リポート “絵巻切断”から100年、京都で「佐竹本三十六歌仙絵」展

京都国立博物館の入り口。右の「小大君(こおおぎみ)」(奈良県・大和文華館 重要文化財)は11月6~24日(最終日)に展示

37件中、空前の31件の出品が実現

京都国立博物館で1013日(日)、特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵(さたけぼんさんじゅうろっかせんえ)と王朝の美」が始まった。台風19号の接近で会期初日の12日(土)は臨時休館を余儀なくされ、1日遅れのスタート。今から100年前の1919年(大正8年)、2巻の絵巻物が分割されて巻頭の「住吉大明神」と「三十六歌仙」を描いた計37の断簡が売却されて以来、美術館の展覧会としては最多となる31件(会期中の展示替えを含む)の出品が実現した展覧会に多くの観客が訪れている。

「三十六歌仙」とは、平安時代中期の歌人・学者の藤原公任(きんとう)が飛鳥~平安時代のすぐれた歌詠みから選んだ柿本人麻呂、大伴家持、小野小町、在原業平、紀貫之など36人。彼らはスターとして崇められ、個人歌集(家集)などが編まれて流布し、姿を想像して描いた肖像画(歌仙絵)も江戸時代に至るまで盛んに描かれた。

「佐竹本三十六歌仙絵」は鎌倉時代・13世紀に作られた絵巻物。縦37cmほどの大ぶりの料紙に一人ずつ歌仙の名前と和歌を記し、広い余白を取って肖像画(歌仙絵)を添える。詞の筆者は後京極(ごきょうごく)良経、絵は藤原信実(のぶざね)と名うての人物が伝えられてきたが、いまだに特定されていない。「佐竹本」の名称は江戸時代~幕末に入手したとみられる旧秋田藩主・佐竹侯爵家にちなみ、その前は京都の下鴨神社が所蔵していたらしい。

佐竹侯爵家は明治維新で境遇が大きく変わった旧大名家の多くがそうであったように、家伝来の重宝を維持できなくなり、1917年(大正6年)に大規模な売立を行った。その目玉となった歌仙絵は「船成金」「虎大尽」の異名を取った実業家・山本唯三郎が高額で購入したが、すぐに財産を失い、手放すことになった。しかしあまりに高額であることから、実業家・茶人の益田孝 (号・鈍翁)らが発起人となり、絵巻を分割して財界人、古美術商などが個別購入することを申し合わせた。分配は1919年(大正8)12月、東京・御殿山の益田邸「応挙館」(現在は東京国立博物館に移築保存)で行われたクジ引きによって決定。その日までに歌仙絵の糊付けをはがして分割されたが、「切売」「切断」などのショッキングな表現で報じられた。当時の読売新聞が「この名品の散逸の前提ともいふべき分割の擧(挙)は惜しみても餘(余)りある事と云はなければなるまい」(191912月12日付)と憂えたように、この事件はやがて文化財保護のための法律整備につながっていく。

「身売り三十六歌仙の行き先が定った」とクジ引きの結果を伝える読売新聞(1919年12月21日付)

 

歌仙絵を入手した人々は、それぞれに凝った表装を施して(「おべべを着せる」という言い方があるという)茶席で披露し、あるいは秘蔵した。その後、戦争や財閥解体、高度成長や不況などの荒波の中でほとんどの歌仙絵が持ち主を替え、個人から法人に所管が移ったものも数多い。1983年には歌仙絵のその後を追ったNHK番組「絵巻切断~秘宝36歌仙の流転~」が放送されて反響を呼び、翌年にはドキュメント本も出版された。

今日、所在が判明している「佐竹本」の歌仙絵の大半は重要文化財に指定されている。しかし、行方が分からなくなったり、所蔵者が門外不出としたりするものもあり、1986年にサントリー美術館(当時は東京・赤坂)が「佐竹本」の展覧会を開いた時には29の所蔵者に出品を要請し、20件しか集められなかったという。今回は2月に京都国立博物館が記者発表会を開いた時点で28件の出品が決まっていたが、開幕までに3件を追加。開幕時点で24件が一堂に会した。

まずは国宝「三十六人家集」と平安古筆から

展示は平成知新館の3階から1階まで、全館をフルに使用。3階の会場入り口の壁には「もう、会えないと思っていた」「あの日からやっと会える」という言葉が掲げられ、離散した歌仙絵たちが久しぶりに相まみえる奇跡への期待を否が応でも高める。
ただし観客は「佐竹本三十六歌仙絵」を見る前に、まず第1章「国宝《三十六人家集」と平安の名筆》」、第2章「“歌聖”柿本人麻呂」で歌仙絵が生まれるまでの前史や文化的背景に触れることになる。ここに集められた古筆も見どころで、「継色紙」「升色紙」「寸松庵色紙」の「三色紙」にはじまり、「高野切」(第三種)、国宝「本阿弥切『古今和歌集』巻第十二残巻」、京都・本願寺が所蔵する国宝「三十六人家集」=躬恒(みつね)集・素性(そせい)集・重之集・興風(おきかぜ)集を展示替え=などの名品が惜しみなく並ぶ。

