通して伝わってくるのは作者の人間性」という土牛の言葉通り、見ごたえのある作品が並ぶ。作品ごとに見る側の感性を揺さぶり、さまざまな思いを湧き上がらせてくれる。

 

開館55周年記念特別展「奥村土牛 -山﨑種二が愛した日本画の巨匠 第2弾-」 

山種美術館(東京・広尾) 

会  期  1113()2022123()

開館時間  午前10時~午後5時 (入館は閉館30分前まで) ※今後の状況により変更することも

休館日   月曜日=1227()13()110(月・祝)は開館、111()

休館、1229日~12日は年末年始休館

入館料   一般1300円ほか 中学生以下無料

JR恵比寿駅西口・地下鉄日比谷線恵比寿駅 2番出口より徒歩約10

詳しくは同館ホームページ

「第1章 土牛芸術の礎」

《枇杷と少女》 1930(昭和5)年 絹本・彩色

会場に入ってまず迎えてくれるのは《枇杷と少女》。たわわに実った枇杷の実と左下にたたずむ少女。少女は一見無表情に正面を向いているが、よく見ると視線がわずかに正面からずれている。かすかな含羞を感じるのだが、どうだろう。遅咲きの土牛は38歳で院展に初入選を果たす。この作品は41歳の時の制作で院展の同人に推挙される契機となった。

左=《軍鶏》1950(昭和25)年 絹本・彩色  右=《兎》1936(昭和11)年 絹本・彩色
左=《花》1952(昭和27)年 絹本・彩色  右=《聖牛》1953(昭和28)年 絹本・彩色

花でも鳥でも「しみじみとした愛と画心を覚えて、その気持ちでもって描いて行けば技巧の上で稚拙はあっても、いい味わいのものが出来る」と、土牛は書いている。《兎》はアンゴラ兎を飼っている人がいると聞いて写生したもの。《聖牛》は長野の善光寺にインドから贈られたと聞いて、1週間かけて写生した。動物の絵からは土牛の対象への愛情、それが大げさなら親しみといったものを感じ、見る者の心を和ませてくれる。

「第2章 土牛のまなざし」

《城》 1955(昭和30)年 紙本・彩色
左=《城(写生)》 1955(昭和30)年 紙本・鉛筆・色鉛筆
左=《鵜》 1966(昭和41)年 紙本金地・彩色  中=《那智》1958(昭和33)年 紙本・彩色  右=《鳴門》1959(昭和34)年 紙本・彩色

第2章は土牛の6070代の作品を紹介している。写生を重視した土牛は対象の「物質感、つまり気持ちを捉える事」が大切だと述べている。《城》は姫路城天守閣を仰ぎ見るという珍しい構図で、色面を積み重ねて城壁の形態や量感を現している。この頃から土牛は「開放されたような気持ちになって、自由にのびのび」という気分で制作にのぞみ、色面を重ね、モティーフの量感や奥行きを表す作品を制作している。《鳴門》も群青、白緑、胡粉を塗り重ねながら、透明感のある波の動きを描き出している。

左=《舞妓》 1954(昭和29)年 絹本・彩色  右=《踊り子》1956(昭和31)年 紙本・彩色

《踊り子》のモデルは高名なバレリーナ。描くために何度も通って話をするうちに「人柄にますます親しみを感じ、楽しく仕事ができた」と回想している。《舞妓》は「人形のように可愛いと想像していた通り」の、ごく若い舞妓を2年かけて描いたという。洋と和という文化の違いはあるが、土牛の対象への親愛が溢れているようだ。この2枚を並べて展示したのも、見比べる面白さがある。

「第3章 百寿を超えて」

左=《大和路》 1970(昭和45)年 紙本・彩色  右=《輪島の夕照》 1974(昭和49)年 紙本・彩色
《醍醐》 1972(昭和47)年 紙本・彩色

第3章は80歳以降の作品。土牛は80歳を超えても衰えない創作意欲を持ち続け、「芸術に完成はあり得ない。要はどこまで大きく未完成で終わるかだ」と書いている。《醍醐》は京都・醍醐寺三宝院のしだれ桜を描いたもの。この桜は樹齢約170年で、豊臣秀吉の醍醐の花見にちなみ「太閤しだれ桜」と呼ばれるが、土牛に描かれたことから「土牛の桜」とも呼ばれるようになった。この桜の組織培養によって育てられた苗木が、1115日に山種美術館に植樹された。

左=《僧》 1978(昭和53)年 紙本・彩色  中=《姪》1980(昭和55)年 紙本・彩色  右=《海》1981(昭和56)年 紙本・彩色
左=《白寿記念》  1987(昭和62)年 紙本・墨書  右=《山なみ》 1987(昭和62)年 紙本・彩色

《山なみ》は白寿(99)を記念して開催された展覧会のために制作したもの。山の描写に墨のにじみが効果的に用いられているが、土牛は制作中に「今までやったことのない新しい試みをしている」と語ったという。100歳を超えても制作を続けたというが、衰えを知らない探求心には驚くばかりだ。

 

次回展覧会

「開館55周年記念特別展 植村松園・松篁―美人画と花鳥画の世界―」

2022年2月5日(土)―4月17日(日)

 

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

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