【プレビュー】 日本の原風景がここに 「川合玉堂―山﨑種二が愛した日本画の巨匠」展 山種美術館で2月6日から

「日本の自然が、日本の山河がなくなってしまったように思う」。日本の自然や風物を抒情豊かに描いた川合玉堂(1873―1957)。彼が亡くなった時、日本画家の鏑木清方はそう言って嘆いたという。山種美術館(東京・広尾)で玉堂の70年に及ぶ画業を振り返る、【開館55周年記念特別展】川合玉堂―山﨑種二が愛した日本画の巨匠―が2月6日から開催される。
玉堂は愛知県で生まれ、岐阜で育った。京都で円山四条派の流れをくむ望月玉泉や幸野楳嶺(こうのばいれい)らに師事した後、狩野派の橋本雅邦の絵に一目ぼれして東京に移住、雅邦のもとで研鑽を積む。狩野派、琳派、西洋画などの研究を通し、伝統的な山水画から近代的な風景画の世界へと画風を展開していく。
山種美術館創立者の山﨑種二とは親しく交流し、戦時中も種二はしばしば奥多摩の玉堂邸を訪れるなど玉堂の活動を支えた。その縁から山種美術館が所蔵する玉堂の絵は71点にも及ぶ。今回の展覧会では初期の代表作である《鵜飼》など明治期の作品から、古典的な筆法と写実的な風景表現を融合させた昭和初期の《石楠花》、自然とともに生きる人々の姿を穏やかに描いた《春風春水》や《早乙女》、戦後の第1回日展に出品された《朝晴》、さらに晩年の作まで名品の数々で玉堂の足跡をたどる。展示される作品は、望月玉泉や橋本雅邦ら交流のあった画家の作品も合わせ約70点。さらに山﨑種二や玉泉、雅邦、弟子の児玉希望などとの交流がうかがえるエピソードなども紹介する。

「鵜飼」は玉堂が特に好んで描いたモチーフ。岐阜の長良川で昔から行われてきた。「鵜飼」を題材とした絵は500枚以上に及ぶと言われる。

手前の石楠花を大きく見せて奥ゆきを出す構図は、浮世絵などの古美術の学習成果がうかがえる。

「渡し舟」も玉堂の好んだモチーフ。急峻な山の中、農婦を乗せた渡し舟が川を横断する姿を描いている。昭和期にはワイヤーと滑車を使った近代的な渡し舟も多く見られるようになった。

玉堂の作品の中でも人気の高い一枚。戦時中に奥多摩に疎開した際に制作した。戦争中にもかかわらず、牧歌的な光景で農婦の表情が生き生きとしている。奥多摩の自然を愛した玉堂は、終戦後もここに住み続ける。


【開館55周年記念特別展】川合玉堂―山﨑種二が愛した日本が巨匠―
山種美術館(東京・広尾)
2021年2月6日(土)-4月4日(日)
詳しくは同展公式ホームページへ
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班・秋山公哉)