【「ウィーン・モダン」「クリムト」・・話題の展覧会が続々オープン】

天皇陛下の皇位継承、改元に伴う10連休を前に、規模の大きな展覧会が競うように始まった。古今東西の美術にわたるラインアップの中から、ヨーロッパ近代美術に焦点をあて、「ドービニー展」「キスリング展」「ウィーン・モダン展」「クリムト展」の見どころを、担当学芸員の言葉を交えて紹介する。水辺の風景、皇族の旧邸、世紀末ウィーンの栄華など、作品の優雅、優美な世界は、まるで欧州の国々を訪ねたかのような、贅沢な時間をプレゼントしてくれる。
■シャルル=フランソワ・ドービニー展 バルビゾン派から印象派への架け橋 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(東京・新宿)
シャルル=フランソワ・ドービニー(1817-78)は、19世紀のフランス画壇で活躍した画家で、空、水辺の情景などを描いた風景画で知られている。自然を見たままに描く、バルビゾン派の画家、あるいは印象派の先駆者として記憶される画家だが、国内で本格的な個展は初めて。山梨、広島で開催され、東京に巡回してきた。6月30日まで。以後、鹿児島、三重を巡回する。
ゴッホとの接点
ポスト印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホは、自然とその中で暮らす人々を描いたドービニーに共感を寄せ、ドービニーの銅版画を自室に飾り、模写もしていた。その辺(あた)りは、本サイトのコラム「きよみのつぶやき第6回 ゴッホが愛した画家」 https://artexhibition.jp/topics/features/20181203-AEJ51978/
に詳しく紹介されている。
ドービニーはバルビゾン派の画家だが、バルビゾン村に限らず、フランス北西部のイギリス海峡に臨むノルマンディー地方やオワ―ズ川の周辺も訪れ、その情景を数多く描いている。後にゴッホが最期を迎えたオーヴェール=シュル=オワーズも、ドービニーがよく訪れた拠点のひとつだった。

船の旅
ドービニーは、ゴッホ、セザンヌなど多くの画家を引き寄せた町、オーヴェ-ル=シュル=オワーズを中心にボタン号と名付けたアトリエ付きの船で川を移動した。「旅する画家」とも呼ばれるほど旅が多かった。船の上で習作を描き、完成作は揺れのない陸地で描いたという。

「船の旅」と題する版画集は、ボタン号での旅をユーモラスにほのぼのと描いた作品集だ。損保ジャパン日本興亜美術館主任学芸員・小林晶子さんは、「この版画を見て、謹厳な重鎮から、人間味豊かな親しみやすい画家へと、ドービニーのイメージが変わりました」という。

ドービニーは、ボタン号の後継として、ひと回り大型のアトリエ船「ボッタン号」を手に入れた。船旅の行動範囲はさらに広がり、セーヌ川を下って英仏海峡にまで出かけることもあったという。ドービニーの作品鑑賞は、ドービニーの旅の追体験でもある。

こうしたドービニーが船から見たフランスの自然とともに、お薦めは、高層ビル(損保ジャパン日本興亜本社ビル)42階にある美術館ロビーからの東京の眺め。ぜひご堪能を。

■キスリング展 エコール・ド・パリの夢 東京都庭園美術館(東京・白金台)
花の作品などで知られるポーランド生まれの画家、キスリング(1891~1953年)の個展が開かれている。第一次世界大戦前後に世界からパリに集まった「エコール・ド・パリ」の代表的な画家で、展覧会は7月7日まで開催される。以後、愛知、秋田に巡回。
絵画と邸宅のコラボレーション
会場の東京都庭園美術館の建物は、アール・デコ様式の旧朝香宮邸(1933年竣工)だ。主要な部屋の設計は、フランスの装飾美術館アンリ・ラパンが手掛けた。その部屋のひとつひとつが展示会場となっている。他にはない贅沢な展示空間が持ち味となっている。
本展は、キスリングの絵画作品約60点で構成される。各部屋の特徴を熟知する担当学芸員の浜崎加織さんが、作品とのハーモニーを随所に感じさせる展示空間をつくりあげた。この空間の中での鑑賞が最大の魅力でもある。
1階 大客室+大食堂
旧朝香宮邸のなかでも最もアール・デコの粋が集められていると言われるのが、大客室と大食堂の二部屋だ。
アール・デコは20世紀前半に流行した装飾の一様式。大客室の天井にはシャンデリアを囲む漆喰仕上げの円や石膏によるジグザグ模様が施され、ルネ・ラリックによるシャンデリアや、扉上部にある装飾などが瀟洒(しょうしゃ)な雰囲気を醸し出す。

花をモチーフにした幾何学的なデザインが用いられているこの部屋では、花の作品が中央に展示されている。

大客室に続く1階大食堂は、来客時の会食に使われた。ルネ・ラリックの照明器具(パイナップルとザクロ)やガラス扉等にくだものがモチーフとしてあしらわれている。この部屋には、くだものが描かれた作品や花を手に持つ女性像などが配され、ゆったりした時間が流れている。

