【レビュー】「南無観音化身上宮太子」、連綿と続く太子信仰から聖徳太子と和の心を知る 聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 『聖徳太子と法隆寺』(奈良展)

聖徳太子坐像(伝七歳像)

展覧会名:聖徳太子1400年遠忌記念 特別展 『聖徳太子と法隆寺』 

 会期:2021年4月27日(火)~6月20日 (日)

       前期 4月 27日 (火) ~5月23日 (日)

      後期 5月 25日 (火) ~ 6月20日(日)

休館日:月曜休館

 会場:奈良国立博物館 (東・西新館) =奈良市登大路町50番地、 近鉄奈良駅から登大路を東へ徒歩約 15分、 JR奈良駅・近鉄奈良駅から市内循環バス外回りで 「氷室神社・国立博物館前」 下車すぐ

 観覧料:前売日時指定券 一般1800円、 高大生1200円、 小中生300円、 キャンパスメンバーズ (学生) 400円

【東京展】

2021年7月13日 (火) ~9月5日 (日) (東京国立博物館

公式サイト

散華が舞い、「南無観音化身上宮太子」※と法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町)の僧侶達の声明が会場内に響き渡る。聖徳太子の没後1400年にあたる今年(2021年)、1400年遠忌を記念した特別展『聖徳太子と法隆寺』が4月27日に奈良国立博物館で開幕した(奈良と東京で巡回)。※上宮太子は聖徳太子の別称

 太子創建と伝わる法隆寺では、4月3日~5日に「聖徳太子千四百年御聖諱法要」も行われた。「南無観音化身上宮太子」の通り、聖徳太子は観音様の化身として古代から現代まで多くの人々に信仰されている(太子信仰)。太子はどのような人物だったのか?そして、どれくらい人々から愛されてきたのか?

 「聖徳太子絵伝」全10面と「夢違観音(国宝・観音菩薩立像)」、「聖徳太子坐像(伝七歳像)」を関連付けた展示は初の奈良展、かつての絵殿の世界

奈良展では、前期展示(5月23日まで)で、太子信仰の聖地である夢殿を中心とした法隆寺東院伽藍の「絵殿」と「舎利殿」(一棟で夢殿から見て西側が絵殿、東側が舎利殿)のうち、「絵殿」の世界が再現された。

平安時代(1069年)に絵師の秦致貞(はたのちてい)によって描かれた国宝「聖徳太子絵伝」全10面は、明治11年(1878)に法隆寺から皇室に献納され、現在は東京国立博物館が所蔵している。現存する聖徳太子絵伝のなかで、最大で最古の傑作といわれる作品

聖徳太子絵伝の全10面が揃って奈良へ里帰りするのは、約100年ぶりだ。「今回意義深いのは、かつて絵殿に安置されていた『夢違観音(国宝・観音菩薩立像)』、および聖霊会の本尊である『聖徳太子坐像(伝七歳像)』と一緒に『聖徳太子絵伝』を展示させていただく機会が得られたことです」と同展覧会担当の山口隆介主任研究員は話す。

かつて法隆寺「東院伽藍」絵殿(えでん)に安置され、太子の命日(旧暦の2月22日)3月22日に行われる聖霊会(しょうりょうえ)で輿(輦/れん)に乗り行道する「聖徳太子坐像(伝七歳像)」。太子を表した彫像としては現存最古の像

太子の命日3月22日(旧暦の2月22日)に法隆寺で行われる聖霊会(しょうりょうえ)で輿(輦/れん)に乗り行道する「聖徳太子坐像(伝七歳像)」は、髪を角髪(みずら/上古代の子どもの髪型)に結った少年の姿をした像だ。

聖霊会の主役ともいえるこの像は、七歳の姿とされているが、実際には特定の年齢は与えられていないという。「聖徳太子絵伝」を描いた秦致貞がこの像を彩色したことがわかっており、絵殿への深い関わりがうかがえる。

かつて絵殿に安置されていた「観音菩薩立像(夢違観音)」。現在は法隆寺大宝蔵院に安置されている。

そして、もともと絵殿に安置されていた「観音菩薩立像」も少年のような姿をしていることで人気が高い像だ。夢違観音の愛称で親しまれ、飛鳥時代後期(白鳳期)の傑作のひとつ。「聖徳太子坐像(伝七歳像)」と「観音菩薩立像(夢違観音)」は奈良展で通期展示される。

