見どころ紹介 「没後90年記念 岸田劉生展」 東京ステーションギャラリーで開催中

 

「劉生」と聞いてまず思い浮かぶのは、どのような作品だろう。娘麗子をモデルにした麗子像シリーズか、道を描いた作品、あるいは細密描写の肖像画や静物画か。ひとそれぞれで異なるに違いない。

東京駅丸の内北口の東京ステーションギャラリーで開かれている「没後90年記念 岸田劉生展」は、そのすべての期待に応えられそうな、大正~昭和の画家、岸田劉生(18911929年)の本格的な回顧展だ。

5歳から9歳までの「麗子像」がずらりと並ぶ

 

監修にあたった美術史家の山田諭さんは「思いがけないほど作品が集まった」といい、前後期合わせて約150件がそろう充実した顔ぶれになった。麗子像は5歳から9歳まで前後期合わせて17点が展示され、風景画も代表作中の代表作「道路と土手と塀(切通之写生)」(重要文化財)をはじめ様々な作品が並んでいる。

 

重要文化財「道路と土手と塀(切通之写生)」1915年11月5日 東京国立近代美術館

 

劉生は、作品に制作年月日を几帳面に書き付けていた。会場ではその記録に従って、ほぼ制作順に作品が展示されている。劉生の歩みをつぶさにだどりつつ、画業の全貌に迫ることのできる貴重な機会といえそうだ。東京展は1020日まで。会期中に展示替えがある。続いて山口県立美術館、名古屋市美術館で開催される。

 

監修した山田さんは、名古屋市美術館で長く前衛美術や現代美術の展覧会を手掛け、現在は京都市美術館の学芸課長を務めるこの道34年のベテラン学芸員。学生時代に修士論文で劉生を取り上げた山田さんにとっては、劉生の回顧展は「いつか実現したい企画だった」というが、さまざまな事情でかなわなかった。没後90年を最後のチャンスと見定めて起案したところ、東京、山口で開催館が見つかり、実現したという。

 

第一会場となる3階では、初期の修業時代からポスト印象派の影響を受けた時期を経て、西洋の古典的な絵画を思わせる作風へと変わっていく様子を一望できる。厳密に制作年月日順に並べられており、劉生の息遣いさえ想像させる。

たとえば「代々木附近(代々木附近の赤土風景)」(19151015日)を仕上げた劉生は、描いたばかりの坂道に場所を移して、道に刻まれた荷車のわだちや、くっきりとした電信柱の影、転がる小石などを細部までとらえ、名作「道路と土手と塀(切通之写生)」(同115日)を生む。遠景として描いた坂に、何か謎めいた魅力を感じ、接近し、対峙し、細密に描きこんだのだろうか。

 

「代々木附近(代々木附近の赤土風景)」(左)を描いた後、劉生は描いたばかりの坂道に場所を移して「道路と土手と塀(切通之写生)」(右)を描いた

 

「この影は前作で描かれた電信柱の影ですね」と解説する山田さん

 

制作順展示の妙味はほかにもある。劉生が制作年月日を記録したのは、自分が変化し続けることを自覚し、プロセスを正確に残そうとしていたからとも思われるが、大きな節目では署名を変えている。ゴッホら近代美術の影響下にあった時期の署名「R.Kishida」は、西洋の古典絵画への傾斜とともに紋章のような署名に変わる。山田さんが「羽(はね)R(アール)点(てん)」と呼ぶ羽飾りのついた盾形の紋章のような署名だ。1915年の年初に現れたこの署名は「道路と土手と塀(切通之写生)」では画面左下の石の側面に描きこまれている。

そして、次の変化は東洋美術への関心を深めた1918年。サインは「劉」と漢字に変わる。

劉生の決意がにじみ出ているようにも見える。制作順の展示ならではのドラマチックな隠し味だ。

 

「川端正光氏之肖像」(右:1918年1月13日) 2階会場の入り口付近に展示されている、東洋美術への傾斜を示す作品。劉生の変化を示すカギは画面左上にある

 

1929年に満州(中国東北地方)を旅した劉生は、当地の風景画を油彩で描く。署名は「Riusei Kishida」に変わっていた。油彩で新境地を拓く手ごたえを感じていたのかもしれない。

だが、満州旅行で調子を悪くしていた劉生は、途中立ち寄った山口・徳山市で病を得、38歳の生涯を終えた。生きながらえていたなら、劉生の芸術はこの先どのような展開を見せていただろうか。劉生ファンならずとも、つい思いを馳せてしまう、永遠の「もし」であろう。

 

没後90年記念 岸田劉生展

2019831日(土)~1020日(日)東京ステーションギャラリー(東京・丸の内)前期923日まで。展示替えの後、後期は925日から。

 2019112日(土)~1222日(日) 山口県立美術館(山口市)

202018日(水)~31日(日)   名古屋市美術館

 

 

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