修復の意義を伝える展覧会「文化財よ、永遠に」 東博、泉屋博古館など4館で開催中

泉屋博古館分館(東京・六本木)に展示された狩野一信筆「五百羅漢図」 絹本着色 江戸時代 嘉永7~文久3年(1854~63年) 東京・増上寺 東京都港区指定文化財  前期展示:9月19~29日

住友財団(野依良治会長)が1991年から文化財の維持・修復に対して行ってきた助成事業が30年を迎えるのを記念する展覧会「文化財よ、永遠に」が、泉屋博古館(せんおくはくこかん、京都市)、泉屋博古館分館(東京・六本木)、九州国立博物館(福岡県太宰府市)、東京国立博物館(東京・上野)の4館で開かれている。

古墳時代の木製品から、古美術、近代絵画に至る文化財が修復でよみがえった姿を展示するとともに、最先端の修復技術や道具、和紙などの素材、デジタル・赤外線撮影による記録手法、さらに修復過程で明らかになった新事実をくわしく紹介。文化財修復の奥深さと意義を伝える内容となっている。

※九州国立博物館を含む4館それぞれの展示内容は、こちらで紹介しています。

■泉屋博古館分館(東京) 剣豪小説家が愛蔵した池大雅も

9月10日に開幕した泉屋博古館分館(東京・六本木)では、絵画・工芸品を約50点紹介している(展示替えを含む)。
幕末の絵師・狩野一信が描いた「五百羅漢図」(東京・増上寺)は2011年4月、東日本大震災の影響で予定より1か月遅れて開幕した江戸東京博物館の「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展で初めて全100幅が一挙公開され、震災直後の不安な世情の中で大きな反響を呼んだ。修復を終えた10幅はすべて絵の裏側からも色を塗ってモチーフを強調する「裏彩色(うらざいしき)」がほどこされ、雲煙や月には裏から箔を張ってかすかに光を発する工夫が行われていたことも分かったという。

古美術だけでなく、近代日本絵画の修復事例も紹介している。
赤松麟作(りんさく)の油彩画「土佐堀川」(1917年 兵庫県・黒川古文化研究所)は1995年の阪神・淡路大震災で額が壁から落ち、衝撃でキャンバスの折れが大きくなるなどの被害を受けた。1998年度の助成による修復では、赤松が描いた元の絵に大幅な加筆が加えられていたことも判明。可能な限りオリジナルに近づける処置が行われた。

近年の回顧展で改めて脚光を浴びた明治~昭和期の日本画家・木島櫻谷(このしま・おうこく)の「かりくら」(1910年 京都・櫻谷文庫)も、2015~16年度の助成を受けて修復された。すすき野で狩りをする騎馬武者3人を、高さ2mを超える双幅に描いた大作だが、未装丁の状態で発見され、多数の折れやシワ、虫食いによる欠損が見られたという。修復を行って表装した結果、見事な姿でよみがえった。

木島櫻谷「かりくら」 双幅 絹本着色 明治43年(1910年) 京都・櫻谷文庫

 

東京・練馬区立美術館が所蔵する池大雅筆「比叡山真景図」(江戸時代)は、長く所在不明だった優品。剣豪小説で人気を呼んだ作家・五味康祐の書斎の床の間に掛けられたままになっていたのを、野地耕一郎・泉屋博古館分館長(当時は練馬区立美術館学芸員)が発見。漏水などで汚損していたが、2007~8年度の助成を受け、吸い取り紙で汚れを除去する作業を繰り返し、可能な限り画面をよみがえらせた。

池大雅筆「比叡山真景図」(江戸時代 宝暦12年=1962年) 東京・練馬区立美術館
左上の余白から山頂にかけて大きな染みがあったが、ほとんど分からない状態まで修復され、京都国立博物館で昨年開かれた池大雅展にも出品された

 

一方、横浜市の称名寺に伝わった重要文化財「十二神将像」(鎌倉時代・13世紀)は、表装の裏や箱に記された修理記録によって、大切に守り伝えられてきたことが分かる事例。内覧会で泉屋博古館の竹嶋康平学芸員は「ほぼ100年ごとのサイクルで修理され、最も望ましい形で伝えられてきた」と指摘した。

西洋画をまねて油彩画や銅版画を制作した司馬江漢の「西洋人樽造図」 絹本油彩 江戸時代・18世紀末 東京国立博物館 展示期間:9月10~23日
左のパネルで修復前の状態を解説。画面に激しい折れと亀裂が生じていた

■泉屋博古館(京都) 国宝「明月記」を全期間展示

4館のトップを切って9月6日に始まった泉屋博古館(京都市・鹿ケ谷)では、藤原定家の日記である国宝「明月記」(鎌倉時代 建久3年~天福元年=1192~1233年 京都・冷泉家時雨亭文庫)を全期間展示。「明月記」全58巻は1987年から12年かけて修復され、住友財団はその後期分を助成した。日記は不要になった書簡などの反故の裏面に書かれており、紙の厚みや強度もまちまち。そのため一紙ごとに裏打紙や補修紙を漉(す)き分けたが、そうした手法はその後の文書修理の定石になったという。

