フォト・リポート 青木野枝展 東京・府中市美術館

 

青木野枝 霧と鉄と山と

20191214日(土)~202031日(日) 府中市美術館

彫刻家・青木野枝(1958年生まれ)の東京では20年ぶりとなる個展が実現した。鉄や石膏に加え、ガラス、波板などの素材も用いた最近作を中心に40点で構成されている。

大学院生時代の作品「untitled」(鉄=丸鋼)  加工の難しさを感じさせない軽やかな印象はこの頃からのもの

 

手前は石膏を使い始めた時期の作品「原形質」(2012年 石膏、布、鉄) 奥は「untitled」(1992年 鉄、卵、銅線)

 

「untitled」(1992年)の細部。小枝のような銅線に配された卵は半透明で、光の存在を感じさせる。金属製の構造体に生命が宿るかのようだ

 

「霧と鉄と山―I」(2019年 鉄、ガラス、波板)  円環にはめ込まれたガラスも、ケース内に配されたアクリル製の波板も、最近使い始めた素材だ

 

鉄の山を囲むケース内に吊るされた波板。青木さんの脳裏には、石牟礼道子のルポルタージュ文学作品「苦界浄土」に記された、水俣病に冒された少年の粗末な家の波板の壁の「ゆらめくような波型の青い光」があるという

 

「曇天 I」(奥)、「曇天 II」 (2019年 石膏、麻布、新聞紙、鉄) 鉄の構造体に麻布と新聞紙を貼り付け、石膏を直付けした作品。「白い石膏のなだらかな表面、手で塗り固めて細かな起伏を持つ肌理が、周囲の光を受けて光る。やわらかな光の山がふたつ、あらわれた」(府中市美術館学芸員・神山亮子さんによる図録エッセイ「霧と鉄と山と」より)

 

「曇天 II」のニュアンスに富む表面

 

2010年ころの青木さんのメモ。担当学芸員の神山さんが、青木さんから預かった資料の中から「発掘」した。「山は神だと 神聖な土地だと思った」「何もかもふくめたうえでの向(むこ)う側」という言葉が、山や量塊への深い関心をうかがわせる。「私がつくろうとしているのは?」という問いも。青木さんの作品に予定調和的な気配はない。制作とともに自ら「答え」との出会いを重ねているのかもしれない

 

「霧と鉄と山―II」(2019年 鉄、ガラス) 今回の展覧会のために制作された最新作。従来の作品にはない滑らかな「表面」が現れた

 

「霧と山―II」(2019年 鉄、波板)

 

「立山/府中」(2019年 鉄、石鹸) 府中市の人々から集めた使いかけの石鹸を積み重ねた作品。「祈り」を喚起するかのような造形だ。ごく身近な日用品に立体作品としての生命を見出した作家の眼に、はっとさせられる

  

展覧会を企画した神山さんは「もともとは青木さんを現代彫刻史の中に位置づけることを目論んでいたが、展覧会づくりの過程でその気持ちは消えていた」といい、「もっと大きな文脈のなかで考えてみたい」と語る。会期中、展覧会を見た女性から「風の通る彫刻ね」という感想が寄せられ、監視員からは「涙を流して見ていた方もいた」との報告も。青木さんの作品は、開放感と抱擁感が入り混じり、観る者に自分との対話を促すように見える。だからこそ生まれる問題意識であり、感情なのだろう。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)

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