【探訪】「塔本シスコ展」 シスコさんってどんな人? 四畳半から生まれた唯一無二の人生絵日記 孫の福迫弥麻さんに聞く

自宅の四畳半で制作に励むシスコさん。「家事や孫と遊ぶことにも手を抜かなかった。短い時間で集中して絵に取り組んでいました」と弥麻さんは振り返ります

五十歳代から独学で油絵を始め、91歳で亡くなる直前まで絵筆を握り続けた塔本シスコさん(1913~2005)の初めての大規模回顧展「塔本シスコ展 シスコ・パラダイス かかずにはいられない!人生絵日記」が東京の世田谷美術館で始まりました(11月7日まで)。そのモチーフは身の回りの自然や子供の頃の思い出、家族の営みなど、文字通り絵日記のようにシスコさんの手の届く範囲のものです。ところが大画面いっぱいに展開される鮮やかな色彩と、時に時空を超える大胆な構図、ディテールへのこだわりから放射される爆発的なエネルギーは、見る者に強烈な印象を残します。身近でその制作を見守り、今回の展覧会の開催にも尽力したシスコさんの孫、福迫ふくさこ弥麻みあさん(大阪府島本町)にリモートでお話を伺いました。(聞き手・読売新聞美術展ナビ編集班 岡部匡志)

塔本シスコ:熊本県八代郡郡築村(現・八代市)生まれ。「シスコ」という名は養父がサンフランシスコ行きの夢を託しました。実家の家業が傾き、小学校4年で退学、奉公に出されるなどし、美術教育は受けていません。20歳で料理人の塔本末蔵さんと結婚。一男一女に恵まれますが、1959年に末蔵さんは派遣先の長野県内のダム工事事故に巻き込まれ殉死。53歳の時に長男の賢一さんの画材を使って絵を本格的に描き始め、59歳からは賢一さん夫婦と同居した大阪府枚方市の団地の4畳半をアトリエに。これまでも地元の関西地区を中心に作品はたびたび紹介されていますが、その生涯を振り返る大規模回顧展は今回が初めて。出展された作品は220点に及びます。来年2月以降、熊本市現代美術館、岐阜県美術館、滋賀県立美術館に巡回します。
シスコさんが描いてくれた自分の肖像画(上)とともに祖母の思い出を語る福迫さん。手にしているのもシスコさんが制作した人形です(世田谷美術館で)

悲願の展覧会に感無量

Q 世田谷美術館の展示はいかがでしたか。

A 感無量でした。シスコの長男で、私の父の賢一(2017年死去)もシスコの巡回展を行うことが長年の夢でした。それが実現し、しかも東京の美術館で最初の展覧会が開かれるなんてまさに夢のようです。祖母と両親から受け継いだバトンを学芸員さんに手渡し、ようやく肩の荷が下りた気持ちです。

砧公園の豊かな緑に囲まれた世田谷美術館は、自然を愛したシスコさんの展覧会に相応しい舞台
展示会場には「これを4畳半で描いたの?」と驚かされる大型の作品がならびます

Q 今回の展覧会を拝見すると、もっと早く大規模展が行われても不思議のない作品の完成度と作品数とお見受けしましたが。

A 絵を売る、ということを祖母も父も考えない人でした。祖母の死後、絵を管理していた父は「作品を理解してくれる人でなければ」と考え、一部を美術館や親戚、お寺などに譲っただけでした。その父が4年前に亡くなり、たくさんの作品をどうしようかと悩み、コレクションを持っていた世田谷美術館さんに相談したところ、積極的に取り組んでくださいました。

シャモジや酒瓶、竹筒などあらゆるものがシスコさんのキャンバスになりました。人形や彫像など立体もすてきです。

Q 作品を目の当たりにした橋本善八・世田谷美術館副館長は「これを見てしまった以上、展覧会を開くしかないと思った」とその迫力に圧倒されたそうです。

A その場で橋本さんが同僚の学芸員の池尻豪介さんに「この気持ちを大切に持ち続けよう。この気持ちを大事にした展覧会にしよう」と仰っていたのがとても心に響きました。私はもう見慣れてしまっているのですが、やはりシスコの絵はすごいエネルギーを持っているのだ、と改めて思いました。コロナ禍の中、シスコのような作家の回顧展を開くのは重い決断だったと思うのですが、巡回に加わってくださった各館の方々も含めて感謝するばかりです。

「私も大きな絵ば描きたかった」

Q   シスコさんは息子の賢一さんの画材を使って絵を描き始めたそうですね。

A 1966年、シスコが53歳の時です。もともと画家志望だった父の賢一が熊本の家を出て働き始めた際、父が自宅に残した作品を取り出し、画面の絵の具をそぎ落として、その上に自分の絵を描いてしまったのです。最初期の《秋の庭》などはそうして描かれた作品です。

《秋の庭》1967年 世田谷美術館所蔵
《私が愛する生き物たち》1969年 個人蔵(滋賀県立美術館寄託)

