【開幕】 古き良き時代の風景 「没後30年記念 笠松紫浪―最後の新版画」展 太田記念美術館(東京・原宿)で始まる

大正から昭和にかけてモダンな東京の街並みや温泉地などの風情を淡い色彩で表現した、「最後の新版画家」とも呼ぶべき笠松紫浪(かさまつしろう)の作品を紹介する「没後30年記念 笠松紫浪―最後の新版画」展が太田記念美術館(東京・原宿)で2月2日始まった。
太田記念美術館(JR原宿駅表参道口より徒歩5分、地下鉄明治神宮前駅5番出口より徒歩3分)
2月2日(火)-3月28日(日)
前期 2月2日(火)―同25日(木)
後期 3月2日(火)―同28日(日)
前後期で全点展示替え
開館時間 10:30~17:30(入館は17:00まで)
休館日 毎週月曜日、2月26日(金)-3月1日(月)
入館料 一般1000円ほか
詳しくは同美術館ホームページへ

新版画とは大正から昭和にかけて、絵師、彫師、摺師の共同作業により制作された木版画。版元である渡邊庄三郎の提唱によりさまざまなジャンルの絵師たちが、新しい時代に見合った版画を次々に生み出していった。風景を得意とした川瀬巴水や鳥などの絵で知られる小原古邨、数十回に及ぶ重ね摺りで風景を描いた吉田博など、新版画は近年注目を集めている。背景には新版画の研究が進んだことに加え、そこに描かれた風景が現代人にとって「古き良き時代」を思わせることや、写真などデジタル画像を見慣れた目には木版の表現が新鮮に見えることがあるのではないかと、太田記念美術館の日野原健司学芸員は分析する。

笠松紫浪(1898-1991年)は当時の東京市浅草区で生まれ、鏑木清方に入門して日本画を学んでいたが、大正8(1919)年に渡邊木版画舗から新版画を刊行する。これには同じ鏑木門下の伊東深水や川瀬巴水が渡邊木版画舗から新版画を刊行したことが影響している。笠松の木版画は朝晩の時間帯や雨や雪などの天候、四季の移り変わりによって変化する自然の風景を、みずみずしい色彩感覚で捉えている。新版画の人気を継ぐ制作者がいなくなる昭和34(1959)年61歳まで精力的に制作を続けた、「最後の新版画家」と言うべき存在だった。
これまで笠松の作品がまとまって展示される機会はほとんど無かった。展示は前後期で全て入れ替えられる作品65点ずつが、ほぼ年代順に並べられている。

笠松の代表作の一つ。夜の銀座の電灯や行灯の淡い光のなか行き交う人が影のように描かれている。同じ新版画家で洋画家でもある吉田博が色で面を塗っていくのに対し、日本画から出発した笠松は浮世絵の流れを受けて線を重視し、輪郭線で物を捉えている。また、地面のアスファルトを見ると、バレンの摺り跡が分かる。江戸時代の浮世絵は摺り跡を残さないようにしたのに対し、敢えて摺り跡を残すことで他の印刷物との違いを出したのだという。

昭和27(1952)年に京都の版元である芸艸堂蔵(うんそうどう)に依頼されて以後、ここから作品を出すようになる。題材はそれまでと変わらず風景画が多いが、主版(おもはん)が太くなることでモチーフの存在感が増し、さらに彩度の高い色使いになるなど、戦前とは画風が変わっている。また、吉田博にも同じ陽明門を題材にした作品があり、比べて見るのも面白いかもしれない。

見本摺は初摺を摺る際の色見本として制作されたもの。右は主版の墨線(輪郭線)だけを摺った校合摺。芸艸堂蔵では骨摺(こつずり)と呼んでいる。

構図や色合いは概ね一致するが、桜の花や路上の水たまりなど細部に違いがある。原画から色や形、構図など検討が加えられ、板に彫るための版下絵が作られたのだろう。


見本摺とは左下の婦人が大きく異なっている。見本摺の段階で絵に華やかさが欠けると感じ、彫り直したようだ。


同じ木版画の展覧会「没後70年 吉田博展」が東京都美術館で3月28日まで開かれている。同展の詳細は美術館ナビで紹介中。
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)