【開幕レビュー】豊かな叙情と確かな技量 「従軍画家」の真の姿を知る 小早川秋聲展 東京ステーションギャラリー

異色の日本画家・小早川秋聲 待望の大規模回顧展が開催

東京ステーションギャラリーにて、「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」展が開幕しました。

小早川秋聲(こばやかわ・しゅうせい)は、大正から昭和にかけて、京都を中心に活躍した日本画家です。没後しばらく名前の埋もれた存在となっていましたが、近年少しずつ再評価が進められ、このたび画業の全体像を百余点の作品で紹介する初めての大規模回顧展が開催される運びとなりました。

会場風景

秋聲は僧籍を持つ慰問士であり、陸軍騎兵少尉にして従軍画家。さらには16歳の頃から雑誌などに寄稿を重ねる文筆家で、俳句の世界でもちょっとした有名人。極めつけは当時では類を見ないほど国内外を広く旅した日本画家と、あらゆる顔を持っています。

本展では京都での修業時代を始まりとし、旅する画家として異文化に触れる姿、従軍画家として戦争に関わる姿、そして静かに過ごした戦後の日々を、4つの章に分けて通覧します。                                                                                                      

僧籍を持つ陸軍騎兵少尉は、世界を旅する日本画家

 1885年、鳥取県にある光徳寺の長男として生まれた秋聲は、9歳で京都・東本願寺の僧籍に入りました。

その後16歳で歴史画家の谷口香嶠に師事。香嶠亡きあとは、巨匠・山元春挙の門下となります。幼いころから絵を描くのが大好きで、おやつの代わりに半紙をもらっていたという秋聲。元来の才に加え、歴史画の香嶠、写生を重んじる春挙の二人から鍛えられたこともあり、初期から高い技術を持つ作品が並びます。

左より《誉之的》、《楠公父子》 明治末期~大正期 いずれも個人蔵

 秋聲は東洋画を学ぶために比較的早い段階で中国へ渡っています。そこから本展のサブタイトルである「旅する画家」としてのキャリアが始まるのですが、この時代では大変珍しく、中国からインド、ヨーロッパへ渡ってイタリア、ドイツ、オーストリア、果てはグリーンランドやエジプトまでと、約1年で計十数ヵ国を訪れているのですから驚きです。

会場風景 / 奥はシルクロードを題材にした《絲綢之路》 大正期 鳥取県立博物館蔵。離れて見るとモノクロ写真かと見紛うほど写実的であり、近づけばシンプルで確かな筆さばきを味わえる。

 画技に秀でたことに加え、旅慣れていたことも評価されたのでしょう。第一次大戦で生じたアメリカの対日感情を好転させるため、政府や企業からの要請をうけて渡米し、日本美術の普及活動にも寄与しました。

《米国 グランドキャニオン 暁月》 昭和初期 個人蔵

海外ばかりではありません。秋聲は日本国内も広く巡っており、ローカルな風景を描いた《裏日本所見畫譜》、北海道を旅した際にアイヌの伝説から着想を得た《追分物語》なども制作。

《裏日本所見畫譜》※部分 1918年 個人蔵
《追分物語》 大正後期 個人蔵 

海外での経験を経て、秋聲の絵には明るく華やかな色が加わるようになりました。帝展などでも活躍し、さあいよいよ脂がのってきたというところで、皮肉にも彼の運命は戦争へと飲み込まれていくのです。

 天下和順という鎮魂の歌

手前《國之楯》 1944年、1968年改作 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)、奥《國之楯(下絵)》1944年頃 個人蔵/《國之楯》の下絵は本展が初公開となる。

秋聲といえば真っ先に紹介されるのが、異色の戦争画《國之楯》。寄せ書きのある日の丸で顔を覆った陸軍将校の横たわるこの絵は、一度見たら忘れない衝撃を我々に与えます。それ故に秋聲=戦争画というイメージが定着したことは否めません。

日露戦争から従軍した秋聲は、実際多くの戦争画を描きました。しかし所謂「国威発揚」を前面に出したものとは違う印象を持つものが少なくないのです。

会場風景/画面右は《御旗》 1934年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)叉銃を構成する銃には、一匹のバッタがとまっている。

