【レビュー】「ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」 東京都美術館(東京・上野)で開催中

フィンセント・ファン・ゴッホ 《夜のプロヴァンスの田舎道》 1890年5月12-15日頃 油彩 カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館  (以下、作品写真はすべてフィンセント・ファン・ゴッホ)   プロヴァンスで描いたおそらく最後の作品。「月が出ているが明るくはない夜の空。細い三日月が、大地を不透明に映し出す影から、かろうじて見えている…」とゴッホがゴーガンへの手紙に書いた絵。「死の象徴」とも、逆に「力強い生命力を秘める」とも言われる。どちらを感じるにしても、その力に吸い寄せられるように絵の前には人が集まってくる。

フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)の絵に魅了され、世界最大の個人収集家となったヘレーネ・クレラー=ミュラー(1869-1939)のコレクション。ゴッホの評価が高まる途上の時から90点を超える油彩画と約180点の素描・版画を収集した。今回は初期から晩年までの画業をたどる油彩28点と素描・版画20点、彼女の収集傾向を表す作品20点、さらにファン・ゴッホ美術館収蔵のゴッホの作品4点の計72点が展示されている。

ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント
会期:2021年9月18日(土)~12月12日(日)
会場:東京都美術館企画展示室(東京・上野)
休室日:月曜日、9月21日(9月20、27日、11月8、22、29日は開室)
開室時間:午前9時30分~午後5時30分(入室は午後5時まで)
観覧料:一般2000円、大学生・専門学校生1300円、65歳以上1200円 ※日時指定予約制 高校生以下(日時指定予約必要)、障がい者手帳をお持ちの方と介助者(日時指定予約不要)は無料
問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
JR上野駅公園口から徒歩約7分
詳しくは展覧会公式サイト
ヘレーネ・クレラー=ミュラーが収集したゴッホの絵のリストと購入額を示した図。点数や額など興味深い。

 

ヘレーネ・クレラー=ミュラーは、美術批評家で美術教師のヘンク・ブレマーの講義を受けて美術に関心を持つようになる。1907年から近代絵画の収集を始め、実業家の夫の協力で11000点を超える作品を集める。特にゴッホの作品には深い精神性や人間性を感じ取り、積極的に収集。1935年にコレクションをオランダ政府に寄贈、1938年にクレラー=ミュラー美術館が開館して初代館長となる。東京都美術館学芸員の大橋菜都子さんは、彼女には評価が高まる前に「収集」を始め、自分が楽しむだけでなく広く「公開」し、さらに美術館開館に尽くして後世にゴッホの作品を「継承」した三つの功績があると話す。

3-1 素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代

ゴッホが画家となる決意をした最初の時期であるオランダ時代の素描。

 

展示は4部構成。1はヘレーネ・クレラー=ミュラーの紹介。2は写実主義からキュビスムまで彼女の愛した芸術家たち。3がゴッホの作品展示で「素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代」「画家ファン・ゴッホ、オランダ時代」「画家ファン・ゴッホ、フランス時代」の3部。「フランス時代」はさらに「パリ」「アルル」「サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ」と年代順に並ぶ。壁面には制作年も大きく表示されており、作品の変化の理解に役立つ。4は《黄色い家(通り)》を含む4点のファン・ゴッホ美術館収蔵の作品。

《砂地の木の根》 1882年4-5月 鉛筆・黒チョーク・茶色と灰色の淡彩・不透明水彩、水彩紙  クレラー=ミュラー美術館   
 「僕は風景に人間のような感情を吹き込もうと試みた」と弟のテオに手紙でつづっている。木の根と枝を画面の四辺で切り取るような大胆な構図。

 

ゴッホは画家になるためには素描に習熟する必要があると確信していた。「素描は種まきで油彩は収穫」と語ったという。素描見本を何百点も模写し、画家である義従弟に教えを乞うなど研鑽を積み習熟していった。ゴッホというと色遣いに目が行きがちだが、素描にもヘレーネの言う深い人間性や精神性を感じることができる。

《籠に腰掛けて嘆く女》 1883年2-3月 黒のリトクレヨン・灰色の淡彩・白と灰色の不透明水彩・升目状の跡、水彩紙  クレラー=ミュラー美術館  
スカートの中の右足がはっきりと分かるように描かれている。黒と灰色の異なる陰影を効かせることで光の使い方も成功している。モデルは1年余り一緒に暮らすシーン・ホールニクだと言われる。

