【プレビュー】日本の洋装の軌跡を克明に、多角的に 「ファッション イン ジャパン」展 島根県立石見美術館で3月20日から

ファッション イン ジャパン 1945‐2020―流行と社会

2021年3月20日(土・祝)~5月16日(日) 火曜休館、5月4日(火)は開館 

島根県立石見美術館(島根県益田市、JR益田駅からバス5分、萩・石見空港から約6キロ)(6月9日から国立新美術館=東京・六本木=に巡回)

観覧料:一般1200円、大学生600円、小中高生300円

戦後から現代まで、国際的にも高い評価を得てきた日本のファッションの歴史を衣服だけでなく、当時の写真や映像、雑誌、音楽なども交えて紹介する大規模展。洋服を中心とする日本のファッションをその黎明期から振り返る試みは世界初。全体の構成もユニークで、デザイナーから提案された服やスタイルだけでなく、消費者の動向にも注目し、ファッションの担い手双方の視点から展開される。コロナ禍で一年近く延期された展覧会は、豊富なファッション関係のコレクションで知られる島根県立石見美術館でスタート、夏にはファッションの発信地、六本木に位置する国立新美術館へと巡回する。

時代を追って展示を紹介する。

【プロローグ 1920年代―1945年 和装から洋装へ】

師岡宏次《銀座の女性》1935年 東京都写真美術館蔵
《唐草模様銘仙もんぺ》1940年代 橋本晴男コレクション 撮影:山﨑信一

明治期に入ると近代化政策の一環として洋装が取り入れられるが、和服は依然、装いの中心だった。1920年代以降、大量消費社会を迎えた都市には「モダンガール」が現れて様々なメディアに登場、その存在が注目を集めた。戦時下、女性にはもんぺが普及した。

【1945-1950年代 戦後、洋装ブームの到来】

戦後、洋装学校で洋服の仕立てを習うことが流行。そこで学んだ女性たちが、洋装雑誌やスタイルブックを参考に洋服を自作するようになり、全国に普及した。50年代後半、映画が黄金時代を迎え、「真知子巻き」や「太陽族」ファッションなど、現代にも脈々と続く映像メディアを発信源とする流行が始まった。

森英恵《アロハシャツ(映画『狂った果実』衣裳)》1956年 日活株式会社蔵 撮影:杉本和樹
長沢節《女性像(赤いコート)》1950年代 セツ・モードセミナー蔵
中原淳一《サーキュラースカート「つぎはぎのたのしさ」》 1957年 ひまわりや蔵 (C)JUNICHI NAKAHARA/HIMAWARIYA 撮影:岡田昌紘

石見展のみ展示の中原淳一のスカート。時代を超えたセンスに目を奪われる。

【1960年代 「作る」から「買う」時代へ】

好景気で中産階級が膨らみ、消費拡大が起こる。64年の東京五輪を契機に家庭にはカラーテレビが普及、映画に代わってテレビの発信力が高まる。上質な既製服の大量生産が可能になり、洋服は仕立てるものから購入するものへと変わった。ロンドン発の若者文化が日本に飛び火し、ミニスカートや濃いアイメイクなどが流行。若い男性にはアメリカの大学生を模した「アイビー」が広がった。

森英恵 《赤いバラ柄のイヴニングドレスとロングガウン》1970年代  撮影:岡田昌紘
※石見展のみ展示

戦後、長く活躍する森英恵が国際舞台に華々しくデビューしたのもこの時代。

【1970年代 個性豊かな日本人デザイナーの躍進】

海外コレクションに若手日本人デザイナーが登場し、大活躍する。東京では気鋭のデザイナーが「TD6(トップデザイナー6)」を立ち上げ、「フォークロア」や「ユニ・セックス」など個人を尊重する多様な装いを発信した。60年代後半以降、学生運動が激化。民主主義の象徴としてTシャツやジーンズが大流行した。原宿は若者の街に、雑誌『アンアン』の創刊も新時代の訪れを印象付けた。

ad 川原司郎、d 松田敬一、c 吉田晃・田中収三、p 飯塚武教、adv 日本国有鉄道《ディスカバー・ジャパン no.4「金沢・旧市内」》1971年 アドミュージアム東京蔵
鋤田正義/Kansai Yamamoto×デヴィッ ド・ボウイ/1973年