国宝の手鑑「藻塩草」は奈良~室町時代の経文、和歌、消息などの断簡を貼り込んだもの。「三色紙」も本来の姿は冊子で、巻物や冊子をバラバラにして鑑賞の対象とする伝統が古くから存在していた事実を教えられる。また、茶の湯とともに古筆や絵巻の断簡を表装して茶席に飾る趣向が生まれ、「佐竹本」を分割購入した益田鈍翁ら近代数寄者(すきしゃ)にもそれが受け継がれていったことが理解できる。

左:重要文化財「柿本人麻呂像」 性海霊見(しょうかいれいけん)賛 詫磨栄賀(たくまえいが)筆 室町時代・応永2年(1395年) 東京・常盤山文庫 全期間展示
右:「柿本人麻呂像」 伝中御門宣秀(なかみかどのぶひで)賛 伝藤原信実筆 鎌倉時代・13世紀 京都国立博物館 全期間展示

 

第2章「“歌聖”柿本人麻呂」は、すぐれた歌詠みの姿を絵に描くようになった先例と考えられる万葉歌人、柿本人麻呂の肖像画を中心に展示。脇息にもたれて体を傾けたり、紙と筆を手にしたりするおなじみのポーズの系譜を紹介している。現存最古かつ平安時代の遺物として唯一という 重要文化財の硯箱「州浜鵜螺鈿硯箱(すはまうらでんすずりばこ)」(平安時代・12世紀)も見のがせない。

益田鈍翁邸で行われたクジ引きを振り返るコーナーの入り口。写真は「応挙館」

「佐竹本三十六歌仙絵」と対面。しかしその前に──

3階から2階に降りると、いよいよ第3章「“大歌仙”佐竹本三十六歌仙絵」が始まる。益田鈍翁邸「応挙館」の写真が掲げられた最初の展示室に入ると、応挙館の名前の由来となった円山応挙筆の襖絵や、佐竹侯爵家が絵巻物を納めていた蒔絵の箱、クジ引きに使われた道具などが並んでいる。解体前に古筆研究家の田中親美が木版刷りで制作し、各購入者や皇室などに贈られたという「佐竹本」の摸本は、絵巻物だった時の姿を伝える貴重な資料だ。
また、この展示室には「佐竹本」のクジ引きから10年後の1929年(昭和4年)、京都・本願寺が所蔵する「三十六人家集」から分割・売却された「貫之集下」「伊勢集」の断簡も並ぶ。この時もやはり益田が相談役となり、応挙館とは別の建物が会場に使われたという。今日ならコストカッターならぬ「絵巻カッター」「古筆カッター」などという異名が益田に奉られそうだ。

 

「佐竹本」2巻を納めていた蒔絵の箱。左奥はクジ引きに使われた竹筒を仕立て直した花入

開幕時点で24件。圧巻の展示空間

いよいよ「佐竹本三十六歌仙絵」と対面。巻頭の「住吉大明神」(東京国立博物館 全期間展示)と歌仙絵は、1件ずつ茶室を思わせる落ち着いた色調の壁に掛けられている。絵巻物としては大きい部類なので、ガラス越しでもよく観察できるが、混雑していなければ単眼鏡で拡大して眺めることをおすすめする。
なぜなら「佐竹本」の歌仙絵の見事さは、歌仙の肖像表現の細やかさにあるからだ。顔の表情、まなじり、朱を点じた唇など、生々しいほどにリアル。展覧会を担当した京都国立博物館の井並林太郎研究員は、報道内覧会に先立つ説明会で「佐竹本は歌仙絵の最高峰と言われるが、歌の詠まれた心とか情というものが肖像表現の中に巧みに描かれているのが他の歌仙絵と一線を画しているところだと思う」と指摘した。
たとえば藤原敏行。古今和歌集の有名な一首「秋来(き)ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」の内容そのままに、ふと振り向いたさまを描いている。井並研究員は「冠の垂纓(すいえい=冠の後ろに垂らした部分)が大きく揺れ動き、肩も上下に動く。佐竹本の歌仙絵の中でも動きのある一幅。この和歌を詠んだ敏行の心に近づける表現がなされている」と解説した。

