この秋、京都に「佐竹本三十六歌仙絵」が再結集!

特別展「流転100年 佐竹本三十六歌仙絵(さたけぼんさんじゅうろっかせんえ)と王朝の美」が10月12日(土)~11月24日(日)、京都国立博物館(京都市)で開かれる。宮廷を中心とする和歌文化をが生み出した美の世界を、平安~鎌倉時代の美術品140件余り(約80件が国宝・重要文化財)によって紹介する。
展示日数は38日間で、京都以外への巡回は行わない。紅葉シーズンとも重なり、多くの観覧者が詰めかけそうだ。
歌仙画の最高峰、大正8年に分割
13世紀・鎌倉時代に描かれた『佐竹本三十六歌仙絵』は2巻の絵巻物として伝世したが、今から100年前の大正8年(1919年)に分割・売却され、現在は東京国立博物館や私立美術館、個人などに日本国内に分散して所蔵されている。
柿木人麻呂や在原業平など36人の歌仙(和歌の優れた詠み手)の和歌と肖像、それに住吉大社を描いた絵の計37件で構成。最高級の料紙と絵の具を用い、和歌の内容に合わせて歌仙たちの表情やポーズに変化をつけて描き分けており、歌仙画の最高峰として名高い。「佐竹本」の名前は旧秋田藩主・佐竹侯爵家が所蔵していたことにちなむ。
「絵巻切断」の衝撃
大正6年に同家から実業家に売却され、その2年後に再び売りに出されたが、高額のため単独で購入できる人物がいなかった。そこで、数寄者としても有名な実業家の益田孝(鈍翁)らが発起人となり、分割して売却することを決めた。絵巻物に仕立てられていた歌仙絵の糊付けをはがして1枚ずつに分け、東京・品川の御殿山にあった益田邸の茶室「応挙館」(1933年に東京国立博物館に寄贈され、庭園内に移築)に集まった実業家や古美術商らがくじ引きを行い、別々に購入した。

この出来事は「絵巻切断」というショッキングな言葉で報じられ、世間の注目を集めた。分割された歌仙絵のその後を追ったNHK番組「絵巻切断~秘宝36歌仙の流転~」(1983年放送)と、1986年にサントリー美術館(東京)で20件を集めた「三十六歌仙絵」展も大きな反響を呼んだ。
史上最多 37件中、28件の出品が決定
京都国立博物館は2月15日、東京国立博物館で記者発表会を行い、同日時点で37件中、28件の歌仙絵の出品が決まったことを明らかにした。これまで最多出品だったサントリー美術館の展覧会を大きく上回る。

井並(いなみ)林太郎・京都国立博物館学芸部企画室研究員は「今後そうそう出来る展覧会ではない。現在もリアルタイムで出品交渉を続けており、まずは30幅を超えることをめざし、さらに一幅でも多く見ていただきたいと考えている」と述べた。
佐々木丞平館長(専門は日本近世絵画史)は「佐竹本三十六歌仙絵は鎌倉時代に作られたが、その背景には、和歌を中心とした国風文化が栄えた時代への強い憧憬の念があったのだろう」と指摘した。
展覧会では「佐竹本三十六歌仙絵」以外の歌仙絵をはじめ、華やかな装飾料紙に和歌を書いた国宝「三十六人家集」の「重之集」「素性集」(平安時代・12世紀、京都・本願寺蔵)や、名筆として名高い重要文化財「寸松庵色紙『ちはやぶる』」(平安時代・11世紀、京都国立博物館蔵)なども出品される。
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6月には流転の松方コレクションも「再結集」
同じく散逸した美術作品の”再結集”として話題を集めるのが、6月に国立西洋美術館(東京・上野公園)で開幕する「松方コレクション展」(6月11日~9月23日)だ。
実業家の松方幸次郎は1910~20年代のロンドンやパリで、精力的にモネ、ゴーガン、ゴッホ、ロダンなどの美術品を収集し、日本に私立美術館を建てる構想を抱いた。しかし金融恐慌のあおりで事業が破綻し、日本に送った作品は売り立てにより散逸。さらにロンドンの保管倉庫の火災で一部を焼失し、残る作品も第2次大戦末期にフランス政府から没収される憂き目を見た。
戦後、フランス政府が375点を日本に寄贈返還し、その収蔵先として1959年に開館したのが国立西洋美術館。松方の幻に終わった夢を受け継ぐ同館を会場に、散逸した名品も含めた作品約160点でコレクションの軌跡をたどる。
(読売新聞東京本社事業局専門委員 高野清見)