3-2 画家ファン・ゴッホ、オランダ時代

《麦わら帽子のある静物》 1881年11月後半-12月半ば 油彩、カンヴァスに貼った紙    クレラー=ミュラー美術館

 

1883年12月にニューネンに移り住んだゴッホは、バルビゾン派やハーグ派を手本に、暗い色調を用いて織工や農民などを描き始める。

(左から) 《女の顔》 1884年11月-1885年1月 油彩、カンヴァス   《白い帽子を被った女の顔》 1884年11月-1885年5月 油彩、カンヴァス  ともにクレラー=ミュラー美術館  
1884年から1885年の冬、農民の顔の習作に取り組む。人生が刻まれた顔や粗野な感じの強調されている顔を好んだという。

3-3 画家ファン・ゴッホ、フランス時代

3-3-1 パリ

886年2月、パリに移り弟テオと暮らし始める。そこで前衛芸術家たちと付き合うようになり、印象派や新印象派、浮世絵などの作品と出会う。新しい表現に挑み、色調を明るくし新しい筆遣いを展開させて、限られた仲間からだが前衛作家と認められるようになる。

《レストランの内部》 1887年夏 油彩、カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館   
もっとも新印象派に近い実験をした作品。ゴッホは「点描画をまねたが暗い点も入れた」と言っている。手法は同じ点描だが、スーラやシニャックらとは異なる雰囲気が感じられて興味深い。
3-3-2 アルル

画家としての自信を深めたゴッホは18882月、アルルに居を定める。南仏の明るい空の青と燃えるような太陽の色である黄色の組み合わせに熱心に取り組む。10月にポール・ゴーガンと合流し、共同生活をしながら制作をするが2か月で終わる。

(左から) 《レモンの籠と瓶》 1888年5月 油彩、カンヴァス     《糸杉に囲まれた果樹園》 1888年4月 油彩、カンヴァス  ともにクレラー=ミュラー美術館  
ヘレーネは手紙の中で 《レモンの籠と瓶》について 「ブレマーの『これはまるで天国のようだ』という言葉に心を打たれました。そしてこの絵を見れば見るほど、この説明がしっくりくるのです」と書いている。

 

《種まく人》 1888年6月17日-28日頃 油彩、カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館
敬愛する農民画家ミレーの有名な主題を現代風に作り直そうと試みる。種まく人は永遠の季節を象徴するもので、太陽が持つ象徴性と結び付けている。
3-3-3 サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ

1889年5月にサン=レミ郊外にある療養院に入院する。そこでも体調が良い日は花が咲く療養院の庭や周囲の田園風景を題材に作品を制作した。その色調はアルル時代より抑えられている。18905月、療養院を出てオーヴェール=シュル=オワーズに移り住み、村の周りの美しい風景を作品にする。

《サン=レミの療養院の庭》 1889年5月  油彩、カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館
療養院でゴッホは穏やかな環境の中で暮らす。庭に花が咲いているのを見つけると直ちに絵を描き始める。圧倒的な春の生命力を感じ、描こうとした。ゴッホはほとんど署名をしないが。この絵には右下隅にそれがある。

 

《悲しむ老人(「永遠の門にて」)》 1890年5月  油彩、カンヴァス  クレラー=ミュラー美術館
オランダ時代に制作した版画《永遠の門》を模写したもの。若いころゴッホは悲しみに暮れる人々という題材を好んで描いた。療養院でも健康状態は悪化していると感じていたので、もっとも身近な主題だった。

4 ファン・ゴッホ美術館のファン・ゴッホ家コレクション

ゴッホのコレクションとしてはファン・ゴッホ家のものが世界最大。ゴッホの没後、生前に売却、譲渡された作品以外のほとんどを弟のテオが相続し、テオ没後は妻のヨー、息子のフィンセント・ウィレムと継承された。その後、200点を超える油彩画、約500点の素描、膨大な手紙などは、1973年に開館したアムステルダムにあるファン・ゴッホ美術館に永久貸与されている。

《黄色い家(通り)》 1888年9月  油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)
ゴーガンと共同生活を送った黄色い家を描いた作品。二人の個性の違いから共同生活は2か月で終わり、ゴッホは「耳切り事件」を起こす。

 

 

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

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