【注目展、東京へ】独特の叙情、戦争画にも 「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌」 東京ステーションギャラリーで10月9日開幕

《御旗》1934年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)

展覧会名:小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌

会期:2021年10月9日(土)~11月28日(日)

会場:東京ステーションギャラリー(JR東京駅丸の内北口)

開室時間:午前10時~午後6時、金曜日は午後8時00分まで(入館は閉館の30分前まで)

休館日:月曜日(11月22日は開館)

入場料金:一般1100円、高校・大学生900円、中学生以下無料

※入館券は原則として日時指定の事前購入制(ローソンチケットで販売)

※ローソンチケットの余裕がある場合に限り美術館で当日券を販売

巡回予定:鳥取県立博物館(2022年2月11日~3月21日)

大正から昭和にかけて京都を拠点に活躍し、従軍作家としても知られる異色の日本画家、小早川秋聲(こばやかわ・しゅうせい)(1885―1974)の初の大規模回顧展。夏の京都文化博物館の開催に続き、東京へ注目展が巡回する。

これまで秋聲作としては、大戦末期に制作された《國之楯》などわずかな作品が一般には認知されるだけだったが、今回は個人コレクションを中心に、初期の歴史画から初公開の戦争画、戦後の仏画まで晩年に至る約100作を紹介する。

旅する画家

鳥取県の寺の長男として生まれた秋聲は、9歳で東本願寺の衆徒として僧籍に入った。その後、京都で谷口香嶠、山元春挙ら日本画家に学び、文展、帝展で活躍した。また中国で東洋美術を研究したり、欧州に渡り西洋美術を学んだり、日本美術の紹介のために北米に滞在するなど、際だって旅の多かった画家でもある。戦前の作品は持ち前の叙情性と高い技能に加え、旅先などで取材した多彩なモチーフを楽しめる。

《譽之的》明治末期~大正期 個人蔵
《回廊》1914年頃 鳥取県立博物館

《薫風》1924年(上は左隻、下は右隻) 個人蔵
《未来》1926年 個人蔵
《愷陣》1930年 個人蔵
《長崎へ航く》1931年 個人蔵

構図や衣服の柄が目を引く作品。江戸時代、長崎とオランダを行き来していた船が、オランダを離れて長崎へ向かうとき、別れを惜しむ4人のオランダ女性を後ろからとらえた。赤い服を着た女の子は、日本人形を抱えている。

《微笑》1930~37年頃 個人蔵

戦争画にも独特の叙情

満州事変や盧溝橋事件を契機に日本は戦争へと突き進む。秋聲は従軍画家として満州、中国へと頻繁に趣き、戦闘シーンや軍人の勇姿、富士山と日の出といった国威発揚の風景画を制作していく。戦争画にもかかわらず、叙情の漂う《御旗》のような作品に独特の味わいがある。

《御旗》1934年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)
《國之楯》1944年 京都霊山護国神社(日南町美術館寄託)

代表作《國之楯》は陸軍に受け取りを拒否され、戦後、改作され公開されたことで知られる。はじめ、横たわる兵士の上には円光がかかり、さらにその死を美化するように桜の花びらが散らされていたといわれている。背景を塗りつぶすなどした理由は定かではないが、改作によって作品の印象が大きく変わったのは間違いない。

平和を願った戦後

これまで紹介される機会の少なかった戦後の作品も注目したい。宗教的な題材をモチーフにしたものが目立つ。秋聲は戦争画を多く描いたことで、戦後、罪に問われることも覚悟していたという。大規模な展覧会への出品は減り、旅をすることもなくなった。《天下和順(てんかわじゅん)》には、酒甕の周囲に人々が集まり、列を成して踊り興じる様子が画面いっぱいに描かれている。「天下和順」は天下が治まり、平和であることを指しており、仏典にあるこの言葉を秋聲は特に好んだ。

《天下和順》1956年 鳥取県立博物館
《山を出でます聖》1946年 個人蔵

秋聲は1974年、88歳で京都で没した。近年、再評価の機運が高まる中、従軍画家というこれまでのイメージにとらわれず、その瑞々しい魅力を味わってほしい。

(読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)

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