「愛と死、がからみあうワーグナーの世界」に共鳴 塩田千春さんインタビュー 今夏、バイロイトで大規模インスタレーション

ベルリンのアトリエで制作に取り組む塩田千春さん 写真: Sunhi Mang

ベルリンを拠点に現代アートの担い手として国際的に活躍する塩田千春さんが今夏、ワーグナーのオペラ上演で知られるドイツのバイロイト音楽祭(※1)に招かれ、ワーグナーの作品をテーマにした大規模なインスタレーションを展示する。ワーグナーへの思いやコロナ下での創作活動について、ベルリンのアトリエの塩田さんからリモートでお話を伺った。(聞き手・読売新聞東京本社美術展ナビ編集班 岡部匡志)

ドイツ南部の小都市、バイロイト市街の小高い丘に建つ祝祭劇場。この丘のふもとに塩田さんのインスタレーションが展開される

「輪=指環」と赤い糸

Q 7月25日に開幕するバイロイト音楽祭でのインスタレーションはどのようなものになりますか。

A 祝祭劇場のそばの野外に、直径6メートルの大きな鉄製の輪を6つ、設置します。そして、その輪に赤い糸がからまっていく作品になります。

Q ワーグナーの「ニーベルングの指環」(※2)に寄せたインスタレーションを制作してほしい、という依頼だったそうですね。だから「輪=指環」のモチーフを選んだということですか。

A そうです。現代アーティストを紹介する企画で、特別、舞台を意識しなくていいということでした。私の今の仕事を表現してほしいということで、赤い糸を使って、「ニーベルングの指環」の「神々の黄昏」をテーマに、という依頼だったのです。いままでも、ドイツのキールの劇場でワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」や「ジークフリート」、「神々の黄昏」の舞台美術を担当したことがあったので、そういう縁で声がかかったのかな、と思います。

塩田さんがAnna Myga Kasten氏との共作で舞台美術を担当したドイツ・キール歌劇場の「神々の黄昏」の序幕から(2018年)運命の女神である3人のノルンが世界の終末を予言する。 写真:Olaf Struck © VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2602 and Chiharu Shiota

「ワーグナーさん」のメールに驚く

Q バイロイトといえば、劇場関係者やアーティストにとっては特別な場所という印象が強いです。

A ある日、何の前触れもなく自分のホームページに、発信者が「Wagner」のメールが届いたのでびっくりしました。バイロイト音楽祭の総監督であるカタリーナ・ワーグナー(※3)さんからのメールで、今回の制作依頼だったのでテンションが上がりました。バイロイトでインスタレーションを手掛けることが発表されると、間髪入れず知り合いの劇場関係者やアーティストから「おめでとう!」というメールがたくさん届いて、やっぱりドイツ人にとってはひときわ特別な存在なんだなあ、と実感しました。

Q バイロイトにはどういうイメージをお持ちでしたか。

A バイロイトに足を運ぶのは今回の制作が初めてです。ワーグナーの舞台美術を手がけたときから、周りの人たちに「ぜひ見た方がいい」と言われ、行きたかったのですが、なかなか機会がなくて。だからとても楽しみです。コロナ対策で劇場の入場者数は非常に厳しく制限されており、先日売り出されたチケットもあっという間に完売になってしまったので、本番の時は関係者といえどもまず入れないようです。ゲネプロ(※4)で何か観劇できたらいいな、と思っています。

「身近な人の死」で一変したワーグナー像

Q ワーグナーは塩田さんにとってどういう存在ですか。

A 正直、はじめは難しくてよく分かりませんでした。「トリスタンとイゾルデ」の舞台美術を担当したのが最初の出会いでしたが、メロディーを追えるような曲ではないし、音楽が自分の中に入ってこなくて、なぜ私には分からないのかなあ、と思っていたのです。そんな折り、長年病に臥せっていた父が亡くなり、また妊娠していた子どもを6か月で流産してしまうという出来事が続き、その後にワーグナーと触れたら突然、音楽が身体に沁みてきました。それまでとは全然違うものに聞こえました。身近な人の死に触れると、ワーグナーは聞こえ方が変わるのです。それからは非常に好きになりました。どこが好きというより、音楽を身体全体で受け止めているような体験です。オペラを見終わったあと、すごいものを見てしまった、という感覚におそわれます。

キール歌劇場の「神々の黄昏」(2018年) 写真:Olaf Struck © VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2602 and Chiharu Shiota

