【開幕】田中一村展 千葉市美術館 等身大の一村像を伝える

亜熱帯の花鳥や風土を描き、没後に人気を得た作家の生涯を振り返る「田中一村展―千葉市美術館収蔵全作品」が1月5日、千葉市美術館で開幕した。

田中一村(1908―1977)は栃木県出身。幼少期から神童と騒がれ、南画の分野に取り組んだ。東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学するもすぐに退学。その後は画壇とは無縁で、30~40歳代は千葉市、50歳代以降は奄美大島に住み、孤高の作家生活だった。公募展にも出品するも落選続きで、無名のまま69歳で病没。

その後、テレビなどで取り上げられ、急激にその作品が知られるようになり、各地で展覧会が相次いで開催された。一方、千葉市美術館やゆかりの地の美術館が共同で基礎的な調査を進め、2010年、「田中一村 新たなる全貌」展を開催し、画家の全体像を示した。

会場の千葉市美術館(千葉市中央区)

本展はその後の10年間で、同美術館が寄贈や寄託を受けた作品や資料を紹介する内容。寄せられたものは100点を超える。

十代の初期の作品。早熟だった。

木彫家の父に学び、仏具など各種の製品を手掛けて生活の足しにしていた。

 

昭和6年(1931)の「椿図屏風」。細密な描写が目を引く。

画用紙を色紙大に切って描いたほおずきなど。田中は生涯にわたり、様々な画題を色紙大の四角い画面に描いて残している。大作に向けたスケッチがわりだったのかもしれない。

十六羅漢図は昭和23年(1948)ごろの作品。

軍鶏も一時期よく描いた。昭和28年(1953)年ごろ。

「閻魔大王への土産物だ」と自ら書簡に記した畢竟の大作「アダンの海辺」は昭和44年(1949)の制作。「この繪の主要目的は乱立する夕雲と海濱の白黒の砂礫」などと解説する自筆の手紙も展示されている。

本展の注目は最後に置かれた「田中一村アーカイブ」かもしれない。無名のまま没した後、NHK「日曜美術館」が昭和59年(1984)に取り上げたことなどが契機になり、その知名度は全国的になった。評伝や画集が何度も編まれ、メディアによる巡回展が全国各地で開催された。

同館では一村の受容史にも注目して調査を継続しており、本展ではポスターなどが展示され、その推移を概観できる。鑑賞史、メディア論としても興味深い。

主要展示作品はこちらの記事も参照ください。

展覧会名:田中一村展―千葉市美術館収蔵全作品

会  期:2021年1月5日(火)―2月28日(日)

休室日:1月18日(月)、2月1日(月)

観覧料:一般600円、大学生400円、小・中学生、高校生無料

詳しくは同館ホームページへ。

(読売新聞東京本社事業局美術展ナビ編集班 岡部匡志)