【レビュー】 懐かしく美しい日本の姿・風景 「新版画-笠松紫浪を中心に-」 山梨県立美術館(甲府)で開催中

笠松紫浪 《浅草観音堂大提灯》1934(昭和9)年 山梨県立美術館蔵  提灯をクローズアップし、添えた人物との対比でさらに大きく見せている。歌川広重の影響がうかがえる。

橋口五葉や伊東深水の美人画、名取春仙の役者絵、川瀬巴水や吉田博そして笠松紫浪の風景画。新版画とは、江戸時代に隆盛を見せた錦絵を復活させようと版元の渡邊庄三郎が主導して絵師(画家)、彫師、摺師の分業で制作した木版画で、大正から昭和前期にかけて流行した。展覧会では山梨県立美術館所蔵の作品を中心に187点が並び、新版画の面白さを余すところなく見せてくれる。伊東深水と伊藤孝之を除き写真撮影も可能だ。

新版画-笠松紫浪を中心に-
会期:2021年9月14日(火)~10月24日(日)
会場:山梨県立美術館(山梨県甲府市貢川1-4-27)
休館日:月曜日 9月20日(月・祝)は開館
開館時間:午前9時~午後5時 (入館は午後4時30分まで)
入館料:一般1000円ほか 高校生以下、障がい者手帳をお持ちの方と介助者無料
JR甲府駅からバス約15分。
詳しくは同館ホームページへ

第1章 新版画の画家たち

橋口五葉 (左から)《盆持てる女》1920(大正9)年 《髪梳ける女》同年 《夏衣の女》同年      いずれも山梨県立美術館蔵     《髪梳ける女》はスティーブ・ジョブズも所有していた。若い日に来日した際に購入したという。日常の穏やかな表情を見せる若い女性の姿は、橋口の理想の女性像だったのかも知れない。
橋口五葉 《京都三條大橋》1920(大正9)年 山梨県立美術館蔵

 

近年とみに人気が高まっている新版画だが、最初に制作したのは大正初期に来日した外国人画家たちだ。程なく橋口五葉(18811921)が《浴場の女》を制作すると、次々と日本の画家も携わるようになる。橋口は東京美術学校西洋画科を首席で卒業、雑誌の挿絵も描き夏目漱石の『吾輩ハ猫デアル』の装幀も手掛けている。

橋口に続くのが伊東深水(18981972)。鏑木清方の門下で日本画を描いていたが、渡邊の勧めで新版画の制作にもかかわるようになる。伊東と言えば美人画だが、風景画も完成度が高い。残念ながら撮影不可でここに写真は載せられないが、富士山や軽井沢、浅間山などを描いた作品は美人画に負けない美しさを感じさせる。

川瀬巴水 (左から)《雪晴乃吉田》1953(昭和28)年 《吉田乃雪晴》1944(昭和19)年    ともに山梨県立美術館蔵         同じ題材を9年の時間をおいて描いている。一見まったく同じに見えるが、よく見ると光の明るさや雪の割れ目など微妙な違いがある。

川瀬巴水 (左から)《舟津之冨士》1936(昭和11)年 《鳴澤之冨士》同年 ともに山梨県立美術館蔵                巴水は富士山を描いてもどこか懐かしい風景になる

 

名取春仙 (左から)《春仙似顔絵集追加 七代目松本幸四郎 髭の意味》1929(昭和4)年
《新派似顔絵 大河内伝次郎 丹下左膳》1934(昭和9)年
《新版舞台之姿絵 八代目松本幸四郎 茨木の綱》1951(昭和26)年 
いずれも山梨県立美術館蔵  江戸の錦絵に比べて写実的。写真を見ながら描いたという。

川瀬巴水(18831957)は鏑木清方門下で、兄弟子の伊東深水の影響を受け新版画に取り組むようになる。日本中を旅して描いた作品で「旅の版画家」と呼ばれた。また近代化された東京に江戸の情緒を見出した作品で「昭和の広重」とも称された。生涯の作品は600点を超えるという。展覧会では富士山を描いた作品を中心に展示している。