2階北の間
夏の間、家族のだんらんの場として使用されていたのが2階北側のベランダの間だ。床には陶器の釉薬を施した布目タイルがモザイク状に貼られており、この床が赤、緑と合うことから、浜崎さんはサイズも近い3作品を選び、展示したという。作品の赤と青緑色は、補色関係にあり、床の色合いと響き合って絶妙な色彩効果を醸し出している。日本側監修者の美術評論家、村上哲さんは、この展示をひと目見て「さすが」と唸ったという

妃殿下寝室
妃殿下寝室では、暖められた空気が出る部屋のラジエーター(暖房装置)の金属製カバーに、花模様がデザインされており、これに合わせて同種の花の作品を展示している。

新緑がまぶしい窓外の庭園と合わせて、贅沢な美のプロムナード(散策)になりそうだ。
■日本・オーストリア外交樹立150周年記念
今年は、オーストリアと外交樹立150年の節目。19世紀末のウィーンを代表するクリムトなどの展覧会が2ヵ所で開かれる。
■ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道 国立新美術館(東京・六本木)
その一つが、18世紀中頃から20世紀初頭にかけての芸術の都ウィーンの歩みに焦点を当てた展覧会だ。ウイーン・ミュージアムが所蔵する絵画、デザイン、ファッション、建築など多分野の約400点が展示され、かなり見ごたえのある展覧会だ。8月5日まで。以後、大阪に巡回。
注目のクリムト
注目されるクリムトは、初期作品も丁寧に紹介している。革新的な作品を生み出す前に、伝統的な技術を、確実に身に着けていたことには、驚きさえ感じられる。

もちろん保守的な画壇に反旗を翻して「ウィーン分離派」を創設し、ウィーン世紀末美術の巨匠として歩み始めてからの作品は、別格の存在感を見せる。
そのひとつ「パラス・アテナ」は、展示作業の最終段階で、下から照明を当てたところ、それまで暗く沈んでいた背景部分の図柄が鮮やかに蘇った。アテナの左腕にとまっているかのようなフクロウや、アテナの背後に続く金色のうろこ状の模様がくっきりと浮かび上がったのだ。既存の印刷物では判然とせず、共同監修者の国立新美術館主任研究員・本橋弥生さんも「ウィーン・ミュージアムの展示でもこれほどは見えなかったかも」と興奮を隠さない。アテナが纏う金色の鎧(よろい)にちりばめられたオレンジ、青などの色合いは、この展覧会でしか味わえないかもしれない。


シーレ
ウィーン世紀末芸術の、もうひとりの「エース」、エゴン・シーレ(1890~1918年)のコーナーでは、油彩、水彩・素描など独特の味わいのある作品が、強烈な存在感を放っている。


美術と歴史の旅
クリムト、シーレ以外にも見どころは多い。18世紀の啓蒙専制君主、マリア・テレジア(1717-80年)の時代から、19世紀前半の「ビーダーマイアー時代」、さらに近代化が進む19世紀後半から20世紀初頭までのウィーンの芸術、社会をさまざまな角度から紹介している。

■クリムト展 ウィーンと日本 1900 東京都美術館(東京・上野公園)
ウィーン世紀末の巨匠、グスタフ・クリムト(1862、~1918年)の全貌に迫る展覧会。7月10日まで。以後、愛知へ巡回。
本展には、クリムトの作品が、「女の三世代」など油彩27点のほか、手紙、スケッチブックを含めて計49点が集められた。クリムトの家族や同時代の画家たちの作品なども彩りを添え、計109点が紹介されている。女性、風景、日本との関わりなど、クリムト芸術の核心に迫る内容だ。



人物像に迫る
クリムトの作品では、金箔を使った華麗な作品が目を奪うが、企画に携わったベルヴェデーレ宮オーストリア絵画館の学芸員マークス・フェリンガー氏は、「クリムトという人物がどんな人物だったのか、わかるようにしています」と展覧会の狙いを語る。恋の遍歴を重ねたが、最も大事な恋人とされるエミーリエ・フレーゲへの手紙、彼女をモデルにした作品や、家族・知人の写真、作品などは、クリムトの人生のドラマを如実に伝えている。


若きクリムトの横顔
また、伝統的な美術教育に従って描いた若いころの作品や、芸術一家だったクリムト家の兄弟の作品も展示されている。「黄金時代」の代表作にしか馴染みのない目には、新鮮な一面を見せてくれる。

近代の作家としては、クリムトは作品数が多くなく、その全貌に接する機会はなかなかない。国立新美術館(東京・六本木)で開かれている「ウィーン・モダン」展と合わせて、日本でクリムトを堪能できる稀有な機会だ。