北斎研究の泰斗 生涯かけた収集品 「学者の愛したコレクション ―ピーター・モースと楢﨑宗重—」展 すみだ北斎美術館

ともに葛飾北斎の研究家として知られるピーター・モース(1935~1993)と楢﨑宗重(1904~2001)の2人のコレクション展が東京・墨田区のすみだ北斎美術館で開催されています。その内覧会に足を運び、前期の展示作品を鑑賞してきました。専門家が生涯かけて選んだ銘品の数々を堪能できます。
学者の愛したコレクション ―ピーター・モースと楢﨑宗重― |
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会場:すみだ北斎美術館 (東京都墨田区亀沢2丁目7番2号) |
会期:2021年10月12日(火)~12月5日(日) 前期:10月12日(火)~11月7日(日) 後期:11月9日(火)~12月5日(日) ※前後期で一部展示替えあり |
休館日:毎週月曜日 |
入館料:一般1,000円 高校・大学生700円 65歳以上700円 中学生300円 障がい者300円 小学生以下無料 |
詳しくは展覧会の公式サイトへ。 |
高い希少性 貴重な資料
アメリカ人のモースは幼少期、浮世絵に魅了されたことがきっかけで東西の版画研究の道に入りました。彼の約600点に及ぶ北斎コレクションは規模はもちろん、研究家の心を動かした希少価値の高い作品を多く含んでいる点が特徴です。大森貝塚を発見したエドワード・モースのひ孫にあたります。

楢﨑はわが国の浮世絵研究の第一人者で、浮世絵を美術史の中で学問的に位置付けることに尽力しました。北斎とその弟子から現代作家まで計480点近いコレクションは浮世絵研究を進める上で貴重な美術・歴史資料になっています。

2016年11月開館のすみだ北斎美術館は墨田区が収集した作品に加え、2氏のコレクションを収蔵品の柱にしており、浮世絵研究の世界で館の存在意義を高める理由になっています。
本展では、モースコレクションより江戸時代の風俗や流行がうかがえる作品、楢﨑コレクションより江戸から昭和にかけて特に人気や評価の高かった絵師、画家らの作品合わせて約140点(前・後期で一部展示替え)の優品を展観。さらに2氏の研究の足跡や作品収集に向けた情熱も理解できる構成になっています。

大胆な省略と画面分割
最初にモースコレクションから北斎の代表作「冨嶽三十六景 武州玉川」を見てみましょう。玉川は現在の多摩川。まず広く流量も豊かな玉川が大胆に画面を横断している構図に目が行きます。手前の岸には馬引きの男がひとり。手綱も緩み、先を急いでいる様子はありません。

川では渡し舟が対岸に向かう途中です。とがった波、体重を竿に預ける船頭、反り上がった舳先。流れの早さと舟の揺れが伝わってきます。対岸の風景はすべてたなびく霞で隠され、富士山だけが静かに下界を見おろしています。
画面全体を近・中・遠景に3分割し、風景を大胆に省略しています。登場人物も数えるほど。色はほぼ藍と白の二色で摺り分けています。喧騒の江戸市中から一転、見る者を澄んだ水と空気、ゆったりとした時間に覆われた近郊へと誘います。当時信仰の対象だった富士山の超然的なたたずまいも印象的です。

動感迫る川面 「空摺」の妙
ただ、単純な構図といい色調といい、見方によっては少々退屈で、「どこが傑作なのか」と思う人もいるかもしれません。答えは、無数のさざ波が白く光る川面に目を凝らすとわかります。「
空摺とは色を転写せず、紙に凹凸をつける表現法。現代のエンボス加工(浮き出し)のことです。本作品で北斎は画面手前の波の一つひとつをこの手の込んだ造形法で再現し、動感に満ちた川の流れを紙の上に実現させたのです。
版木は摺るたびに摩耗します。現存する「玉川」も後摺が多く、空摺が不明瞭だったり波形を藍色の線で摺っていたりしています。しかし本作は空摺がとても鮮明で、初摺か初摺に近い極めて希少性の高い逸品なのです。

秋の夕暮れ さした指の先に
次に「百人一首

「見て。あそこに鹿が」
日も落ちかけた時分、山中で何かの作業を終えた女房衆がぞろぞろと家路についた場面でしょうか。道中はおしゃべりタイム。と、一人が不意に耳に響いた動物の鳴き声に立ち止まり、遠くの山の頂へと顔を向けました。「見て。あそこに鹿が」。とっさに指をさして隣の女房に教えます。

視線を誘導 「完璧な作品」
鑑賞する私たちも、行列の流れをせき止めるこの二人に自然と注目し、理由を示さんとする指の先へと視線をたどらせます。「本当だ。鹿が2頭いる」。隣の女房も私たちも小さな鹿の影を確認します。絵に秘められたクイズの答えを知ったような気分になります。
本作では構図だけでなく、色数の多さや細部へのこだわりにも注目させられます。「ゆく秋のものがなしさ」も漂わせています。モースは著作で「多くの点から見て完璧な作品」と絶賛するほどの逸品です。

北斎の高弟 肉筆画に才
楢﨑コレクションでは、「北斎の門人の中でも優れた浮世絵師」と評判の
本作は突然の夕立に見舞われた峠の茶屋と、雨宿りをする老若男女を詳細に描いた肉筆画です。雨が上がるまで腰を落ち着けようとキセルの火を分け合う者、居合わせた同士で談笑する者、「商機到来」とばかりお茶と団子の販売に精を出す茶屋の女——。

そんな連中に背を向け、絵の真ん中では下女らしき女性を従えた美人が黙々と濡れた体を拭っています。外では角兵衛獅子らしき一団が茶屋目指して走ってきます。それぞれの話し声が聞こえてきそうです。風俗描写に秀でた北馬の特徴をよく表した作品です。

旅情詩人 楢﨑も評価
大正、昭和期に活躍し、「新版画」確立に寄与した川瀬
本作は雪の浅草寺仁王門を描きました。朱の仁王門と真っ白な雪が美しいコントラストをなし、普段はにぎわう浅草寺に静かな時間を与えています。「旅情詩人」とも称される巴水の作風をよく表した作品です。

「真実を集めること」
本展では、会場のあちらこちらにモース自身の言葉が紹介されています。その中にこんなメッセージがありました。
私たちは皆、北斎という人物が生きていたことに感謝しなければならない。(ピーター・モース「北斎の世界的名声」)
版画を集めるのは、同時に真実を集めることであり、その作品と真実の両方ともをみんなと分け合いたいのです。(同「私が北斎を収集する理由」)
モースが残した北斎の名品それぞれに、こうした北斎への無限の愛情と尊敬、使命感が伝わってくる企画展です。

前期は11月7日まで。後期は11月9日~12月5日で、モースコレクションでは北斎の「