第5回「吉阪隆正賞」に建築家・西沢立衛さん

西沢立衛氏設計の豊島美術館=2010年10月16日撮影

 

建築家・吉阪隆正(よしざか・たかまさ 19171980年)を記念する5回「吉阪隆正賞」に、建築家の西沢立衛(りゅうえ)氏が選ばれた。授賞式は1118日、東京・神田駿河台のアテネ・フランセで行われる。

 

吉阪は1950年、戦後第1回フランス政府給付留学生として渡航したパリでル・コルビュジエに師事。帰国後は「アテネ・フランセ」(1962年)や八王子の「大学セミナーハウス」(1965年)などを設計し、早稲田大学理工学部教授、同学部長も務めた。登山家、冒険家としても知られ、日本山岳会理事も務めている。

同賞は大学の教え子や、吉阪が主宰した「U研究室」の出身者など55人が資金を出し合って基金を作り、直接薫陶を受けた人を対象外として、隔年で「近年に公表されたデザイン行為によって、転換期の現代生活にあらたな光を見いだした個人または集団」を選考。第1回授賞者にダンサーの田中泯氏を選ぶなど、建築の世界にこだわらず顕彰してきた。

授賞の決め手は「豊島美術館」

選考委員会は西沢氏の業績として「人間・都市・自然を対象とした一連の有形的建築」を挙げ、特に香川県沖の豊島(てしま)に設計した豊島美術館(2010年開館)が決め手になったとしている。賞は今回で一区切りとなるが、内藤廣・選考委員長(建築家、東京大学名誉教授)は9月11日に早稲田大学建築学科(創造理工学部)で開いた記者会見で、「西沢さんは吉阪隆正に大変深い関心を持っていて、共鳴するところもあると言われた。最終回にふさわしい、すばらしい方に差し上げることができたと思います」と述べた。

選考経過を説明する内藤廣氏(中央)

 

西沢氏は1966年生まれ。95年から妹島和世氏と「SANAA」の名前で共同設計を行い、金沢21世紀美術館などで世界的な評価を得る一方、個人でも十和田市現代美術館などを設計している。
豊島美術館は美術家・内藤礼氏の作品「母型」を展示する空間として設計。水滴のような形に土を盛り、その上を厚さ25cmの鉄筋コンクリートで覆って固め、内側の土を掘り出す工法で造られた。内部は40m×60mの無柱空間で、二つの丸い開口部はガラスもなく素通し。空や樹木が間近に見え、雨や風が吹き込んでくる大胆な構造になっている。内藤氏の作品も、コンクリートの床に多数開いた小さな穴からわき出す水滴が集まって泉を作り、頭上の開口部に結びつけられた白いリボンが風に舞う──というもので、「建築」「自然」「作品」を一体として感じる場所になっている。西沢氏はこの豊島美術館の設計で2012年に日本建築学会賞、村野藤吾賞を受賞した。

豊島美術館の開館前日、西沢立衛さん(右)と内藤礼さん=2010年10月16日

 

選考委員会は内藤廣氏のほか、北山恒(建築家、法政大学教授)、後藤春彦(都市計画家、早稲田大学教授)、中谷礼仁(歴史家、早稲田大学教授)、藤井敏信(国際開発学、東洋大学名誉教授)の各氏で構成。記者会見では、欠席した中谷氏を除く各委員がそれぞれ吉阪氏の思い出や西沢氏の建築について語った。

「大地がめくり上がってくるような造形力」

北山恒氏は豊島美術館について「ある共同体の場所というような、そして自然と一体化しているような、不思議なメッセージのある建築。近代建築は自然から自立する人工環境が重要テーマだったが、豊島美術館は自然環境を人間の手で新しく作ったような感覚があり、そのあたりがひょっとして新しい知恵なのかなと思った」と評した。
藤井敏信氏は建築家、都市計画家、登山家、探検家など多面的な顔を持っていた師について「領域を狭めないで広げていく自由な雰囲気が研究室にはあった」と述べ、「吉阪先生の設計した『ヴィラ・クゥクゥ』(1957年)、あるいは『大学セミナーハウス』(1965年)の土から絞り出していくような建築の流れの中に、西沢さんもあるのかなと感じた」、後藤春彦氏も「豊島美術館の大地がめくりあがってくるような造形力は、吉阪先生に通じるものがあると思った。ほぼ瞬時に(選考委員)みんなの気持ちが一つの方向に固まっていった」と議論を重ねた選考過程を振り返った。

吉阪隆正 『乾燥贏[生ひ立ちの記]』の表紙

若い世代に「吉阪隆正」を知ってもらいたい──

ル・コルビジュエのアトリエで学んだ3人の日本人の弟子、前川國男と坂倉準三、吉阪隆正のうち、前川と坂倉は近年、回顧展や建築作品の保存問題などを機会に業績が知られてきた。吉阪は最近も2015~16年に国立近現代建築資料館(東京・湯島)で「みなでつくる方法 吉阪隆正+U研究室の建築」展が開かれているが、2人の兄弟子に比べて一般的な知名度はいま一つ。

内藤廣氏は「吉阪が亡くなって、知っている方もだんだん少なくなり、特に若い世代に何とかもうちょっと知ってもらうように、ということで賞を始めた。先生は『10年間、穴を掘れ』とおっしゃったが、賞もちょうど10年になる」と趣旨を説明。また、「前川、坂倉が建築家の立ち方として分かりやすいのに対し、吉阪はきわめてマルチな人で、そうした(再評価の)動きが出にくいのかもしれない。亡くなった時に出した自伝的な『乾燥贏(なめくじ) 生ひ立ちの記』(1982年、絶版)も、人と人がどうやって理解し合えるかといった話が中心で、今こそ本当に必要な本だろうと思う。『世界平和』なんてことを言う建築家は今いないでしょう」と語った。

2020年は吉阪の没後40年。没後25年の時には記念展が建築会館(東京)で開かれており、改めて業績と人柄を振り返る機会が待たれるところだ。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

 

※吉阪隆正賞のこれまでの受賞者は次の通り

【第1回】

田中泯(ダンサー)
業績:「身体気象言語」から桃花村という場の生成へ

【第2回】

坂口恭平(建築家、作家)
業績:路上生活者の視線から暮らしの原点を問う一連の活動
治郎丸慶子(NPO法人代表)
業績:ベッドタウンからライフタウンへ─楽しく暮らせるまちへと進化する高蔵寺ニュータウン─

【第3回】

一般社団法人 アーキエイド
業績:東日本大震災における建築家による復興支援ネットワーク

【第4回】

黃聲遠+田中央工作群(Huang Sheng-Yuan + Fieldoffice Architects)
業績:台湾・宜蘭における持続的かつコミュニケイティブな空間デザインの実践

 

 

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