【レビュー】雌伏の時、歩みを止めず 「さまよえる絵筆 東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展 板橋区立美術館

さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち
会期:2020年3月27日(土)~5月23日(日) (月曜休館、5月3日は開館、5月6日は休館)
会場:板橋区立美術館(東京都板橋区、都営三田線西高島平駅から徒歩約13分、都営三田線高島平駅・東武東上線成増駅からバス「区立美術館」下車)
観覧料:一般650円、高校・大学生450円、小・中学生200円(土曜日小中高生は無料)

先の大戦のさなか、東京や京都を拠点とする前衛画家たちが厳しい時代状況の中、新しい表現を求めて「古典」や「伝統」に足場を置き、様々なチャレンジを続けた歩みを紹介する展覧会だ。軍部による言論や表現の統制強化の下であっても、粘り強く芸術の可能性を模索した先人の姿は、ぜひ記憶にとどめたい。構成と主な作品を紹介する。
第1章 西洋古典絵画への関心


日本におけるシュルレアリスム絵画の主導者とされる福沢一郎(1898-1992)。フランスで学び、1931年に帰国した後は古典絵画のモチーフを用いて、社会風刺の要素を含んだ作品を描くなどした。「女」は初期ルネサンスの画家、マザッチオの《楽園追放》を引用していると指摘され、楽園から追放されたイヴを思わせる。この作品制作のきっかけは、1935年の満洲旅行という。「地上の楽園」と喧伝された満州国の実情を目の当たりにした福沢が、「そのありさまを旧約聖書の世界に置き換えて描いたと解釈できる」と同美術館の弘中智子学芸員は言う。福沢はその後、シュルレアリスムと共産主義の関係を疑われて治安維持法違反の容疑で逮捕(1941年)され、美術界に衝撃を与えた。


福沢の元に通っていた小川原脩、杉全直らシュルレアリストの影響を受けた作家たちも、1940年ごろから次第に西洋古典絵画に関心を寄せるようになったという。「その隠れ蓑を使いながら、彼らは日本の戦時下の社会状況を描こうとした」(弘中智子学芸員)。
第2章 新人画会とそれぞれのリアリズム
1943(昭和18)年に、靉光、麻生三郎、糸園和三郎、井上長三郎、大野五郎、鶴岡政男、寺田政明、松本竣介の8人で結成されたグループ。3回開いた展覧会では静物画、人物画、風景画などが出品され、戦争を題材とした作品がもてはやされる時局にあって、異色な内容だった。


時代を超えた力強さと説得力があり、引き込まれる。戦時下にあえてこうした題材を選んだ彼らの心境を思う。応召された靉光は戦後まもなく惜しくも大陸で病没するが、麻生は戦後も「人間」を描き続けた。
第3章 古代芸術への憧憬
1937年に結成された「自由美術家協会」に参加した画家たちの作品を紹介する。作風は様々だが、画家たちの間には「古典」や「古代」へのあこがれが共通のテーマとしてあった。日本の社会全体が国粋的になっていく状況の中で、彼らは古代ギリシアや日本古来の仏像、埴輪など、さらに基底なものに美を見出していったようだ。


第4章 「地方」の発見
戦中、たびたび東北地方をめぐった吉井忠(1908-1999)の膨大な記録の一部を紹介する。1941年9月から44年10月まで故郷の福島はじめ、岩手、青森、秋田、山形、宮城と精力的に各地を取材した。福沢一郎の逮捕などを契機に、前衛画家たちは今までとは違う表現の形を見つけることを迫られた。吉井の場合、東北の風土や人々、その暮らしが新しいモチーフになった。



第5章 京都の「伝統」と「前衛」
1937年前後に、北脇昇(1901-1951)を中心に京都でシュルレアリスムの運動が盛り上がる。官憲による言論統制が強まる中、彼らが模索した表現の形を追う。



俳諧の連句を思わせる共同制作も行われた。1937(昭和12)年の「浦島物語」は、ストーリーの各場面を割り振られた14人のアーティストが、与えらえた「命題」を作品化した。



表現の自由が大きく制限される中で、拠り所を求めてもがいたアーティストたちの姿には胸を打たれるものがある。戦時下でも前衛芸術の火は消えることなく、彼ら培ったものが戦後アートの礎になったことは、本展に登場した錚々たる顔ぶれを見れば言うまでもない。
いつであっても何ら制約を受けない芸術表現はありえず、現代もコロナ禍で数多くの表現者が厳しい条件下で制作を続けている。そういった意味でも普遍性のあるテーマともいえる。振り返られることの少ない時代とジャンルを追った価値ある展覧会だけに、多くの方に見てほしいと思う。同展については同美術館ホームページへ。
(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)