Q 今回のインスタレーションのテーマになった「神々の黄昏」はどういう作品だと感じますか。

A 暗くて深くて壮大で。言葉では表しにくいですが、やはり最後の炎上のシーンは特別です。救済がテーマですが、救うことができない人の心の闇を描いていると感じます。人を愛すれば愛するほど糸がからまって、身動きがとれなくなり、がんじがらめになって死を選択するほかなくなる、というイメージです。だからインスタレーションも輪に糸がからまっていくものになりました。

想像する力、は止まらない

Q このコロナ禍で、創作活動はどう変わりましたか。

A それまではとにかく忙しいのが好きで、何かと仕事を入れては世界中あちこち飛び回る生活でした。ところがコロナ禍で予定されていた展覧会が10会場も中止になり、最初はどうしようとか途方に暮れました。でも、ドイツの文化大臣が「こういう時だからこそ芸術を止めてはいけない」と訴え、助成金が出るなどサポートもあり、確かに歩みを止めてはいけないと思い直しました。止まったのはあくまで人間の経済活動だけで、想像する力やアイデアが止まることはないのですから。

よいこともありました。移動はできなくなりましたが、家族と過ごす時間が増えましたし、創作活動は進みました。アトリエに通ってひたすらドローイングを描き続けました。300枚までは数えたのですが、今やもう何枚描いたか分からないほどです。描けば描くほどもっと上手になりたい、という前向きな気持ちになることができました。もちろん、制約が多いとやはり落ち着かなかったり、イライラしたりすることもあります。そういうときは絵の中で暴れていました。

I hope…(2021) ケーニッヒギャラリー、ベルリン、ドイツ 写真:Sunhi Mang © VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2602 and Chiharu Shiota

ベルリンは大勢のアーティストが暮らす街なのですが、ふだんはみんなグローバルに活動しているので、めったに顔を合わせません。そうした中、たまたまベルリンのギャラリーで開催した展覧会が、開幕翌日にロックダウンで中断を余儀なくされました。とても残念だったので、会場で知り合いのダンサーさんに踊ってもらったり、詩を朗読してもらったりして、オンラインで発表しました。グローバルは難しくなりましたが、ローカルで充実することができたのはよかったです。

集積−目的地を求めて(2014/2021)展示風景:「塩田千春展:魂がふるえる」
台北市立美術館、台北、台湾、2021年
Courtesy of Galerie Templon 写真:Guan-Ming Lin ©VG Bild-Kunst, Bonn & JASPAR, Tokyo, 2021 G2602 and Chiharu Shiota

年末、那覇でもインスタレーション

Q 今後の活動予定はいかがですか。

A 今年だけで22のプロジェクトに関わる予定ですが、今後もコロナで手探りが続くと思います。国によってアーティストだと入国出来たり、できなかったりなどいろいろあります。今年も台湾やニュージーランドでは活動できました。日本でも沖縄にオープンする「那覇文化芸術劇場 なはーと」で、12月にインスタレーションを展示します。アトリエにいる時間は貴重なので、移動はなるべく減らしたいですが、現場の仕事はエネルギーがもらえるので、与えられた仕事はしっかりやっていきたいです。

(おわり)

塩田千春さん:1972年、大阪府生まれ。生と死という人間の根源的な問題に向き合い、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作する。2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞、2015年には第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。

(※1)バイロイト音楽祭:ドイツ南部バイエルン州のバイロイトで毎年夏、開催される。会場のバイロイト祝祭劇場はリヒャルト・ワーグナー(1813~1883)が自作の上演を目的に、バイエルン国王ルートヴィヒ2世の支援を得て建設、1876年に完成した。音楽祭では原則、ワーグナーのオペラのみが上演され、世界中から熱心なワグネリアン(ワーグナーの愛好家)が集まることで有名。

(※2)ニーベルングの指環:ワーグナーの代表作で、26年かけて作曲された超大作オペラ。台本もワーグナーが自ら手掛けた。「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」の4部からなり、上演には4日間かかる。世界を支配できるという指環をめぐって神々や人間らが争い、世界が崩壊するまでを描く。「神々の黄昏」の終曲「ブリュンヒルデの自己犠牲」では神々の城が炎上し、指環はライン川の底へと返される。

(※3)カタリーナ・ワーグナー:リヒャルト・ワーグナーのひ孫でオペラ演出家(1978~)。音楽祭の責任者は代々、ワーグナーの子孫やその家族が務めている。

(※4)ゲネプロ:本番同様に舞台上で行う最終の通し稽古のこと。ドイツ語のGeneralprobe(ゲネラルプローベ)の略。

(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)