“浮世絵美術館”の「これまで」と「これから」――太田記念美術館の日野原健司・主席学芸員に聞く(その1)

撮影・青山謙太郎

第1回 浮世絵専門美術館の現在地

東京・原宿の太田記念美術館は、日本浮世絵博物館、平木浮世絵財団と並び「日本三大浮世絵コレクション」といわれる浮世絵専門の美術館だ。約15000点の所蔵品は、東邦生命保険相互会社の社長だった五代太田清藏氏(1893~1977)の蒐集品がベースになっている。私立の美術館として、その個性をどのように生かそうとしているのか、アフター・コロナの時代をどのように展望しているのか。日野原健司・主席学芸員に“浮世絵美術館”の「これまで」と「これから」を聞いた。(聞き手は事業局専門委員・田中聡)

――「浮世絵専門美術館」として名高い太田記念美術館ですが、毎年、数多くの企画展を開催されています。大体、どんな予定でスケジュールを組んでいるのでしょうか。

撮影・青山謙太郎

日野原 大体、年間8、9本の企画展を開くことを目標にしています。そのうち前期、後期で展示替えをするものが3、4本。つまり、展示替えは毎月必ず行うようにしています。

――企画を立てる際の基本的な考え方はどういうものなのでしょう。

歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」

日野原 ベースになるコンセプトは3つあります。まず、「有名な作品を多くの人に見てもらう」ということです。来館される方の多くは「浮世絵マニア」ではないわけですから。葛飾北斎とか歌川広重とかの有名な絵を分かりやすく多くの人に見ていただくことが、まずは重要だと思っています。ただ、それだけでは毎月の展示がマンネリ化してしまいますから、「面白い切り口を見つける」ということも重要視しています。特に最近では、そういう所が評価されることも多いですね。3つ目は、「研究の成果を生かした展示」です。ウチでしか取り上げない地味なものでも、それに意義があると思えば積極的に行う。浮世絵研究の発展、新進研究家の育成は、館の使命の1つだと思っています。

葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」

――確かに太田記念美術館の展示は「切り口の面白さ」が目立つものが多いです。今年度も「江戸の天気」などが目を引きました。2022年1月530日の「江戸の恋」も面白そうな企画です。

日野原 例えば、同じ浮世絵でも、美人画とか風景画に比べて、役者絵を一般の方に面白く見せるのは難しかったりするんです。よほど歌舞伎に詳しくないと何を描いているのかも分からないし、描かれている役者がどういう人かも分からない。そこで考えたのが、2015年と2018年に開催した「江戸の悪」という企画です。「悪」という言葉を切り口にして、役者絵の中に描かれている悪役の世界、悪の物語をまとめてみた。「かっこいい悪役」というものは、どの時代でも存在しますし、人気ですから、そういうふうにまとめると、江戸時代の芝居の知識があまりなくても展示を面白く見てもらえる。また、「悪」自体に焦点を当てることで時代性を表すこともできる。そういうふうに工夫することで、取り上げる絵自体にも新たな価値を見いだすことも出来ます。

――妖怪画などもそうですね。京極夏彦さんや東雅彦さんたちが「妖怪」をフィーチャーするようになって、それまで「武者絵に出てくる化け物」的な認識だったのが、新たな意味を持つようになった。ところで、日野原さん自体は、どういう経緯で展示の責任者となったのですか。

日野原 もともとは慶應義塾大学で美術史を学んだ後、都内の博物館で非常勤職員をしていたのですが、縁あって30歳ぐらいの時に当館採用してもらって……。今、47歳ですから、20年近く前になりますね。当時は、永田生慈さん(19512018)が副館長で、最初は永田さんの下で企画を考えていたのですが、2006年に永田さんがお辞めになられて、他にキャリアのある学芸員がいなくなったこともあり、2009年から私が中心になりました。

――現在はどういう体制になっているんですか。

日野原 企画を考える学芸員は私を含めて3人。協力しながらツイッターなどSNSでの情報発信、NOTEを利用した「オンライン展覧会」も実施しています。年間の入館者数は、コロナ前で平均年間9万人ぐらいでしょうか。その当時は、海外からの来館者も15%ぐらいいましたね。

――3人で年間の企画を回していくのは、大変じゃないかと思いますね。今、「コロナ前では」というお話がありましたが、「コロナ後」はまた大きく変わったのではないかと思います。そのあたりのことを、次回はじっくり伺うことにしましょう。

撮影・青山謙太郎

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