帰省した父は大変に驚き、しかし作品をみてその価値がすぐに分かったのだと思います。シスコは「私も大きな絵ば描きたかった」と漏らしたそうです。以来、父はシスコの第一のファンであり、シスコをずっと応援してきました。画材をそろえたり、額装したり、画家仲間にシスコを引き合わせたり、個展を開いたり、とすごい熱意です。母の浩子は「あの人はマザコンだ」と言ってましたが(笑)、アーティストとして祖母を尊敬していたのだと思います。

4畳半のアトリエ、孫の通う学校でスケッチ

Q その後、シスコさんは賢一さんと浩子さん夫婦と同居するため、大阪府枚方市の団地に引っ越します。これから4畳半がアトリエになるわけですね。

A 1972年、59歳の時です。私は翌年の1973年に生まれたので、物心ついた時から「おばあちゃんは絵を描く人」でした。父も画家で、地元で母と一緒に絵画教室を運営していたのですが、父の方がよっぽど何をしているのか分からなかったです。狭い家でしたが、シスコが絵を描き始めたら、「服に絵の具が付くよ」と4畳半から追い出される、という具合でした。ただ、シスコは家事や孫と遊ぶことにも手を抜かない人で、作品の制作は私たち孫が学校に行ってからとか、朝とか、集中して取り組んでいたようです。

塔本一家が住んでいた団地の見取り図(弥麻さんの弟、塔本研作さん提供)。右上の4畳半がアトリエだった。

その一方で、時々私たち孫が通っていた小学校にも出入りして、写生していました。ある時、校庭で人だかりがしているので何かと近寄ったら、真ん中にシスコがいてスケッチしているんです。あまりに恥ずかしくて逃げ出しました。当時はまだ学校の出入りが比較的自由でのんきな時代ではありましたが、熊本弁しかしゃべれないのに、シスコはとても人懐こくて、校長先生や職員の人ともすぐに仲良くなっていました。父の画家仲間にも慕われていましたね。

《絵を描く私》1993年 個人蔵 孫たちの卒業後もシスコさんは地元の小学校に通いスケッチを続けていた。展覧会のメインビジュアルとなったこの作品も、学校で飼育されていた鳥などを描いている。

芸大生が「負けた」と衝撃

Q 孫の目から見てシスコさんの作品はどういう印象でしたか。

A 地元で展覧会があると、よく受付を任されたのですが、作品を見に来た方が、シスコから説明を受けながら「ウワーッ」と泣き出す光景を何度か見かけました。とても感情揺さぶられるのですね。また、芸術大学で絵を勉強した人が「負けた」と言ってすごくショックを受けている姿もみました。シスコは本格的な勉強を何もしていないのに、しっかり学んだ方がショックを受けるような作品なのか、すごい世界なんだなあ、と驚かされました。

Q 実際、シスコさんは他の画家の作品を見て研究などはしなかったのですか。

A 父の仕事柄、家には名画を集めた分厚い画集もありましたが、たまにシスコがそれを手に取るのは、絵を描く時の下敷きにするぐらい。父や画家仲間の展覧会で京都市美術館(現・京都市京セラ美術館)に行っても、目当ての絵を見たら、他にも立派な展示がたくさんあるのに、「ねえ、動物園行こうよ」って何かと隣の京都市動物園に行きたがる人でした(笑)。動物や植物を見たり、スケッチしたりするほうが楽しかったのでしょうね。

《古里の家(シスコ、ミドリ、シユクコ、ミア、ケンサク)》1988年 個人蔵

Q 形にはまらない自由奔放な作風、という印象は強いですね。

A 時間や空間も超えてしまいます。「古里の家」という作品は代表的で、着物姿で中央に描かれているのがシスコ本人でその右側はシスコの妹たち。洋服を着ているのが私、左の男の子が弟の研作です。自分の子供時代と孫を重ね合わせて一緒に遊ばせる、という発想は不思議だし、自由ですね。

自由奔放だが、リアルも重視

Q 一方で、写実も大切にしていました。

A 展覧会の初日、家族連れで見にきてくださった方が多くて、とても嬉しかったのですが、中でも子供さんたちが「虫がいる!」と喜んでくれたのが印象的でした。大人はついつい大画面の鳥や植物、人間に気を取られるのですが、実は細かく虫もたくさん描かれてもいるのです。やはりお子さんはそういうところに気づくのだな、シスコは子供と同じ感覚を持っていたのかな、と思います。加えて、冷徹な観察眼もありました。たとえば《秋の庭》という作品。

《秋の庭》1993年 個人蔵

シスコや私たち孫も描かれていて、一見、のんびりとした楽しい作品なんですが、よくみるとカマキリが蝶々を食べているところも描かれています。

《秋の庭》の部分

Q リアルへのこだわりも強かったのですね。

A 私だったら、「蝶々がかわいそう」とカマキリを追っ払ってしまいそうですし、絵にも描かないと思いますが、シスコはそういうシーンも冷静にスケッチして、作品に落とし込むのです。今回の展覧会でも一部、スケッチを紹介していますが、膨大な量があり、いかにシスコが写生を重視していたかが分かります。熊本時代の暮らしを回想して描いた作品も多いですが、建物などを調べてみると、とても正確に描いているのです。父の賢一も、シスコについて「制作態度が素晴らしいんだ。いつも自分を原点に返らせてくれる存在なんだ」とその真摯な姿勢を尊いと考えていました。

