【レビュー】 時代の並走者が捉えたもの 「新・晴れた日 篠山紀信」展 東京都写真美術館(東京・恵比寿)で開催中

1960年代から今日まで休むことなく、レンズを通して時代を捉えてきた篠山紀信の60年にわたる活動の全容を振り返る写真展。1974年に出した写真集『晴れた日』を軸に、116点の写真を2、3階会場の2部構成で展示している。あの日の、あの時代の、見る者がそれぞれに自分の思い入れを確かめることのできる写真が並ぶ。会場では篠山自身が執筆した『作品解説』を配布、さらに2階ロビーではインタビュー映像も公開している。
「新・晴れた日 篠山紀信」
東京都写真美術館(東京・恵比寿)
会 期 6月2日(水)~8月15日(日)
※5月18日開会の予定が、新型コロナウイルスによる緊急時代宣言のため休館。6月2日再開。
開館時間 午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)
オンラインによる日時指定予約(推奨)
休館日 月曜日(月曜が祝休日の場合は開館し、翌平日が休館)
入館料 1部、2部共通 一般1200円ほか
1部、2部の一方の場合 一般700円ほか
JR恵比寿駅東口より徒歩約7分 、地下鉄日比谷線恵比寿駅より徒歩約10分
詳しくは同美術館ホームページへ

第1部は1960年代の初期から「晴れた日」や1976年のヴェネチア・ビエンナーレにも出品された「家」、月刊誌の表紙写真など1970年代までの主要な作品で構成される。

若い才能があふれたこの時代、人形作家の四谷シモンの作品は見る人に強烈な印象を与えた。今もそのインパクトは失われていない。篠山も「魔性を秘めた作品が心を虜にした」と書いている。「パリ」は、19世紀から20世紀にかけての時期に失われた古きパリの残香を求めて、裏街を徘徊したという。

(左下)「渡辺美智男、浜田幸一 静岡市駿府会館」
(中)「土光敏夫」(右)「田中角栄」 いずれも「晴れた日」より 1974年

(右)「家」より「蔵座敷の家 山形県山形市」1975年
大規模開発により、人の住まなくなった苫小牧市東部の勇払地区の家屋。「人の気配の全くなくなった原野に点在する廃屋は絵のように静止している。素晴らしく平和で美しいのだが胸のどこかが締め付けられる」と篠山は書いている。こうした風景は日本各地で見られるようになると、当時は想像していただろうか。「蔵座敷の家 山形県山形市」は1972年から1975年まで月刊誌に連載した『家』シリーズのひとつ。蔵の中にある座敷で男性が炬燵に座っている。家を撮っても篠山は生きた人間の生活の匂いや姿を撮る。

1972年9月号から81年9月号まで月刊誌『明星』の表紙写真を担当した。当時の人気者・若いスターの笑顔を撮った写真は、絶大な支持を得た。今でも、自らの青春時代の一部として思い浮かべる人は多いだろう。
第2部は1980年代以降、バブル崩壊や東日本大震災を経て、2021年に向かい再構築される東京の姿などを捉える。

1986年から92年にかけてシリーズ「TOKYO NUDE」で、いくつもの写真技法を用い、篠山の言い方を借りれば「不思議都市“Tokyo”を視覚化」している。

(右上)「表に出ろいっ! 中村勘三郎、野田秀樹、黒木華」2010年
(右下)「同 中村勘三郎、野田秀樹、」同年
「THE LAST SHOW 」は歌舞伎座建て替えに伴う2010年の「さよなら公演」を追ったドキュメンタリー。この写真は千秋楽の最後の演目『助六由縁江戸桜』で、幕が閉じる瞬間の坂東玉三郎が演じる花魁揚巻の姿。
右は野田秀樹と今は亡き中村勘三郎、女優一人の三人芝居を撮ったもの。三人が一瞬も止まることなく狭い舞台を動き回る。「野田の芝居はこうでもしないと写りません」とのことだ。

東日本大震災の被害を撮った写真。2011年5月から4回にわたって被災地を訪れている。

塔柱最上階から撮ったレインボーブリッジ。ビルの隙間に見えるスカイツリー。新宿で生まれ育った篠山にとって、東京の街は「見慣れた光景」で違和感の無い街だったと言う。それが写真家となり外国へも行き、外からの目で見ると違和感があった。それから東京を違う目で見る、違和感のあるものを置くことで日常とは異なるものを見たい、見せたいと思うようになったと言う。最後に会見で質問に答えた一言「東京は変な街だよ」。
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)