【レビュー】時空を超える美のテーマパーク 貴重なリアル体験 「絵画のドレス|ドレスの絵画」展 東京富士美術館

神戸ファッション美術館×東京富士美術館 コラボ企画
絵画のドレス|ドレスの絵画
2021年2月13日(土)~5月9日(日)、月曜休館
東京富士美術館(東京都八王子市、JR八王子駅北口・京王八王子駅からバス。「創価大正門東京富士美術館」で下車)
入場料金:大人1300円、大高生800円、中小生400円

西洋のドレスやアクセサリー類の優れたコレクションで知られる神戸ファッション美術館(神戸市)と、西洋絵画とりわけ18世紀から20世紀の作品で指折りの収蔵品を誇る東京富士美術館(八王子市)という東西の有名館がコラボレーション。フランスをメインに、各時代を代表する絵画と完成度の高いマネキンがまとう貴重なドレスをはじめ、オーセンティックな家具、小物、映像などを一体に展示することで、本格テーマパーク顔負けの臨場感豊かな空間が出現した。美術やファッションに関心がある方はもちろん、映画やミュージカル、テーマパークが好きな方も大いに楽しめるだろう。社会情勢とファッションの関係、ジェンダーの移り変わりなど学びも多い。時代別の4つのセクションごとに見どころを紹介する。(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)
<Chapter1 18世紀―貴族文化の興隆>

このコーナーで、観覧者を最初に出迎えてくれるのがこのドレス。製作から300年近いというのが信じられない艶々とした生地の美しさに驚く。入念に化粧を施された上品なマスクのマネキンがリアル感を高め、一気にドレスと絵画の世界に入り込む。神戸ファッション美術館の浜田久仁雄学芸員は「『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンをイメージして顔を作りました」という。時計やタンスも18世紀に作られたもので当時の時代様式を伝えている。
18世紀のフランスでは、ルイ十五世、十六世の治世下で貴族文化は華やかさを増した。《ローブ・ヴォラント》はこの時代に流行したガウン形式の衣装。スカートの腰枠を広げる「パニエ」という道具を用い、歩くと軽やかに揺れ動いたことから、「翻る」という意味の「ヴォラント」という名前がついた。
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ロココ期の貴族男性の一般的な衣装。17世紀末フランスでは、細見の上着のジュストコール、その下に着る袖付きのヴェスト、膝丈のキュロットからなる三つ揃いのスタイルが確立され、現代の紳士服の原型となった。18世紀になるとジュストコールはアビと呼ばれ、ヴェストからは袖がなくなりジレと呼ばれるように。アビやジレには金糸や銀糸、シークイン(スパンコール)などをあしらった美しい刺繍が施された。サラリーマンの「制服」の原型はこんなに華やかだったのか、という感慨も湧く。


ルイ15世様式の装飾家具(奥左)や、ロココ様式の置時計(同右)(いずれも東京富士美術館蔵)を前に着飾った紳士と淑女が向かい合う。どんな場面で何の話をしているところなのか、といろいろな想像が膨らむ。《ローブ・ア・ラ・フランセーズ》は18世紀に流行した《ローブ・ヴォラント》が変形し、両脇はウエストに沿い、スカート部分はより大きく左右に張り出す。前面に縁飾りなどの装飾が加えられた。1750年頃、フランスの宮廷衣装に正式採用された。
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舞台の一場面のようなひときわ豪華な3人の男女。うず高く盛り上げたかつらが目を引く。髪の薄かったルイ13世が広めたとされ、ルイ14世の時は不可欠なものとして定着。マリー=アントワネットの影響で高く結い上げた髪型がエスカレートし、高さ100㌢以上に巨大化したものや、軍艦の模型を載せたものまで登場したという。女性の付けぼくろも印象的。肌を白くみせるために17世紀後半から18世紀にかけて流行した。星や月、ハート、十字架など様々な形があり、つける位置にも意味があった。目尻なら「情熱家」、頬の真ん中は「男好き」、鼻の下は「恥知らず」など。
3人の顔の造形には「設定」もある。革命の近い18世紀パリの貴族社会を描いた映画「危険な関係」(1988年版)のジョン・マルコビッチ、グレン・クローズ、ミシェル・ファイファーをイメージして作ったという。実物を見たら、そこはかとない緊張関係が感じられるかもしれない。
会場には扇などの小物も展示されている。こちらの華やか造形も必見。
<Chpter2 19世紀前半―フランス革命とナポレオンの台頭>
激動の時代がやってくる。1789年に始まったフランス革命で貴族社会は危機に陥り、市民主体の社会への移行が始まる。ナポレオンの登場と失脚でヨーロッパ全体の社会情勢も流動的に。フランスは王政復古、第二帝政とめまぐるしく体制が変わり、不安定な状態が続いた。
こうした状況をふまえてアートの世界では自由なロココ絵画から厳格な新古典主義に。ファッションもドレスはそれまでの豪奢なものから、簡素なシルエットの「シュミーズ・ドレス」が席巻する。さらにイギリス趣味やロマン主義の影響を受けて、袖やスカートを膨らませた「ロマンティック・スタイル」が出現する。


