【レビュー】無名の農婦がアメリカの国民的画家になるまでの歩み 「グランマ・モーゼス展」 名古屋市美術館

展覧会名:グランマ・モーゼス展

会期:7月10日(土)~9月5日(日)

会場:名古屋市美術館(名古屋市中区栄、市営地下鉄東山線・鶴舞線伏見駅5番出口から南へ徒歩8分)

休館日:毎週月曜日(8月9日は開館)

観覧料:一般1500円、高校・大学生1000円、中学生以下無料

詳しくは同館ホームページ展覧会公式ホームページへ。

特別展の入り口では、日本初公開の≪村の結婚式≫を拡大した看板と絵筆を持つモーゼスおばあさんの写真が迎えてくれた。ニューヨークでの初個展が1940年10月、80歳の時だという。威儀を正されるような、ふだんの美術展とは異なり、会場では素朴、郷愁、癒しなどの言葉が浮かんできた。

第一次大戦後、世界一の工業国となったアメリカ。しかし、大恐慌、さらに勝利はしたものの大きな犠牲を払った第二次世界大戦を経験し、疲弊したアメリカ人の心をとらえたのが、モーゼスが描く世界だった。モータリゼーションなど無縁の、懐かしい農村風景や、季節と共に生きる人々の暮らしがあった。

米誌「タイム」1953年12月28日号(個人蔵、ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)の表紙を93歳のモーゼスが飾った。まさに時代を象徴する人物となった。

刺繍針から絵筆へ

≪海辺のコテージ≫ 刺繍絵 1941年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

夫と死別し、病気がちの娘と孫娘の世話をするため、ベニントンに滞在していた1930年代、モーゼスは多くの刺繍絵を制作していた。

リウマチの悪化で刺繍が困難になると絵筆に持ち替え、多くの作品を生み出した。同じ風景でも、絵には多くの人が描き込まれるようになった。刺繍の制約が無くなり、まるで「こんな風景が描きたかったの」と言わんばかりだ。

≪初めての自動車≫ 1939年以前 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

モーゼスの手作りジャムは大人気だったが、近所のドラッグストアに自作の絵を並べてもほとんど注目されなかった。1938年、偶然、ドラッグストアに立ち寄り、モーゼスの作品すべてを購入したのがハンガリー移民のルイス・J・カルドア。彼の尽力で翌年、ニューヨーク近代美術館での限定公開展「現代の知られざるアメリカの画家たち」に本作を含む3点が出品された。

カルドアに紹介され、モーゼスの作品に感銘を受けたのが、オーストリアから移住し、ニューヨークで画廊を開いたばかりのオットー・カリアー。この二人がモーゼスの運命を変えた。

ところで大量生産方式とともに登場した乗用車のT型フォードは20世紀初頭に1500万台を売った。モータリゼーションの大波はモーゼスの暮らす農村にも届いたはずだ。しかし、今回の展示作品で自動車が登場するのは、他には『ケンブリッジ渓谷』(1943年)だけ。しかも目を凝らさないと気付かないほど小さい。自動車に象徴される近代化、工業化に対するモーゼスの思いが透けてくるのではないか。

≪窓ごしに見たフージック谷≫ 1946年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

この風景は、モーゼスが日々、寝室の窓から見ていた景色という。あえて窓枠やカーテンを描き、そのことが強調されている。眼下にこのような風景が広がるのは、自宅がかなり高い所にあったのだろう。

しかし、遠くまで見渡せる景色は、他の作品に共通する構図だ。モーゼスが常に高い場所に居るとは思えない。室内でさえ、すべての人物が見渡せるように描いている。今ならさしずめドローンの視点とでも言おうか。

だから、キャンバスの大半を大地が占め、空は狭い。図録の解説で千足伸行・成城大学名誉教授は「グランマ・モーゼスの風景表現で目立つのは地平線が高いこと」と指摘している。