Q 一見、伝統とは繋がっていないようにみえるシスコさんの作品ですが、写生の重視など日本画を思わせるところもありますね。

A 工芸的な感覚もあったように思えますし、無意識に様々な要素を取り込んでいたのかもしれません。

手描きの着物

Q 工芸的といえば、着物に絵を描いた作品も目を引きます。

A あれはすごいです。自分でイチから着物を仕立てて、それにアクリルでがんがん絵を描いちゃう。そしてそれを着て盆踊り行っちゃうんです。

Q すごい。ファンキーですね!

A 孫の私たちにまで着せようとするから、参りました。アクリルでごわごわしてとても着られたものではなかったですが(笑)

娘の死、認知症・・それでも離さなかった絵筆

Q 絵筆を取ってから亡くなるまでの約40年、シスコさんはうまずたゆまず描き続けてきたのでしょうか。

A スランプの時期もありました。1996年7月に、シスコの長女の和子叔母さんが亡くなった時は深刻でした。叔母はまだ50歳と若く、シスコは大変なショックでふさぎ込んでしまいました。しばらくして父が「そろそろ」と水を向けても、「なんだ」と怒り出す始末で絵筆を握らない。この年の11月に私は結婚したのですが、この時も式を挙げるべきかどうかずいぶん迷いました。ただ、この年の末に世田谷美術館の「芸術と素朴」という展覧会で作品が出品されたり、あるいは近くにお花見に行ったりしてようやく上向きになり、やっと描いたのが《枚方総合体育館前のコスモス畑》なんです。

《枚方総合体育館前のコスモス畑》1996年 個人蔵

ただしまだ全開ではないんです。画面の右側にシスコ本人を描いているのですが、明らかに表情がさえず、引きずっていました。その後、私の結婚式の様子を思い出して描いてくれたのが《ミアのケッコンシキ》。だから制作年が式の一年あとになっています。ようやく前向きになってきたことが、賑やかな画面からも伝わってきます。私の晴れ着の柄も本物とは微妙に違うのですが、シスコの目を通すとこういう華やかな柄に見えていたんだなあ、と感慨深いです。

《ミアのケッコンシキ》1997年 個人蔵

Q 晩年は認知症を抱えつつ、創作活動は続けました。

A 2001年、88歳の時に貧血で倒れて、その頃から認知症を発症しました。今回の展覧会を機会に当時の本人の日記を読んだのですが、やはり調子がおかしくて「朝ご飯を3人で食べた」っていうのを5回も続けて書くなどしています。でも本人はそれで一生懸命、自分がどういう状態なのかを確認していたのでしょう。ふだんの暮らしは不自由で、介護に携わった両親も大変な苦労でした。日常はグニャグニャなんですが、絵筆を握るとしゃんとするんです。

《丸山明宏》2001年 個人蔵

この時期、妙に丸山明宏(美輪明宏)さんの肖像をたくさん描いているのですが、そもそもシスコは九州の人なので、芸能人もチェッカーズとか松田聖子さんとか、九州出身者をひいきするのです。「あの子たちは九州から出てきて頑張っている」って。長崎出身の丸山さんもそういう流れでもともとファンで、いつまでたってもシスコは「美輪さん」とは呼ばず「丸山さん」でした。忘れられないのはこの時期、4畳半の部屋に20枚ぐらい画用紙を並べて、次から次へと丸山さんを描いていったあの光景です。なりふり構わずというか、鬼気迫るというか。アールブリュット的と言ってもよいのかもしれませんが、誰が見ても丸山さんと分かる造形や配色はすごいです。絵を描く作業としても非常に正確で、無駄がありませんでした。

晩年のシスコさん(右)、順に孫の研作さん、長男の賢一さん、賢一さんの妻の浩子さん。シスコさんが亡くなる2年前の2003年ごろ、大阪の画廊で撮影。(福迫弥麻さん提供)

Q 改めて、展覧会に来られる方へ。

A これまで、シスコの作品は「素朴派」とか「アールブリュット」とかいろいろなカテゴリーで紹介されてきて、私も紹介してくれるならジャンルは何でもいい、と思ってきました。そしてその考えは今も変わりません。どういう形であれ、見てくだされば嬉しいです。

Q 橋本副館長も「塔本シスコは塔本シスコでしかない」と仰ってました。

A 見ているうちに、だんだん深みにはまる作家のようです。心しておいでください(笑)。

(おわり)

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世田谷美術館の公式ホームページ

【巡回予定】世田谷美術館の「塔本シスコ展」は11月7日(日)まで。続いて熊本市現代美術館(2022年2月5日~4月10日)、岐阜県美術館(4月23日~6月26日)、滋賀県立美術館(7月9日~9月4日)と巡回します。

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