33人の江戸時代のお姫様 徳川美術館の「尾張姫君ものがたり」展から国宝など3点を学芸員が解説

徳川美術館・名古屋市蓬左文庫で開催中の秋季特別展「尾張姫君ものがたり」では、33人の尾張国の姫君たちが持ち、使っていた豪華絢爛な品々を多数展示し、江戸時代のお姫様たちの暮らしぶりを紹介しています。担当した徳川美術館の吉川美穂・学芸部長代理に国宝など3点をえりすぐり、解説してもらいました。
初代義直支えた 生母一家の結束
尾張徳川家歴代の女性たちのなかで、扇の要に値する重要な役割を果たしたのが、初代義直の生母・お亀の方(相応院)です。
家康の側室であったお亀は、わずか8歳で尾張国主となった義直に代わり、家康と家臣との取り次ぎ役を担いました。
また、義直の側近を自身の血縁者で固め、義直を支える政治体制を作り、尾張徳川家の礎を築きました。
お亀の所用と伝えられた貝桶には、義直とその側室おさい、義直の娘の京姫、義直の異父兄・竹腰正信の妻が絵を描いた合貝が伴います。お亀一家の結束を象徴するかのような道具です。
武蔵野蒔絵貝桶・合貝 お亀の方所用 江戸時代 17世紀 徳川美術館蔵
3歳で嫁入り 将軍家橋渡し
3代将軍・家光には当初、男子がなく、自らの血脈を守り、幕府権力の強化を図るため、長女の千代姫をわずか3歳で、のちに尾張徳川家2代となる光友に嫁がせました。
婚礼に際し千代姫が持参した「初音の調度」は、将軍家の姫君としての威光を具現する豪華な婚礼調度です。
千代姫は嫁いだ後も4代将軍・家綱、5代将軍・綱吉の姉として60年にわたり将軍家との橋渡し役となり、多くの恩恵を尾張徳川家にもたらしました。
千代姫が産んだ長男・綱誠は尾張徳川家3代、次男の義行は高須松平家初代となり、繁栄の一時代を築きました。

息子が藩主継ぎ 整えられた格式
江戸時代の大名家は、家の存続のため世継ぎを確保する必要があり、正室以外にも多くの女性たちが存在しました。なかでも正室に次ぐ厚遇を受けたのが藩主の生母です。
3代・綱誠の側室・和泉は、息子の継友が6代を継ぐと、名古屋城三之丸内に屋敷を与えられ、生母としての格式が整えられました。
建中寺に伝わる女乗物は、他に類例のない朱塗りで、和泉専用の紋が付いています。蒔絵で装飾された女乗物は最上級とされたことから、和泉の藩主生母としての地位がいかに高かったかを示しています。

(吉川美穂・徳川美術館学芸部長代理)
「尾張姫君ものがたり」は11月7日まで、徳川美術館・名古屋市蓬左文庫(名古屋市東区)。休館日は毎週月曜日。観覧料は一般1400円、高大生700円、小中生500円。詳しくは同美術館のHPへ。