【1980年代 DCブランドの最盛期】

日本の経済成長が頂点を極めた80年代、「感性の時代」という言葉が流布。それに呼応するように、デザイナーの個性を打ち出した日本の衣類メーカーブランド、「DCブランド」を身にまとう人たちが街にあふれた。スポーツ・ウェアやボディコンシャスなシルエットも流行。低価格で高品質を追求するブランドも登場するなど、ファッションは多様化。85年には国内32ブランドが参加した「東京コレクション」が開催され、日本発のファッションは一層、熱を帯びた。

広川泰士《KOHSHIN SATOH×マイルス・デイヴィス》1988年
ジュンコシマダ《88-89AW》1988年 撮影:Guy Bourdin
《変形学生服(短ラン、ボンタン)》1980年代 児島学生服資料館蔵 撮影:岡田昌紘

ある意味、一世を風靡した変形の学生服も懐かしい。こうした展示も楽しみ。

【1990年代 渋谷・原宿から発信された新たなファッション】

バブル崩壊後、「街」から多くのファッションが生み出された。原宿のキャットストリートに並ぶ人気店のファッションを取り入れた「裏原系」や、渋谷を中心とした女子高生ブーム、特定の音楽動向がグルーピングされた「渋谷系」など、主役は街の若者。インターネット普及前夜の90年代後半は、ストリートスナップ専門誌やコギャル向けなど、対象を細分化した雑誌が誕生。おしゃれな読者モデルが紙面を通じて影響力を持ち、ファッションリーダーとなっていく。メディア史としても興味深い時代だ。

ア ベイシング エイプⓇ《1ST CAMO SNOWBOARD JACKET》1990年代後半 A BATHING APEⓇ蔵
《『FRUiTS』8月号No.13 表紙》1998年 ストリート編集室発行 個人蔵

【2000年代 世界に飛躍した「Kwaii」】

ストリートの動向が同時代のデザイナーにインスピレーションを与え、日本発の「Kawaii」カルチャーが新しいファッションとして世界でも認識されるようになる。原宿を中心に、ビジュアル系バンドが牽引した「ゴシック系」や「ロリータ」など、西洋にルーツがあるファッションを独自に解釈したスタイルや、「モテ」を意識した服装が流行した。長引く不況の影響で、安価なファストファッションが普及。誰もが気楽に人気のスタイルを身に着けることが可能になった。

BABY, THE STARS SHINE BRIGHT《はわせドールワンピース》2004年 BABY, THE STARS SHINE BRIGHT蔵
廣岡直人《ボーダーダメージモヘアニット,チェックボンテージパンツ》2002年 h.NAOTO蔵

【2010年代 「いいね」の時代へ】

東日本大震災、福島第一原発事故、そして景気低迷とダメージが深まる中、環境負荷と経済負担の少ない「サステナブル(持続可能)」な社会への指向が強まった。丁寧な日常を重ねる「くらし系」と呼ばれるライフスタイルや、限りなくシンプルなファッション「ノームコア」が登場。ファストファッションはさらに存在感を増す。インターネットを介したやりとりが定着し、互いに小さな共感を求めあう生き方が一般的に。

山下陽光《ワンピース》2020年 途中でやめる 個人蔵
Mame Kurogouchi《ジャケット、ニット、スカート、ソックス、バッグ、シューズ》2020年秋冬 Mame Kurogouchi

【未来のファッション】

SNSの普及で都会と地方、日本と世界の距離が縮まり、誰もが情報発信/受信を行うことができる社会が到来した。ウェブ上で衣類を購入できるようになり、消費サイクルが加速する一方で、サステナブルを意識しないモノづくりも成り立たない時代。そこに登場したコロナ禍。全世界が未曽有の混乱に直面する中、日本のファッションは、これから世界に何を提示できるのか。

山縣良和《ドレス》writtenafterwards 11th collection 「After All」より 2020年春夏 writtenafterwards蔵 Photo by Yuji Hamada
コズミックワンダー《かみのひかりのあわ 紙衣》大麻の繊維と野草の破片を混ぜた手漉き和紙・こんにゃく加工、2015年、コズミックワンダー蔵 撮影:仲川あい

コロナ禍で世界が混乱し、将来が見通せないからこそ、時代を先駆けるファッションの存在意義は一層、深まるのかもしれない。島根から始まり、東京へと進む同展。地域を超え、過去を振り返り、未来を予見する催しの盛り上がりに期待したい。詳しくは同展ホームページへ。

(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)

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