大仰な前の時代のドレスからぐっとスポーティーになり、現代に一気に近づいたように感じる。実物と比較しながら見ることで、当時の絵画作品でも生地のニュアンスをいかに正確に描こうと努力していたかが分かる。シンプルなシルエットが特徴だが、素材のモスリンは薄地でヨーロッパの冬を過ごすには薄すぎたため、風邪や肺炎で命を落とす女性が急増。「モスリン病」とも言われた。その後、防寒対策としてショールや、スペンサーといわれる腰から上にまとう上着、ルダンゴトといわれるコートの一種がもてはやされた。
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1820年代半ば、それまで胸元まで上がっていたドレスの切り替え位置が、自然なウエストラインまで下りてきた。なだらかな肩線、大きく膨らんだ袖、細いウエスト、釣鐘型に膨らんだスカートを特徴とする《アフタヌーン・ドレス》。可憐で無邪気でかよわい女性を理想とする、当時のロマン主義の影響が現れている。ジェンダーの変遷が絵画やドレスの造形に見て取れる。
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続くナポレオンのコーナーも見応えじゅうぶん。誰もが知るあの場面の衣服をリアルに復元した作品。絵画と併せて鑑賞できる。




1804年12月2日の戴冠式の際、皇帝ナポレオン1世と皇后ジョゼフィーヌが着用した大儀礼服を再現した衣装で、制作にあたったアトリエ・ブロカールは、戴冠式の衣装の刺繍を手がけた「メゾン・ピコ」の直系にあたる。赤いベルベットのマント、白テンの毛皮、金糸刺繍といった伝統的な宮廷衣装の要素を取り入れつつ、直線的で簡素なシルエットを特徴とする「エンパイア・スタイル」のドレスにより、新しい時代の到来を印象づけた。
再現にあたってはナポレオンとジョゼフィーヌの身長や体格まで調べ、史実に忠実なものを心がけたという。ナポレオンの身長は諸説あるが、この衣装を着けたマネキンは威圧的にさえ映り、衣装というものが持つ効果を感じることができる。神戸ファッション美術館の依頼で作られた作品で、同館のコレクションの目玉の1つ。東京富士美術館のコレクションと併せて展示されることで、新しい魅力を引き出されている。
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なお、展示室各所にはモニターが設置されており、神戸ファッション美術館が1996年に製作した短編映画が流されている。ヴェルサイユ宮殿などで実際にモデルにドレスを着せて演技をさせた本格的な内容で、こちらも展示のドレスや絵画を一層、引き立てている。

<Chapter3 19世紀後半―市民生活の発達>
1852年、フランスではナポレオン3世が即位し、翌53年に皇后ウジェニーと結婚。ナポレオン3世の治世下で工業は発展し、パリは近代都市へと生まれ変わった。市民生活も豊かになり、休日はスポーツやレジャーに興ずるようになる。衣料品の大量生産も可能になり、デパートが登場。ファッション界ではデザイナー主体にドレスを発表し、販売する形態が確立された(オートクチュール)。絵画ではマネ、モネ、ルノワール、モリゾらが登場、印象派が大きなトレンドとなる。ドレスでは新たにスカートを釣鐘型にした「クリノリン・スタイル」が流行。1870年代になるとスカートの後ろ側だけを膨らませた「バスル・スタイル」が屋内外で着用されるようになる。


