リポート 「シュルレアリスムと絵画」展 箱根・ポーラ美術館

会場入り口のフォトスポット。エルンストの作品を模した造作物の裏側に回り、瞳部分から顔を出す

シュルレアリスムと絵画―ダリ、エルンストと日本の「シュール」

20191215日(日)~202045日(日) ポーラ美術館(箱根・仙石原)

100年前にパリで生まれ、日本にも伝えられた芸術運動シュルレアリスム。その展開をふり返り、意味を問う展覧会が、箱根のポーラ美術館で開かれている。ヨーロッパとは異なる側面をもつ日本のシュルレアリスムを「本家」ヨーロッパの作品と対比して検証するとともに、戦後日本の漫画、特撮美術、現代美術にもシュルレアリスム的な性格を見出す試みだ。後期(2月6日から)は、絵画・素描77点、版画・写真14点、映像インスタレーション2点が展示されている。巡回はない。

 シュルレアリスム誕生

第一次世界大戦(1914-18年)は人類にとって初めての世界規模の戦争となった。多くの人命が失われ、未曾有の災禍を目の当たりにしたフランスの詩人アンドレ・ブルトンらは、近代的な合理主義に疑念を抱き、「無意識」や偶然性に注目して、現実をとらえ直そうとする。詩や思想、美術で「シュルレアリスム」と呼ばれる運動が始まった。1920年代から30年代にかけて、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ジョアン・ミロらが「シュルレアリスム絵画」と呼ばれる作品を残した。

右が「シュルレアリスム宣言」となったブルトンの「溶ける魚」(1924年)
エルンスト、ジョルジョ・デ・キリコらの作品が、シュルレアリスムの生成を示す
エルンスト、ダリらは、それぞれ独自の画風を追求した

 

日本のシュルレアリスム 独自の解釈と発展

シュルレアリスムはほどなく「超現実主義」という訳語のもとに日本にも伝えられた。当時の日本は近代化の途上にあり、第一次世界大戦の惨禍に遭わなかったこともあり、ヨーロッパ人が抱いた近代的合理主義への挫折感は共有していない。「超現実主義」は、無意識や偶然を突破口として現実を問い直すというシュルレアリスム本来の意味を外れ、非現実的な幻想的世界を導く最新の芸術的手法として受け止められた。

エルンストの「削り出し」(グラッタージュ)作品にふれた三岸好太郎(1903-34年)は、画面にひっかき傷を施した。表面を傷つける行為は、エルンストにとっては自己の深層に迫る手段だったが、三岸においては新しい描法以上のものではなかったようである。

三岸好太郎「オーケストラ」(1933年)は、前年に東京で見たエルンストの作品に触発された作品。以前とは作風が一変した
「オーケストラ」の細部。三岸はひっかき傷の表現力に開眼したかのようだ

  戦争の影

詩人・美術批評家の瀧口修造(1903-79年)らの著作を通して、シュルレアリスム本来の思想も伝えられるようになるが、「本家」のブルトンに共産党員歴があったことなどから、超現実主義は左翼思想とのつながりを疑われる。1930年代後半に戦時色が強まると、東洋的な要素を反映した作品が現れた。画家が当局の監視から身を守るという一面もうかがわれるが、彼らは禅における無我や俳諧における連想などにシュルレアリスムに共通する要素を見出していた。

北脇昇(190151年)は、超現実主義の主要な画家のひとりだが、1940年前後に東洋思想をはっきり反映した作品を残している。日本独自の展開の象徴的な例のひとつだろう。

北脇昇の1930年代から40年代にかけての作品
北脇昇「鳥獣曼荼羅」(1938年) 眼は鳥の頭でもあり、口は猫の頭で構成されている。ダリが多用した「ダブル・イメージ」の手法だ
北脇の「竜安寺石庭ベクトル構造」(1941年)は、東洋文化と数学が組み込まれた独特の境地を示している。この年、日本のシュルレアリスムの主唱者のひとり瀧口修造が検挙されるなど、思想面での統制は厳しさを増していた

  

20世紀から21世紀へ

吉原治良(よしはら・じろう 190572年)が、1950年代に結成された「具体美術協会」をけん引するなど、超現実主義は戦後の前衛美術の展開に少なからぬ役割を果たした。

一方、美術界とは無縁だった岡上淑子(おかのうえ・としこ 1928年生まれ)がコラージュ作品をつくり、瀧口修造によって評価、紹介されるなど、本来のシュルレアリスムを思わせる作品も生まれた。第一次世界大戦時には戦禍を被ることもなく近代化への疑問も持たなかった日本が、太平洋戦争敗戦による国土の荒廃や「皇国日本」への幻滅を経て、自然にシュルレアリスムに目覚めたひと幕だったかもしれない。

 

岡上淑子「魔法の時代」 1952年頃 コラージュ(切り抜いた紙を貼付)/紙 東京都写真美術館

 企画にあたったポーラ美術館の学芸員、東海林(しょうじ)洋さんは、つげ義春(1937年生まれ)の漫画「ねじ式」、特撮テレビシリーズ「ウルトラマン」にもシュルレアリスムの異種混合的な発想や、不条理な魅力を感じるという。

成田亨(1929~2002年)が「ウルトラマン」のために描いた水彩・ペン画  ©Narita/TPC

 束芋(たばいも 1975年生まれ)はコンピュータに取り込んだ線画による映像インスタレーションで知られる女性作家。束芋がシュルレアリスムの文脈で語られることはなかったが、東海林さんは、束芋作品に見られるコラージュという手法や、意外な組み合わせから生じる偶然の効果に、エルンストの作品に通ずるものを見出した。

束芋の映像インスタレ―ション「dolefullhouse」(2017年)では、家具や小物が次々に配置され、新しい情景が生まれる。 ©2020Tabaimo
束芋「ghost-running 03-2」(2019年) 束芋は版画を刷ったあとに、版からインクをとるために刷り直す作業に注目。「ゴーストをとる」と呼ばれるこの過程から生まれたカラーインクの銅版画に、同じ版による版画をほどこした雁皮紙(がんぴし)を貼り付け、上から膠を塗った「ghost-running」シリーズを制作した。作者の意図を超えた造形とそれが誘発する思考は、シュルレアリスムを思わせる

 

日本のシュルレアリスムは、これまで当時の日本の文脈の中で語られる傾向が強かったが、東海林さんは「本家」との差異を客観的にとらえつつ、戦後の前衛美術へのつながりや、現代作品にひそむシュルレアリスム的要素にも目を向けた。昨年(2019年)、岡上淑子や福沢一郎の展覧会が開催され、今年も東京国立近代美術館が所蔵品による企画で北脇昇をとりあげるなど、日本のシュルレアリスムをあらためて問う気運が生まれつつある。その中で今後の議論の起点にもなりそうなチャレンジングな展覧会だ。 

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

コレクション展示のコーナーでは、ポーラ美術館が誇るフランスや日本などの近代美術の作品が並んでいる。季節をテーマにしたセクションでは、雪景色を描いた作品の後に春の情景が続き、春到来を外界よりひと足先に告げている。

スーラ、モネの名作
岡鹿之助「村の発電所」(右端)など「雪景色」のセクションの奥には、ピンク色の壁の「春」のセクションが続く

 

「シュルレアリスムと絵画」展入り口のフォト・スポットの裏側に回って「はい、ポーズ」