家族の記録

トーマス・サーモン・モーゼスとアンナ・メアリー・ロバートソンの結婚証明書:1887年11月9日付 ベニントン美術館蔵
結婚写真:個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)
マーガレット・ホワイトサイド夫人から譲られたクックブック:ベニントン美術館蔵
『私のお気に入りのバースデイ・ブック』:ベニントン美術館蔵
トーマスからアンナ・メアリーに贈られた『聖書』:ベニントン美術館蔵

アンナ・メアリー・ロバートソンとトーマス・サーモン・モーゼスが結婚したのは1987年。同じ奉公先での出会いだった。会場には当時の二人の写真や結婚証明書、奉公先で譲られたクックブック、家族や友人の誕生日を記した『私のお気に入りのバースデイ・ブック』、夫から贈られた『聖書』も展示されている。

孫娘のために作った人形:ベニントン美術館蔵
孫のために作ったワンピース:ベニントン美術館蔵
ラヴェンダー・ピンクのショール:ベニントン美術館蔵

モーゼスは母親から、あるいは奉公先で裁縫を学んだ。会場に並んだ人形やワンピースは孫のためにモーゼスが手作りした品だ。モーゼスお気に入りのショールも展示されている。

≪キルティング・ビー≫ 1950年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

ここに登場するのは大半が女性。キルトを作りながら、食事の用意をしながら、グループで、あるいは二人で、楽しいおしゃべりの声があちこちから聞こえてきそうだ。モーゼス自身もどこかのおしゃべりの輪の中にいたのではないだろうか。

≪村の結婚式≫ 1951年 ベニントン美術館蔵 ©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

今回が日本初公開となる作品13点のうちの1点。主役は腕を組む新郎新婦だが、必ずしも求心的に描かれてはいない。それどころか、画面のあちこちにカップルが配置され、画面全体から幸福感が漂ってくる。

仕事場

≪制作中のグランマ・モーゼス≫:1948年6月、オットー・カリアー撮影(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク提供)
絵を描くための作業テーブル:ベニントン美術館蔵
作品制作時に使用した椅子とクッション:ベニントン美術館
絵筆:個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)
制作時に使用した絵具と瓶類:個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)

会場には絵を描くモーゼスの写真とともに、実際に使っていた作業テーブルやイス、絵具、絵筆が展示されている。アトリエを持たず、寝室やキッチンの脇の小部屋で制作していたという。テーブルの脚部には風景画が描かれている。このテーブルが米国から出たのは初めてだ。創作の場もふだんの生活に密接していた。

農場の暮らし

≪農場の引越し≫ 1951年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

結婚後は南部のヴァージニア州で農場を借りて暮らしていたが、18年後、故郷ニューヨーク州イーグル・ブリッジで農場を購入し、引っ越した。5人の子どもや家財道具に家畜までも連れての大移動。その時の思い出も込められているのだろうか。

≪グランマ・モーゼスゆかりの地≫ (展覧会主催者より特別な許可を受け、「グランマ・モーゼス展」公式図録より転載)
①グリニッチ:アンナ・メアリー・ロバートソン(後のモーゼス)は1860年9月7日、ニューヨーク州ワシントン郡のグリニッチの農家に生まれた。日本ではこの年、桜田門外の変が起き、大老井伊直弼が暗殺された。
②ウェスト・ケンブリッジ:12歳からホワイトサイド夫妻の家に住み込みで働いた。
③イーグル・ブリッジ:ジェームス夫妻の家で働いていた時、同じく奉公人のトーマス・サーモン・モーゼスと出会い、27歳で結婚。直後にヴァージニア州スタウントンに向かった。
④シェナンドア渓谷:農場と家畜を借りて農場の経営を始め、後に自分たちの農場を購入した。10人の子どもを授かったが、育ったのは5人だった。
⑤イーグル・ブリッジ:45歳の時、故郷へ帰り、農場を営んだ。
⑥ベニントン:1927年に夫と死別。健康をそこねた娘と孫娘の面倒をみるために移り住んだ。娘の助言で刺繍絵を始めた。
⑦フージック・フォールズ:ドラッグストアに作品を置いていたところ、偶然同店を訪れたコレクターのルイス・J・カルドアが購入。
⑧ニューヨーク:1940年、ギャラリー・セント・エティエンヌで初の個展「一農婦の描いたもの」が開催される。
⑨フージック・フォールズ:1961年9月7日に101歳の誕生日をフージック・フォールズ・ヘルスセンターで祝い、同年12月13日に亡くなった。
≪アップル・バター作り≫ 1947年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