右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 紀貫之」  広島・耕三寺博物館 全期間展示
左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵    藤原元真」  文化庁 全期間展示

所蔵者が美意識を注いだ表具も見どころ

展示室に並んだ歌仙絵を見渡すと、表装の美しさも目を引く。作品を入手した人物は、それぞれに趣向を凝らして掛け軸に仕立てた。古い裂(きれ)を使い、とりわけ坂上是則の「み吉野の山の白雪積もるらしふるさと寒くなりまさりゆく」は、吉野の山に積もる白雪を想像した歌の内容に合わせ、室町時代の作と思われる雪山の絵を切り取って歌仙絵の表装に用いている。

今回の展覧会図録は、表装も含めて撮影した画像と、断簡の本紙だけの画像を2種類掲載。貴重な文化財の分割という痛恨の出来事とともに、「佐竹本」を入手した人物がみずからの美意識を賭けて表装をほどこし、いつくしんできた行為もあえて排除せず伝えている。

ところで今回、所蔵者の意向を尊重して報道内覧会における撮影はもちろん、メディアに掲載する画像を提供することも不可とされた歌仙絵が、開幕時点における展示24件中、10件にのぼった。ミュージアムショップで買える絵葉書も、図像の使用が許可されたわずかなものに限られる。しかし展覧会図録(税込み3000円)には、出品が実現した31件すべての画像を掲載。井並研究員は「分割から100年経った2019年時点の状況が、かなり正確に記録されているのではないか。50年、100年と(研究などに)使っていただける図録になったと思う」と述べた。

左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 源公忠」  京都・相国寺 全期間展示
右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵   壬生忠峯(みぶのただみね)」  東京国立博物館 全期間展示

 

右:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵    清原元輔」 東京・五島美術館 展示期間:~11月4日
左:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵    藤原兼輔」  全期間展示

所蔵者が変わらなかった歌仙絵も

数奇な流転に目が向けられがちな「佐竹本」だが、最初にクジ引きで購入した時から所蔵先が変わらなかったものもある。十五代住友吉左衛門友純(ともいと)が入手した「源信明(さねあきら)」は住友家に受け継がれ、現在は住友コレクションを保存展示する泉屋博古館(京都市)が所蔵。野村徳七が入手した「紀友則」は野村美術館(京都市)に所蔵されている。この2件は2人の写真、愛蔵した茶道具とそれぞれセットにして展示し、その審美眼も紹介している。

重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 紀友則」  京都・野村美術館 全期間展示

 

また、戦後まもなく「藤原仲文」を入手した実業家・茶人の北村謹次郎が1964年(昭和39年)、自身の還暦記念の茶事で一度だけ用いた際に取り合わせたという、景徳鎮窯の「青花高砂花入」(重要文化財)を再現した一画も。どちらも現在は北村美術館(京都市)に所蔵されている。

上:重要文化財「佐竹本三十六歌仙絵 藤原仲文」 京都・北村美術館 全期間展示
下:重要文化財「青花高砂花入」 景徳鎮窯 中国・明時代 17世紀 京都・北村美術館 全期間展示

そして歌仙絵の系譜は続く──

「佐竹本三十六歌仙絵」を見終わっても、なお展示は1階へと続く。
第4章「さまざまな歌仙絵」では「佐竹本」と並ぶ歌仙絵の名品とされる「上畳(あげだたみ)本三十六歌仙絵」(鎌倉時代・13世紀)をはじめ、鎌倉~室町時代の代表的な歌仙絵の類例を紹介。第5章「鎌倉時代の和歌と美術」では、武士が台頭した時代にもなお絢爛たる文学・美術作品を生み出した王朝文化を重要文化財「西行物語絵巻」(展示は11月10日まで)、西行筆の国宝「一品経和歌懐紙」(同)などの名品によって示す。最後の第6章「江戸時代の歌仙絵」は土佐光起、鈴木其一(きいつ)などの筆による三十六歌仙の屏風3件(全期間展示)を並べ、江戸時代に至っても画題として好まれ続けていたことを伝える。

報道内覧会だけではとても時間が足りず、早々に買っておいた前売り券で開幕初日に再び訪れた。午前11時過ぎに入館し、閉館時間の午後6時ぎりぎりまで。昼食や休憩を除いても、展示室にたっぷり5時間いた計算になる。こんなに長居をする観客は主催者にとって迷惑かもしれないが、展示替えを待ってぜひもう一度、眼福を得るために秋の京都まで出かけたい。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」
2019年10月12日(土)~11月24日(日) 京都国立博物館・平成知新館

※10月12日は台風19号の影響で臨時休館。その代替として、休館日の11月18日(月)を特別に開館。

 

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