 夢殿で救世観音像に寄り添う、法隆寺の太子信仰の立役者

太子が創建した大阪・四天王寺の本尊を模刻した古い作例。重要文化財「如意輪観音菩薩半跏像」(平安時代、法隆寺蔵)。四天王寺の本尊は現存しないが、平安時代以降、聖徳太子を観音の化身とする信仰により多くの模刻が制作された。

太子は、その死後から観音の化身として信仰されるようになり、平安時代には、太子信仰が盛んになった。

 法隆寺の太子信仰の立役者として忘れてはならないのが、行信僧都(ぎょうしんそうず)だ。現在の法隆寺は、金堂や五重塔を中心とした世界最古の木造建築群で知られる西院伽藍と太子信仰の聖地である夢殿を中心とした東院伽藍がある。

国宝「行信僧都坐像」 (奈良時代 8世紀、奈良・法隆寺蔵、奈良展・東京展ともに通期展示)

 この東院伽藍は、もともと太子が住んだ斑鳩宮跡。太子の死後に荒廃した斑鳩宮の跡地を見て嘆いた奈良時代の僧・行信は、阿倍内親王(後の孝謙天皇)に申し出て、東院伽藍を興し、夢殿に「救世観音像」を安置したと伝えられている。絶対秘仏として長らく非公開だった夢殿の救世観音像は聖徳太子のイメージを重ねた等身の像と伝わり、「行信僧都像坐像」も普段はその左脇に寄り添うように安置されている。

 様々な年齢の像や伝記絵が制作された稀有な存在

 

像内には、法華(ほけ)経、維摩(ゆいま)経、勝鬘(しょうまん)経の三つの経を納めた三連筒形など納入品があることがわかっている国宝「聖徳太子および侍者像」。(平安時代 保安2年(1121)、奈良・法隆寺蔵、奈良展・東京展ともに通期展示)まるで日本における釈迦のような存在として、篤く信仰されてきた太子。人々の太子への思いは、2歳の姿、16歳の姿(孝養像/きょうようぞう)など様々な年齢の像や伝記絵が制作されたことでもわかる。平安時代に太子の500回忌に制作された法隆寺聖霊院(しょうりょういん)の秘仏本尊である国宝「聖徳太子および侍者像」は、27年ぶりの寺外公開となった。

聖徳太子立像(二歳像)(奈良 法起寺(ほうきじ)蔵)。法起寺は聖徳太子建立の七か寺のひとつといわれ、太子が法華経を講説したと伝わる岡本宮を息子の山背大兄王(やましろのおおえのおう)が寺院に改めたとのが始まりとされる

太子2歳の春(釈迦が入滅した旧暦2月15日)、東を向いて合掌し「南無仏」と唱え、合掌した手のひらからは仏舎利(釈迦の遺骨、実際は米や貴石など)がこぼれ落ちたという。このような超人的な逸話を伝える作品が数多く残っている。

超人的だが実在した人物として

太子信仰として、敬われてきた存在であることから、どうしても超人的エピソードが先立つ聖徳太子だが、実在した人物であったと肌で感じる作品も多い。本展覧会で注目されているのが「夾紵棺断片(きょうちょかんだんぺん)」だ。

 

夾紵棺断片 (飛鳥時代 7世紀、大阪・安福寺蔵、奈良展・東京展ともに通期展示)

近年、太子の棺の可能性があるとして、太子の廟(墓)がある大阪・叡福寺の棺台を明治期に計測したサイズと安福寺の夾紵棺断片とが重なったとする研究が発表されている。5月25日の後期展示からは、宮内庁所蔵の御物「法華義疏(ほっけぎしょ)」が登場。太子直筆と伝わっており、筆跡から人柄を想像するのも楽しい。

国宝 薬師如来坐像と脇侍2軀の観音菩薩像(飛鳥時代 7世紀、奈良・法隆寺蔵、奈良展・東京展ともに通期展示)

「厩戸皇子」「上宮厩戸豊聡耳太子」など、様々な名称、尊称で記されてきた太子だが、西院伽藍の金堂東の間の本尊・国宝「薬師如来坐像」の光背裏面銘文には、用明天皇が自らの病気平癒のために寺を造ろうとしたが果たせず、推古天皇(小治田大宮治天下大王天)と聖徳太子(東宮聖王大命)が寺と薬師像を完成させたと由緒が記されており、その銘文も本展覧会で確認することができる。

国宝「薬師如来坐像」の光背裏面銘文

遠い歴史上の伝説的存在と捉えられがちだった太子。だが、展示作品を眺めると、実際に存在し、信仰として今も生き続ける私達の身近な存在でることに改めて気付かされる。

 (フリーライター いずみゆか)

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