【プレビュー】 風景画・ターナーのライバル 「コンスタブル」展 三菱一号館美術館で2月20日から

ジョン・コンスタブル《虹が立つハムステッド・ヒース》 1836年、油彩/カンヴァス、50.8×76.2cm、テート美術館蔵 ©Tate

ターナーと並ぶイギリスを代表する風景画家ジョン・コンスタブル(17761837)。日本では35年ぶりとなる大回顧展「テート美術館所蔵 コンスタブル展」が、220から三菱一号館美術館(東京・丸の内)で始まる。世界有数の良質なコンスタブル作品を所蔵するイギリスのテート美術館からコンスタブルの作品約40点に加え、同時代の画家の作品約20点が来日。国内所蔵の秀作を合わせて計85点を紹介する。

ジョン・コンスタブル《自画像》1806年、グラファイト/紙、19.0×14.5cm、テート美術館蔵 ©Tate

「歴史(物語)」画と肖像画の地位が高く、風景画の地位の低かった19世紀初め、コンスタブルはターナーとともにイギリスの風景画を刷新してその評価を高めた。ターナーが国内外を旅行して景観を膨大な数の素描に収めたのに対し、コンスタブルは自分の生活や家庭環境に密接な場所を描き続けた。コンスタブルの風景画はドラクロワをはじめとするフランスの画家たちに大きな影響を与える。彼の戸外での制作や、光を捉えるためにパレットで色を混ぜるのではなく画面上に異なる色を筆で並べていくスタイルは、印象派の先駆けとも言われる。今回の展覧会は5章からなり、ライバルであったターナーとの対決も再現される。

1章 イースト・バーゴルトのコンスタブル家

コンスタブルはイングランド東部のサフォーク州イースト・バーゴルトで生まれる。父は製粉業を営み裕福な家庭だった。生まれ育った地での少年の日の楽しい思い出が画家を志すきっかけとなる。生涯にわたって故郷サフォーク周辺の風景を描き続けた。

ジョン・コンスタブル《教会の入口、イースト・バーゴルト》1810年発表、油彩/カンヴァス、44.5×35.9cm、テート美術館蔵 ©Tate
ジョン・コンスタブル《マライア・ビックネル、ジョン・コンスタブル夫人》1816年、油彩/カンヴァス、30.5×25.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

2章 自然にもとづく絵画制作

20代半ばからは戸外で自然を描き始める。戸外での油彩画制作は17世紀にイタリアで修業したフランスの画家が勉強の一環として始め、各国に広がった。コンスタブルは自然を創造力の源泉と捉え、その本質を探るには戸外で描く必要があると考えていた。

ジョン・コンスタブル《フラットフォードの製粉所(航行可能な川の情景)》1816 -17年、油彩/カンヴァス、101.6×127.0cm、テート美術館蔵 ©Tate

3章 ロイヤル・アカデミーでの成功

40歳で結婚したコンスタブルは、ロンドンでの家庭生活を維持するために肖像画制作に励む。しかし風景画を最も重視する姿勢は変わらず、幅約6フィート(185センチ)の大判の風景画を制作、その試みによって43歳の時にロイヤル・アカデミーの準会員となる。その頃、夏の間はロンドン郊外の高台のハムステッドに家を借り、そこに広がる荒野とダイナミックに変化する空に魅了されて多くの絵を描いた。

ジョン・コンスタブル《ハムステッド・ヒース、「塩入れ」と呼ばれる家のある風景》1819-20年頃、油彩/カンヴァス、38.4×67.0cm、テート美術館蔵 ©Tate
ジョン・コンスタブル《ザ・グローヴの屋敷、ハムステッド》1821-22年頃、油彩/カンヴァス、35.6×30.2cm、テート美術館蔵 ©Tate

4章 ブライトンとソールズベリー

結核を患う妻の療養のため、イングランド南部の海辺の町ブライトンをしばしば訪れた。そこで、荒天下の波打ち際で流行りの服を着た観光客と、昔ながらの姿の漁師の混在する大型の作品を描く。イングランド南西部にあるソールズベリーでは、大聖堂の聖職者と親交を結ぶ。妻の死後はこの地の大聖堂の眺めを描き、悲しみを癒そうとする。

ジョン・コンスタブル《チェーン桟橋、ブライトン》1826-27年、油彩/カンヴァス、127.0×182.9cm、テート美術館蔵 ©Tate
ジョン・コンスタブル《草地から望むソールズベリー大聖堂のスケッチ》1829年? 油彩/カンヴァス、36.5×51.1cm、テート美術館蔵 ©Tate

ターナー対コンスタブル

1832年のロイヤル・アカデミー夏季展で二人の絵が並んで展示された。今回、ロンドン以外では初めてその再現がされる。コンスタブルの《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817618日)》はナポレオンに勝利した1815年のワーテルローの戦いを記念するウォータールー橋の開通を祝う式典を描いたもの。ターナーは自分の寒色の海景図の隣にこの色彩鮮やかな絵が展示されることを知り、自らの絵の右下部に赤い色のブイを書き加えた、というエピソードが残っている。

J.M.W.ターナー《ヘレヴーツリュイスから出航するユトレヒトシティ64号》1832年、油彩/カンヴァス、91.4×122.0cm、東京富士美術館蔵 Ⓒ東京富士美術館イメージアーカイブ/DNPartcom
ジョン・コンスタブル《ウォータールー橋の開通式(ホワイトホールの階段、1817年6月18日)》 1832年発表、 油彩/カンヴァス、130.8×218.0cm、 テート美術館蔵 ©Tate

5章 後期のピクチャレスクな風景画と没後の名声

妻の死去から数か月後の53歳の時にロイヤル・アカデミーの正会員となり、画中のモティーフを自在に配置し直すなど想像力を駆使した、文字通り「絵のように美しい」=ピクチャレスクな作品を制作する。またロイヤル・アカデミー美術学校では後進の指導に当たり、夏季展覧会の選考委員を務めるなど画壇の重鎮としての役割を果たした。

  

テート美術館所蔵 コンスタブル展

三菱一号館美術館(東京・丸の内)

220()530()

 

詳しくは同展公式ホームページ

 

 

(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)

 

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