【レビュー】シベリアを描き続けた生涯 「生誕110年 香月泰男展」 神奈川県立近代美術館 葉山

厳しい抑留経験を描いた「シベリア・シリーズ」で、戦後の洋画史に大きな足跡を残した香月泰男(1911~1974)の大規模回顧展。東京美術学校(現・東京藝術大学)時代から最晩年まで、シベリア・シリーズ全57点を含む各年代の代表作を紹介し、その画業をたどる内容だ。
興味深い画風の変遷
香月泰男は山口県生まれ。1931年、東京美術学校で入学し、早くからその才能を認められた。卒業後は美術教師として教鞭をとりながら、ゴッホや梅原龍三郎に倣いつつ自らのスタイルを模索した。戦前の作品は明るい色調と独特の叙情が魅力的。のちの作風の変化を考えると感慨深いものがある。

31歳で招集され、満州(現・中国東北部)で従軍。画家として決定的な経験となる1年半のシベリア抑留を経て1947年に復員した。

助走をへて「シベリアの画家」へ
戦後は折に触れて戦争や大陸の経験を主題に制作をしたが、一方で台所の食材や庭の草花などの身の回りのモチーフも色彩豊かに描いた。戦前からの連続性を持ちつつ、試行錯誤を繰り返し、ついに黒色と黄土色の重厚な画風にたどり着く。50年代後半から戦争と抑留を本格的に描き始め、「シベリアの画家」としての評価を確立する。あまりに重い経験だけに、それを表現するに相応しい形式を獲得するまでには時間がかかったということだろうか。
香月は自著「私のシベリヤ」(文藝春秋刊)(注・「シベリヤ」は本人の表記のまま)の中で、「シベリヤのことなんか思い出したくはない。しかし、白い画布を前に絵具をねるとそこにシベリヤが浮かび上がってくる。絵にしようと思って絵にするのではない。絵はすでにそこにある」「シベリヤを描きながら、私はもう一度シベリヤを体験している」と記している。自らの記憶や衝動に突き動かされながら、香月はキャンバスに立ち向かっていった。

抑留生活では、60キロに及ぶコーリャンを詰めた麻袋を担ぎ、船着き場から鉄道の引き込み線まで運んだ。6キロの道のりが2,3時間かかった。この作品について「人が麻袋を運んでいるのではなく、麻袋が人間に運ばせているという感じだ。(中略)運搬機械と化した奴隷だった。」と香月は解説する(『シベリヤ画集』=新潮社刊=から)。


会場のあちこちに作家本人の言葉を紹介した掲示があり、作品と合わせて強く印象に残る。
取り戻した色彩
重苦しいモチーフの単色の作品が続き、鑑賞する側の気分もついつい重くなりがち。そして展示が終盤、つまり香月の晩年に近づくと、青や赤を取り入れた作品が並ぶようになる。作家の心境の変化を感じさせ、見る人をホッとさせる。新たな展開への予感を漂わせながら、展示は終幕となる。




今回の展覧会の特徴として、香月の画業を制作年代順に並べたことがある。通常の個展ならごく一般的な整理の方法だが、抑留の間に起きた出来事の順番に並べるのが常道とされてきたシベリア・シリーズの展示としては珍しいものという。同展を担当した長門佐季・同館企画課長は「生来、豊かな色彩感覚をもっていた香月は、シベリア・シリーズを手掛けることで色彩を封印しました。そしてモノクロームの時代をへて、晩年に向けて再び色彩を取り戻す過程を展示の中で表現したいと考え、こうした配置にしました」という。

「戦争を体験することがなかったなら、単調に一生を費やしてしまうことになっていただろう。私の一生のど真中に、そのことがあったがために、私が私になり得ようとするのに役立つ。」と香月は「私のシベリヤ」で振り返っている。シベリアでの体験はやはり悲惨のひと言に尽きるだろう。が、その経験に真摯に向き合い、後半生をかけて作品という形に定着させ続けた彼の歩みは、今もって多くの人の心を打つ。
(読売新聞美術展ナビ編集班)
生誕110年 香月泰男展 |
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会期:2021年9月18日〜2021年11月14日 |
会場:神奈川県立近代美術館 葉山(三浦郡葉山町一色2208-1) |
観覧料金:一般1,000円 |
休館日:月曜日 |
詳細は公式サイトへ |