1830年以降、スカートは膨らみ続け、50年代に入って鋼鉄製の輪が縫い込まれたクリノリンという下着が考案されると、ボリュームを持たせることが簡単になり、直径2メートルを超えるものが出現するなど、1865年ごろには最大になった。間近でみると豪華さに加えて、あまりの大きさにあぜんとする。実際、劇場では椅子に座れない女性が続出したという。一方、こうした特殊な構造を可能にした背景には織物生産効率の向上、染色技術の発達、ミシンの実用化など産業革命の進展がある。ドレスひとつにも時代状況が反映する。
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この《ウエディング・ドレス》のコーナーは実物のドレスと絵画の中の衣装がよく似ていて、併置されるとそれぞれの印象が一層強まる。ミラーやチェストも絵と似ているものを配置する凝りようだ。スカートの広がりは1860年末ごろから収束し、19世紀後半になると、後ろ腰の膨らみを強調するスタイルに変化した。これを腰枠の「バスル」にちなんで、「バスル・スタイル」という。ドレスに縫い止められているオレンジの造花は多産の象徴といい、ひだやフリルがたくさんついていて愛らしいが、当時の女性に期待されていることも意外と露骨にデザインに現れる。
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マネの作品をテーマにしたこちらの2点もよく似ていて、効果抜群。生地の美しさやドレスの造形を描ききったマネの技量の高さがよく分かる。プロムナード・ドレスはバスル・スタイルのワンピースで、ウエストの切り替え位置がやや下がり、前身にはたくさんのボタンが並ぶ。この時期のドレスは目的に応じて細分化されており、上流社会の女性は1日のうち何度も着替える必要があった。また外出の際、パラソルはアクセサリーとして欠かせないものだった。女性の装いについては、この時代になっても様々なレギュレーションが存在していた。
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メンズ・スーツは色彩や装飾性がなくなり、仕立ての良さやディテールの違いを重んじる方向に。簡略になって市民階級にも普及した。女性の「アフタヌーン・ドレス」もバスル・スタイルだが、全体的には簡素なスタイルが好まれるようになった。これらの洋装は開国後の日本にも入り、鹿鳴館などの社交場で実際に着用されていたという。女児のワンピースはよそ行きなら現代でも違和感がないだろう。

展示されているこの時期の絵画。上流階級の女性の衣装であっても、比較的気楽に着られそうで、シンプルな造形なものが増えてくる。
<Chapter4 20世紀―服飾・絵画芸術の多様性>
20世紀初頭、アール・ヌーヴォーが人気を博し、絵画やドレス、家具などが互いに影響しあいながら定着する。ドレスの世界では、オートクチュールのデザイナーのポール・ポワレがコルセットからの脱却を掲げ、女性のフォルムを生かした斬新な衣装が生み出された。



スカートの腰の膨らみは1890年までに消え、朝顔の花を伏せたようなフレアースカートが主流になる。一方で、コルセットはまだ女性の必需品で、この時代は胴だけでなく、腹部と腰の半ばまで覆う丈の長いものになり、豊かに張り出した胸と腰を形成した。横からみると流れるようなS字のラインになり、アール・ヌーヴォーの造形的特徴と一致している。ドレスの後ろにある卓上シャンデリアも植物の形状を生かしたアール・ヌーヴォーの様式で、ディテールにこだわった展示だ。
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締めくくりの展示も豪華だ。20世紀の歴史的ドレスがまとめてディスプレイされている。ポール・ポワレやココ・シャネル、クリスチャン・ディオール、バレンシアガなどのファッション写真とも併せて、自由闊達なデザインを楽しみたい。

20世紀初頭に「脱・コルセット」を掲げ、女性の身体を解放したパイオニアとされるポワレ。当時流行の異国趣味を取り入れ、オリエンタルなスタイルなドレスも手がけた。

こちらも新時代の女性像を創出したシャネル。それまで下着の素材としてしか使われなかったジャージーをドレスに取り入れ、動きやすさを実現。実用性と機能性に優れ、現代まで支持されるシャネル・スーツの原型になった。
<おわりに>両美術館は長年、作品の貸し借りなどで活発な交流があり、コレクションの親和性があることから、以前からこうした催しの可能性を模索していたという。神戸ファッション美術館の浜田久仁雄学芸員は「数百年前のドレスが良い状態で残るのは奇跡に近く、たくさんの方に見ていただく価値がある」とした上で、「ファッションは衣服だけでは成立せず、当時の人体と時代、場所が再現されて、はじめて満足いくファッション史として記憶されるもの。時代をさかのぼるにはマネキンに当時のメイクとヘアメイクをほどこし、帽子や靴、小物やインテリアなどをそろえるのに加えて、優れた絵画とのコラボレーションが不可欠だった」と言う。
一方、東京富士美術館の宮川謙一学芸員は「見慣れた自館のコレクションであっても、同時代のドレスや家具などと並べることで一層、作中の人物が生き生きと見えてくるのは驚きと感動の連続だった。画家がいかに衣服を描くことに技巧とエネルギーを注いでいたのか、という事も本物のドレスと比較することでよく理解できた。隠れていたコレクションの価値を教えてもらった気がする」と言い、「人間がドレスとともに進化し、その歴史がとても愛すべきものであることも再認識させられた」と語る。
コロナ禍で万事リモート頼りの世の中だが、どれほど映像や写真の技術が発達しようが、こうした展示の真価を伝えることは難しい。当たり前の結論だが、やはり美術館に足を運ばなければ何も始まらない、と改めて感じ入る展示だった。
これまでにツイッターなどで同展を紹介したところ、遠隔地のファンから「ぜひ巡回してほしい」という声が多く寄せられた。今のところ予定はないそうだが、多くの方に見ていただきたい充実の内容なので、仮にそういう機会が実現すればうれしい。(岡部匡志)
同展について詳しくは東京富士美術館のホームページへ。