農作業が地域総出のお祭りになるのは洋の東西を問わないようだ。モーゼス一家のヴァージニア州時代、夏の終わりには、多くの人が手分けしてリンゴを収穫し、皮をむき、大鍋で煮詰め、アップル・バターを作っていた。一家が8年間住んでいたレンガ造りの家も描かれている。

≪シュガリング・オフ≫ 1955年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

緑の風景画が多い中で、この作品は雪の白が鮮やかでまぶしいほど。それだけに、メープルから樹液を採取する人たちの動きがくっきり浮かんでくる。樹液はメープルシロップやメープルシュガーの貴重な原料となる。

人物の中には、雑誌の写真をモデルに描いたものもある。モーゼスは自らの体験や記憶に加え、農村や農作業を紹介する雑誌などの写真もスクラップしておき、イメージ作りに役立てた。

≪美しき世界≫ 1948年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

「どんな絵が好きですか」と問われ、モーゼスは「きれいな絵」と答えたという。橋、水車小屋、古い家など失われてしまったものを、記憶をたどって愛情をこめて描いた。自然と人間が調和した世界こそ理想だったのだろう。アメリカ人は最先端の科学文明を誇る一方で、田園風景に郷愁を抱き、モーゼスの描く古き良きアメリカを愛した。

≪雷雨≫ 1948年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

自然は時に荒々しい顔を見せる。ここでは雷雨を描いた。暴風、山火事の作品も並ぶ。自然の驚異に深い関心を持っていた。ただ、登場人物の中には泰然とした人もいて、クスっと笑いを誘われた。

素敵な100年人生の素敵な言葉

92歳のモーゼスの写真の脇に、「今でも年を取ったとは感じていない…」とモーゼスの言葉。このほかにも、「人生は自分で作りあげるもの。これまでも、これからも。」「思えば、わたしの人生は、よく働き、満ち足りた一日のようなものでした。」など、自伝『私の人生』(1952年出版)から引用した言葉が、会場のあちこちで紹介されている。

自伝を出した以降も、モーゼスは言葉通りに、健やかに、たくましく絵筆を握り続けた。超高齢社会を迎えた私たちへの先輩からの素敵なエールとなっている。

≪虹≫ 1961年 個人蔵(ギャラリー・セント・エティエンヌ、ニューヨーク寄託)©2021,Grandma Moses Properties Co.,NY

モーゼスは101歳になっても絵筆を握り続けたが、完成させたのはこの作品が最後となった。主役になりそうな虹が、風に揺れる梢に隠れるように描かれている。バランスの中にこそ幸せがある――そんな心境だったのではないかと思った。

会場を巡りながら、私の脳裏に浮かんだ言葉がある。「ヘタウマ」。絵の魅力を伝える一表現とはいえ、口にしていいか迷った。後で本展の図録を読み、千足伸行・成城大学名誉教授が、技術的な稚拙さ、ぎこちなさが魅力になったものを「ヘタウマの芸術」と称しているのを知った。必ずしもモーゼスに即しての定義ではないが、正直、ホッとした。

「グランマ・モーゼス展」は名古屋市美術館に続いて静岡市美術館(9月14日~11月7日)、東京・世田谷美術館(11月20日~2022年2月27日)などでも開催される。

(読売新聞中部支社編集センター 千田龍彦)

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