光秀像を塗り替える貴重な資料を展示 永青文庫「新・明智光秀論」展

新・明智光秀論ー細川と明智 信長を支えた武将たちー
2020年11月21日(土)~2021年1月31日(日)
永青文庫(東京都文京区)
NHKで放映中の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀の実像に迫る「新・明智光秀論―細川と明智 信長を支えた武将たちー」が東京・文京区の永青文庫で始まった。
永青文庫は大名・細川家伝来の多数の美術品などを所蔵・管理している。細川家初代の藤孝(幽斎)と光秀はともに織田信長配下の武将として親密な間柄だった。このため、同文庫には光秀関連の資料が20点以上伝わっており、中には「謀反人・光秀」のイメージを大きく変えるものもあるという。

<若き日の光秀>
熊本大学永青文庫研究センター長の稲葉継陽教授によると、永禄9年(1566年)以前の光秀の動向を示す一次資料はこれまでは存在していなかったが、近年熊本で見いだされた医薬書「針薬方」によって、光秀が幕臣の一人に外科薬等の調合法を口伝していた事実が明らかになった。早い時代から光秀が将軍側近と強いつながりを持っていたことがうかがえるという。
永禄9年、のちに十五代将軍となる足利義昭が越前に移り、光秀は義昭のもとに出頭。細川藤孝らとともに義昭に仕えたことが分かっている。この前から光秀は将軍家との関係を持ちながら、京都と若狭・越前を結ぶ交通の要衝である湖西地域で存在感を高めていったという構図が浮かび上がってくる。
「針薬方」米田貞能(求政)永禄9年(1566)10月書写
個人蔵(熊本県立美術館寄託)
<光秀と藤孝>
大坂本願寺や紀伊の雑賀などの一揆勢力との対決を通じて頭角を現してきた光秀は常に藤孝とともに行動し、畿内近国の平定を目指す信長を支えた。展示資料はその間の光秀、藤孝の働きぶりを明らかにしており、信長は特に光秀に絶大な信頼を寄せていたことが分かる。光秀の娘・玉と藤孝の長子・忠興が信長の意向で結婚し、細川と明智の結びつきはますます強固なものとなった。

<本能寺の変の真実>
中でも注目されるのが、天正10年(1582)の本能寺の変から7日後、丹後を動こうとしない藤孝と忠興に光秀が送った手紙(期間限定展示)。自分の味方になるよう要請するとともに「信長殺害は忠興や私の子息の世代に権力を譲り渡すため」との趣旨が書かれている。光秀と行動をともにし、婚姻関係であった細川家は難しい判断を迫られたが、主君・信長に弔意を示し、光秀に与することはなかった。本展にはこの頃、細川家と秀吉の関係が深まっていたことを示す資料も展示されている。

※12月22日(火)~2021年1月31日(日)期間限定展示
<細川ガラシャとその時代>
また、光秀の娘・玉(細川ガラシャ)は本能寺の変後、いったん丹後山中に幽閉されるが、忠興と復縁し、キリスト教の洗礼を受ける。その後の関ヶ原の戦いでは西軍に包囲され自刃した。波乱に満ちたガラシャの関係資料やその時代の色鮮やかな洋風画も展示されている。



[展示期間] 右隻:11月21日~12月27日、左隻:1月9日~1月31日
名称:新・明智光秀論ー細川と明智 信長を支えた武将たちー
会期:2020年11月21日(土)~2021年1月31日(日)
会場:永青文庫(東京都文京区目白台)
開館時間:午前10時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日:毎週月曜日(ただし1月11日は開館し、1月12日は休館)、年末年始(12月28日~1月8日)
入館料:一般1000円、シニア(70歳以上)800円、大学・高校生500円
詳しくは同館公式サイトへ。
(読売新聞事業局美術展ナビ編集班)