描かれているのは束の間の休息に眠る兵士たちや、静謐な弔い。猛々しい戦いというよりも、彼自身が戦場で見た叙情的な瞬間を描き留めているかのようです。

会場風景/画面右は《日本刀》 1940年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)

さて《國之楯》ですが、これは戦時中に陸軍省の依頼で描かれたものと伝えられています。しかし陸軍は受け取りを拒否。長らく秘匿されてきましたが、秋聲自身によって絵は手直しをされ公開されました。

当初、将校の上には桜の花弁が描かれていましたが、修正時にそれらは塗り潰され、漆黒の闇がその身体を包む構図へと姿を変えています。秋聲がどういった意図でそのような変更をしたのか記録は残っていませんが、静かで圧倒的なこの作品は、英霊を讃える絵なのか、戦争で命を落とした人を悼む絵なのか、多様な解釈を有すると言われてきました。

 秋聲自身、自国の勝利を願う一方で、戦争を「惨の惨たるもの」と評し、複雑な心境を見せています。

僧籍を持つ彼は、かねてより「無量寿経」の中にある「天下和順」という平和や安寧を願う偈文を作品に記していました。

会場風景。手前は《天下和順》 1956年 鳥取県立博物館/大勢の人々が太陽の光の下で踊る、神秘的で祝祭感あふれる作品。

風景であれ人であれ、そして戦争を描いたものであっても、秋聲の作品には常に独特の静けさが漂っているように見えます。その静けさの正体こそ、彼が絵筆に込めた「天下和順」を願う鎮魂の歌なのではないでしょうか。

 晩年仏画や小品の制作に勤しんだ秋聲は、表装にも精を出しました。蒐集した珍しい裂や更紗を使ったり、ヒエログリフのような描表装をしてみたりと、表具屋が「こちらの仕事がなくなる」と嘆いたほど凝った設えを見せています。

戦犯として捕まる覚悟もしていたようですが、戦いの無い、まさに天下和順な日々を尊び過ごしたことでしょう。

197426日。秋聲は老衰のため、88歳でこの世を去ります。絶筆は亡くなる6時間前に長女が届けたチョコレートケーキのスケッチでした。

  

幼いころより絵を好み、文字通り最期まで描くことを続けた小早川秋聲。

本展は《國之楯》にとどまらない秋聲の世界を知ることができる、絶好の機会です。

なんと言っても秋聲は怖いくらいに絵が上手い! そして質の良い絵の具をふんだんに使っている! そういった面でも大いに楽しむことができると思います。

展覧会公式図録も大変力が入っており、図版はもちろん、年譜や論考は圧巻の充実度。秋聲について現時点で一番詳しくまとめられたものとなっています。

《三日月兜の譽 尼子家之勇将山中鹿介幸盛》 1940年頃 個人蔵/ぜひ近寄って鎧兜の描写を見てほしい作品。秋聲は甲冑を描くためにそれらを蒐集し、徹底的に研究した。

 事前に秋聲の人柄について知りたいという方には、日本画家・河野沙也子さんの漫画がおすすめです。

▶小早川秋聲関連漫画(「関連漫画PDF」というところをご覧ください)(https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202110_kobayakawa.html

▶河野さんのインタビュー記事 (https://artexhibition.jp/topics/news/20210921-AEJ507525/

 展覧会開催中に報告を受け、新たに発見された作品があるそうです。来年211日より巡回予定の鳥取県立博物館では、それらも加えて会場が構成されるとのこと。

今後もさらに研究の進むことが期待される作家です。(虹)

  • 展覧会名:小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌
  • 会期:2021109() – 1128()(※会期中一部展示替えあり)
  • 会場:東京ステーションギャラリー(https://www.ejrcf.or.jp/gallery/
  • 開館時間:10:0018:00(金曜日~20:00)*入館は閉館30分前まで
  • 休館日:月曜日
  • 観覧料金:一般1,100円  高校・大学生900円  中学生以下無料(事前予約制)

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