見どころ紹介「関根正二展」福島県立美術館で開催中

大正時代の画家、関根正二(1899~1919年)の20年ぶりの回顧展が、福島県立美術館(福島市)で開かれている。20歳2か月で生涯を終えるまでのわずか5年程度で制作した油彩、水彩・素描など作品約100点、雑誌挿絵や書簡などの資料約60点が出品される、過去最大規模の回顧展だ。11月10日まで(展示替えあり)。福島に続き、三重、神奈川に巡回する。

関根は残された作品も資料も少なく、謎の多い画家だが、同美術館学芸員の堀宜雄(よしお)さんは、「新発見や資料の調査研究により、『点と点』だった断片的事実に、線としてのつながりが少し見えてきたように思う」という。従来は「悲劇的な夭折の天才」として伝説化される傾向もあったが、可能な限り作品を集め、あらためて実像に迫る企画だ。
堀さんのギャラリー・トーク(2019年9月22日)に参加して、画家・関根正二の足跡をたどった。
16歳、画家としての本格的スタート
現在の福島県白河市で生まれた関根は、9歳の時、東京・深川へ引っ越し、後の日本画家・伊東深水と出会い、終生の友となる。伊東の紹介で務めた印刷会社の図案部で、芸術への関心を深め、夜学で洋画を学び始めた。
1915年(大正4年)初夏、描いた絵を宿代代わりに差し出して続けた無銭旅行で、長野を訪れ、洋画家・河野通勢(みちせい)と出会う。河野はダ・ヴィンチやデューラーら、ルネサンスの巨匠やバルビゾン派のコローらを研究し、細密で緊張感のある独自の作風をつくりだした画家だった。河野の影響のもとに、関根は画家としての本格的な一歩を踏み出す。「死を思う日」はこのころの作品で、河野の濃密な描写の影響と、ゴッホ的な激しい筆触を感じさせる作品だ。



同年10月、在野団体・二科会の公募展「二科展」で「死を思う日」が入選。関根は画壇へのデビューを果たす。
この二科展では、画家としての一歩を記しただけでなく、あらたな画風へのきっかけも得たようだ。長く滞仏し、セザンヌの影響を受けた洋画家・安井曾太郎が前年に帰国し、滞仏中の作品44点が特別出品されていた。関根はそれまでの褐色中心の基調から、新しい色彩へと関心を向ける。
制作年の解明
翌16年(大正5年)の8月に描いた「海(銚子)」は、2002年に発見された作品だ。関根の作品には珍しく、裏面に年記と「S.SEKINE」のサインがあった。

一方、「風景」は、サインも年記もなく、いつ制作されたのかは画風などから推定する以外になかったが、見つかった「海(銚子)」と比べて見ると、空の広さや、対象を真正面からとらえる構図などが共通していた。さらに色調も似ていることから、「風景」も関根が1916年に描いた作品であろうことが確認された。「海(銚子)」は、関根の断片的な足取りをたどるための、灯台のような役割を担ったことになる。

謎のアーチ
銚子や東京・深川で水辺、空を描いた素描も目を引く。


「銚子海岸」の空に引かれた大きな弧は、虹だろうか。線の緊張感は別の可能性を示唆しているようにも見える。「菊川橋」も、深川を描きながら、東京の下町というより、ヨーロッパの運河を描いたようにも見え、空にはアーチ、あるいはドームの天井のようにも見える線が引かれている。関根は何を描こうとしたのだろうか。
当時、岸田劉生(りゅうせい)ら洋画家の間では、キリスト教の聖像などに見られる壁のくぼみ、壁龕(へきがん)のような図像を描くのが、一種の流行のようになっていたという。また、関根の画業に影響を与えたといわれる河野通勢は、父親の代からキリスト教(ロシア正教・ハリストス正教会)の信者だった。関根自身はキリスト教に入信してはいないが、西洋の宗教的世界へのあこがれがあった気配は濃い。堀さんは、関根は目の前の情景を題材としつつも、ある理想的な世界を思い描いていたのではないか、と推測する。
セザンヌの光と色
17年初夏に、関根は、地元・深川で酪農を営んでいた関根の後援者・井上興夫の祖母を描いた。その「井上郁像」では、眉にほどこされた青や、衣服を覆い、背景にも続く、灰色、黄、緑、ピンクの短い筆遣いによる淡彩描写に、セザンヌ的な光と色が感じられる。2年前の安井曽太郎の作品に出合って以来の研究成果だろう。

18年4月、関根は19歳を迎えた。ここからの約1年、関根は早すぎる晩年を、みずからの才能を燃焼し尽くすかのように描き、生きた。6月には肋膜肺炎と診断され、年末には外出が難しくなるほど衰える。体調の異常と反比例するように制作は高まりを見せた。
セザンヌ的な描写や暗い色彩を用いていた画風に、朱や群青、緑を多用した明るく鮮烈な色彩が現れる。とりわけ鮮烈なヴァーミリオン(朱色)は、「焼ける焔(ほのお)のような烈しさ」と評され、いつしか「関根のヴァーミリオン」と呼ばれるようになった。激しい一途さを感じさせながら、どこか諦念の漂う、静謐なもの悲しさがある。


関根はこの年の二科展で、「信仰の悲しみ」「姉弟」などが評価され、新人賞に相当する樗牛賞を受賞し、注目を浴びた。普通なら「これから」という受賞だが、関根には画壇での将来を思い描く余裕はなかっただろう。描けるものを描ききっておかねばならない、という焦燥感が勝っていたはずだ。


19年に年が改まるころには、病床を離れられなくなる。それでも、先を急ぐかのように制作を続けたが、6月、絶筆「慰められつゝ悩む」を描き、生涯を閉じた。最後に姉に手を支えられてサインしようとしたが、もはや力は残っていなかったという。

わずか5年とはいえ、密度の高い歩みである。堀さんはギャラリートークを、次のような言葉で締めくくった。
「関根が夭折しなければどのような画家になっていただろう、と問う人もいるが、作品は、どれも残された時間を自覚しながら、命をかけて描いたもののように見える。関根は自分の人生をまっとうしたと言えるのではないか。若死にしたから、あるいはそれが惜しまれるから注目されるのではない。絵は輝き続けている。それが関根の真価を物語っていると思う」
約1時間のギャラリー・トークで、堀さんとともに関根の歩みをたどった観客から、熱気を帯びた拍手が起こった。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 陶山伊知郎)
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福島県立美術館(9月14日~11月10日)
三重県立美術館(11月23日~2020年1月19日)、
神奈川県立近代美術館 鎌倉別館(2020年2月1日~3月22日)

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福島県立美術館の常設展示室では、日本の洋画、フランス近代美術、アメリカの20世紀美術などを展示している。