役者絵の第一人者は名取春仙(18861960)。漱石や島崎藤村、泉鏡花らの新聞小説の挿絵を描いていたが、渡邊庄三郎と組んで、役者絵に注力するようになる。

吉田博(18761950)は風景画の第一人者として活躍していたが49歳の時に木版画に挑戦する。洋画の技法や構図を基礎に、訪れた諸外国を題材にした作品や日本の名山を描いた。登山家としても知られスケールの大きな作品を制作した。巴水の富士山の絵と比べてみるのも面白い。

伊藤孝之(18941982)は東京美術学校在学時から渡邊庄三郎のもとで版画を刊行。卒業後も日本画と版画を並行して制作していた。展覧会では京都の八坂の塔や上高地、鹿島槍などを描いた作品が展示されている。

吉田博 (左から)《富士拾景 山頂剱ヶ峰》1928(昭和3)年 《三保》1935(昭和10)年 ともに河口湖美術館蔵 自らも登山をする吉田らしい構図が目を引く。吉田の版画はダイアナ妃が所有していたことでも有名

第2章 最後の新版画家 笠松紫浪

笠松紫浪(18991991)も鏑木清方の門下で、兄弟子の伊東深水や川瀬巴水の後を追うように木版画の原画を描くようになる。江戸から明治、大正時代の名残を東京の中に見出し、また日本各地を旅して郷愁を誘う作品を制作した。洋画家でもある吉田博が色で面を作っていくのに対し、日本画から出発した笠松は浮世絵の伝統を受けて輪郭線で対象を捉えている。(以下写真はすべて笠松紫浪、山梨県立美術館蔵)

(左から)  《雨に暮るる塔(東京谷中)》 1932(昭和7)年 《夕空 日暮里諏訪神社》同年 《護国寺鐘楼(雪晴れ)》1933(昭和8)年

 

(左から) 《信州 松本城)》1934(昭和9)年 《お會式 雑司ヶ谷》同年 《春の夜-銀座》 同年
古き良き時代の東京の面影を残す風景。デジタル画像を見慣れた目にはかえって新鮮に見える

 

山梨県立美術館は40年以上前になる創設当初から、山梨で盛んだったこともあって版画を収集、やがて笠松家から遺品の寄贈を受けるようになる。コレクションは作品やスケッチなど約250点に及び、今回はその中から約100点が出展されている。

(左から) 《日光 華厳の滝)》1952(昭和27)年 《日光 陽明門の雪》同年 《日光 神橋》 同年

 

(左から) 《澁温泉)》1954(昭和29)年 《雪の松島》同年

 

笠松紫浪の写生帖 ラフスケッチだがほぼそのままの構図で作品になっている。左下の修善寺温泉のスケッチでは障子に映る人の影も、そのまま作品に描かれている。

 

古き良き時代の東京を描いていた笠松は、戦後になって東京と並行して日本各地の名所も描くようになる。その取材地は岩手から関西(一か所離れて長崎がある)までに及ぶ。地点を地図上に示すと85か所に上る。特に温泉が多いのに気が付く。好きだったのだろう。作品のタッチも繊細さから大胆さが目立つようになる。山梨県立美術館の平林彰学芸員は「新版画は外国人に評価され、追いかけるように見直されてきた。コロナで旅行もままならない時なので、当館の代表的な作品で日本の美しさを見て、旅をした気分になってほしい」と話す。

(左から) 《日本橋)》1956(昭和31)年 《御茶ノ水 たそがれ》同年 《東京駅》同年

 

(左から) 最後の新版画作品である《東京タワー)》1959(昭和34)年 《隅田川 あづま橋》同年

 

戦後の新版画をけん引した笠松だが、1959(昭和34)年を最後に版元からの発表を終えている。《東京タワー》は最後の作品と言える。その後、笠松は自分で彫り、摺る「自刻自摺」に移る。花鳥画や風景、寺社を題材にしたものが多く、制作は93歳で亡くなる前年まで続く。

自刻自摺の作品(左から)《供養菩薩 一》1956(昭和31)年 《阿修羅》1959(昭和34)年

 

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

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