さらに、文化財保存のためには表装や容器も重要であることを紹介している。京都・真輪院の「星曼荼羅(ほしまんだら)」(鎌倉時代・12~13世紀)は箱のない状態だったため、気密性が高く、衝撃から内部を守る桐製の保存箱一式を新調した。戦後の京都では、古社寺などの障壁画に合成樹脂による剥落止めが盛んに行われたが、年月の経過による樹脂の変質やテカリが生じ、いまだに安全な除去方法が確立されていないという。展示解説は「文化財修理での新素材使用は数十年先を見越して慎重さを期さなければならない」と苦い教訓を記す。

ロビーには絵画や書跡の修復に使う道具類も展示。たとえば補修紙や補修絹を削る小刀は、篆刻に用いる印刀の先を丸く磨いたものだという。表装に使う基本の和紙三種、「美濃紙」「美栖紙」「宇陀紙」や、屏風の構造模型なども並んでいる。

京都市・鹿ケ谷の泉屋博古館

■東京国立博物館 修復を終えた仏像が大集合──ベトナムからも里帰り

10月1日に開幕した東京国立博物館(東博)では、本館の特別4室・特別5室を会場に、東日本大震災や能登半島地震で被災した仏像や、山里などで人々の信仰を集めてきた仏像など約50点を紹介。また、木彫像の修理工程をパネル展示するとともに、パンフレット「修理工程ガイド 仏像修復の現場から」を配布している(東博の公式サイトからPDFをダウンロードすることもできる)。

福島県・龍門寺のいわき市指定有形文化財「虚空蔵菩薩坐像」(南北朝時代・14世紀)は、東日本大震災で須弥壇から台座、光背とともに落下。須弥壇から1.8m離れた場所に、部材がバラバラに散っていたという。各部材を接合し直し、浮き上がった彩色や漆箔層に剥落止めをほどこして、被災前の姿がよみがえった。

東日本大震災でバラバラになったが、被災前の姿を取り戻した虚空蔵菩薩坐像(福島県・龍門寺 いわき市指定有形文化財)。左は地区の「里守仏」としてまつられてきた鎌倉時代の十一面観音菩薩立像(福島県南相馬市・泉竜寺 福島県指定重要文化財)

 

福井県小浜市の髙成寺に安置される重要文化財「千手観音菩薩立像」(平安時代・9世紀)は、千本の手を表す40本の「脇手」すべてが後世に作り直されたもの。平安時代後期から明治時代まで修理を重ねながら守り伝えられてきた事実を物語るもので、今回それらは補修して再結合された。その一方、全身に後世の彩色がほどこされて本来の表情がよく分からない状態になっていたため、平安時代の作風と異なる彩色を取り除き、慈悲深さの中にも厳しさを秘めた表情がよみがえった。

左:阿弥陀如来立像 平安時代・11~12世紀 鳥取県・三佛寺 鳥取県指定保護文化財
右:千手観音菩薩立像 福井県・髙成寺 平安時代・9世紀 重要文化財

 

阿弥陀如来立像 鎌倉時代・13世紀 ベトナム国立歴史博物館
戦時中の文化財交換で東博からベトナムに贈られ、76年ぶりに里帰りした

 

ベトナム国立歴史博物館が所蔵する「阿弥陀如来立像」(鎌倉時代・13世紀)は、戦時中の1943年(昭和18年)、インドシナ半島を統治していたフランスの極東学院と、東京国立博物館の文化財交換で贈られた仏像で、76年ぶりの里帰りを果たしたもの。長く行方不明だったが、九州国立博物館の調査で交換品である可能性が高いことが分かった。

2013~14年度の助成を受け、日本の技術者が渡航して修理を実施。全体の部材がゆるみ、台座は虫食いなどで不安定になっていた上、両足を接着剤で固定していたために台座から像本体が抜けなくなっていた。接着剤を削って分離したところ、足の裏に「明治三十五年」「一九七」などの文字が記されたラベルが貼られており、旧「東京帝室博物館列品台帳」の記録と一致。戦時中の交換品であることが確定したという。

会場の展示デザインと照明は、これまで数々の仏像展で実績を重ねてきた東京国立博物館のデザイン室が担当。修理を終えた諸仏が整然と並び、荘厳な雰囲気に包まれている。

(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)

修復された仏像の展示風景。左は主として台座と光背の修理を行った栃木県・満願寺の「阿弥陀如来坐像」(平安時代・12世紀  栃木県指定有形文化財)

 

左の三体は、重要文化財「阿弥陀如来坐像 および 両脇侍立像」 運慶の父・康慶の弟子とみられる宗慶の作 鎌倉時代 建久7年(1196年) 埼玉県・保寧寺

 

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