NEW

類稀なコレクションが初めて全貌を現わす 「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」 東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)

(左)北野恒富 《道行》1913(大正2)年頃   (右)寺島紫明《鷺娘》1938(昭和13)年  大正期は妖艶な女性像が流行していた。その中でも《道行》は道ならぬ恋に身を捧げた男女の悲劇を暗示させる絵で、「屛風を自宅に運び込み、毎晩、飽かず眺めて暮らした」と書くほど、福富は惚れ込んだ。

427日から当面臨時休館

「昭和のキャバレー王」と呼ばれた福富太郎は、近代日本絵画の屈指のコレクターでもあった。画家が有名かどうかではなく、未評価の画家でも自らが良いと信じる作品を幅広く集めた。その類稀なコレクションが初めて全貌を現わす。

「コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画」 

東京ステーションギャラリー(東京駅丸の内北口)

会期(当初予定)4月24日(土)~6月27日(日)

開館時間   午前10時~午後6時(入館は午後5時30分まで)

休館日    月曜日(5月3日、6月21日は開館)

入館料    一般1200円ほか 中学生以下無料

詳しくは同ギャラリー

 

福富太郎(本名・中村勇志智=なかむらゆうしち)1931年生まれ。16歳でキャバレーのボーイとなり、やがて独立して全国に44店のキャバレーを展開した。絵画のコレクターとしても有名で、美術評論家でこの展覧会の監修者でもある山下裕二氏は「間違いなく戦後最高のコレクターだ」と評している。テレビやラジオにも出演、美術関係の著作でも有名だ。

展示はⅠ「コレクションのはじまり」、Ⅱ「女性像へのまなざし」、Ⅲ「時代を映す絵画」の3部と「特別出品」で、80点を超える作品が並ぶ。

鏑木清方《薄雪》1917(大正6)年、福富太郎コレクション資料室 ©Akio Nemoto2021/JAA2100015

Ⅰ 原点は鏑木清方の絵

福富が絵画を集めるようになった原点は1945年、13歳の時に空襲で父が大切にしていた鏑木清方の掛軸が家と一緒に焼けてしまったことだ。東京オリンピックが開催された1964年頃から清方の作品を蒐集し始める。《薄雪》は福富が入院していた時に病室に飾っていた絵。翌年蒐集した清方の絵を携えて清方邸を訪れると、清方は戦災で焼けたと諦めていたのでとても喜び、福富から借りてしばらく手元に置いていたという。二人が執着した気持ちが分かる。

鏑木清方《妖魚》1920(大正9)、福富太郎コレクション資料室 ©Akio Nemoto 021/JAA2100015

1920年の帝展に出品された作品で、発表当時は毀誉褒貶が渦巻いたという。この時期の日本画では妖艶な女性像が流行していたことが分かる作品。会場で見ると並んだ清方の作品の中で異彩を放っている。

Ⅱ 存在感のある女性像

福富コレクションの核は近代日本画の女性像。それはただ「美しい」ではなく、時代の中で懸命に生きた存在感のある女性像に惹かれるのだという。それを意識して会場を見直すと、違った風景が見えるかも知れない。また、梶田半古(はんこ)、渡辺省亭(せいてい)、富岡永洗(えいせん)、鰭崎英朋(えいほう)、小村雪岱(せったい)といった、当時はあまり顧みられることがなく、近年になって再評価が進む画家の作品を多く集めている点も注目したい。知名度が低くても絵の質は高い。世の評価にとらわれず、自らの眼を信じた福富の姿勢が現れている。

(左から)渡辺省亭《幕府時代仕女図》1887(明治20)年頃   同《塩冶高貞之妻》1892(明治25)年頃  同《塩冶高貞妻浴後図》1892(明治25)年頃

渡辺省亭は1878年に日本画家として初めてフランスに留学し、ロンドンで個展を開き好評を博した。しかし、晩年は展覧会の審査のあり方に疑問を持ち、画壇とも距離を置いたため次第に忘れられていった。鏑木清方は省亭を評価し、自宅に省亭の掛軸を飾っていたという。

(左から)池田蕉園《宴の暇》1909(明治42)年   池田輝方《お夏狂乱》1914(大正3)年   鰭崎英朋《生さぬ仲》1914(大正3)年頃

池田蕉園(しょうえん)1886(明治19)年、東京神田生まれ。同門の池田輝方(てるかた)と結婚し、オシドリ画家として知られたが早世した。蕉園の名は上村松園にあやかって師匠が付けたもので、清方もその才能を「(松園と)二人は美人画と称するジャンルを代表する同時代の珍しい女流作家として長く尊重されるべきである」と評価している。夫の輝方も30代後半で世を去り、福富が蒐集を始めた頃は池田夫婦の名は埋もれ、絵を求める人もいなかったという。鰭崎英朋も後半生は展覧会から遠ざかり世間から忘れられていく。福富は、英朋描く女の顔は清方のそれと同じくらい好きだと、その魅力を語っている。

(左)竹久夢二《かごめかごめ》1912(大正元)年 (右)小村雪岱《河庄》1935(昭和10)年頃

《かごめかごめ》は大正ロマンを代表する竹久夢二の絵で、福富の母は夢二のファンだったと言う。福富も幼少時に家にあった絵葉書などで見ている。歌舞伎の人気演目の一場面を描いた《河庄》。大胆な俯瞰構図で描かれた二人にほとんど動きが無いのに緊張感がある。二つの絵が並ぶと対比が面白い。

上村松園《よそほい》1902(明治35)年頃、福富太郎コレクション資料室
(左から)島成園《春の愁い》1915(大正4)年頃  同《おんな》1917(大正6)年  同《春宵》1921(大正10)年

成園(せいえん)は大阪・堺の生まれで、同時期に活躍した京都の上村松園、東京の池田蕉園とともに「三都三園」と称された。島の女性像はいわゆる美人画とは異なる広がりを持っている。福富は「成園の美人画は、新しい時代の女を感じさせるからだ」と語っている。それぞれの絵の表情に大阪という土地が育んできた情緒が漂っているようだ。

Ⅲ 知られていない洋画のコレクション

美人画のコレクションで知られる福富だが、実は洋画も重要な作品を多数所蔵している。

(左)川村清雄《蛟龍天に昇る》 1891(明治24)年頃   (右)中村不折《落椿》1912(明治45)年

《蛟龍天に昇る》は売りに出ているという情報を得て、画商に電話をかけまくって手に入れたと言う。川村はこの絵は勝海舟に納めた絵だと語っている。《落椿》はまだヌードがタブー視されていた時代の作品。

岡田三郎助《ダイヤモンドの女》1908(明治41)年、福富太郎コレクション資料室

岡田は東京美術学校教授を務めるなど、黒田清輝を継ぐ洋画界の本流の人。絵のモデルは日本橋芳町の名妓で「これぞ明治の美人といった風貌で」と福富。洋画界の大家だからではなく、純粋に絵に惚れ込んで購入したことが察せられる。

(左から)宮本三郎《少年航空兵》1942(昭和17)年頃  向井潤吉《影(蘇州上空にて)》1941(昭和16)年  中村研一《青年航空士官(レイテ突撃前夜)》1945(昭和20)年 いずれも東京都現代美術館蔵(福富太郎氏・中村くみ子氏寄贈)=特別作品

幼い時に戦争を経験した福富は戦争画を積極的に蒐集した。長くタブー視された戦争画を集めようとしたのは、このままでは所在不明のまま消失してしまうという危機感からで、一種の使命感のようなものだったようだ。

 

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

直前の記事

新着情報一覧へ戻る