【プレビュー】ノスタルジーとともに、近代日本と東京を振り返る 電線絵画展 練馬区立美術館で2月28日から

電線絵画展 -小林清親から山口晃まで-
2021年2月28日(日)~4月18日(日)
練馬区立美術館(東京都練馬区、西武池袋線中村橋駅徒歩3分)
観覧料:一般1000円、高校・大学生および65~74歳800円、中学生以下および75歳以上無料
電線や電柱といえば都市景観を損ね、ドライバーや歩行者からも迷惑がられる存在だが、街を雑然と彩るあの造形は多くの人々にとって一種の懐かしさを呼び起こすものでもあるだろう。本展は、故郷や都市の飾らない日常を象徴する電線や電柱について、明治初期から現在までに果たしてきた役割を確認しつつ、絵画化された作品の意図を検証し、読み解いていこうというユニークな試みだ。日本画、油彩画、版画、現代アートと、多彩な130点で構成される。

ペリーがもたらした電信機を使った実験が嘉永7年(安政元年・1854)、横浜で行われた。その折に警備を命じられた松代藩の藩士で絵師の樋畑翁輔が描いたスケッチが残っており、日本最古の電線、電信柱の図ということになる。電信柱が設置され、電信線が市中を走るのは明治2年(1869)から。富士山付近にも電信線が引かれ、小林清親は堂々とモチーフに選んだ。現代人なら「富士の景観を損なう」と眉をひそめそうだが、当時は日本が世界に誇る富士と近代化の象徴の共演、という文脈を与えられた。電柱や電線をフィーチャーした新しい風景画が次々と誕生した。


明治36年(1903)、東京に路面電車が走り始める。電信線、電話線に加えて、都市の新しい風景として電車の架線も描かれるようになった。

東京郊外も造成とともに電柱が立ちはじめる。都会の増殖の象徴。

災害で傷ついた街の復興に欠かせない電線や電柱。また戦闘の遂行、領土の支配は通信網の整備から始まる。有事や危機管理と表裏一体の存在でもある。

強烈な個性の持ち主で、戦後、上海から戻った朝井閑右衛門は神奈川県の横須賀市田浦に住み、電線と架線をモチーフとする《電線風景》の連作を生み出す。近くには横須賀線や京浜急行線も走っていた。

電柱に電線を絶縁固定するための碍子は磁器で作られる。伝統的な陶磁器産業から発展したセラミック技術の源である碍子は、その造形美にも一見の価値がある。


街の風景と電柱は相いれないものなのか。様々な文脈を与えられて、電柱や電線をモチーフとする作品は今も作り続けられている。街と人の営み、景観との関係を見つめ直す興味深い展示になりそうだ。
同展について詳しくは同美術館ホームページへ。
(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)