美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第27回「いろはの㋔」――男伊達、関取衆が人気です

勝川春章「日本一大相撲土俵入後正面之図」

江戸の人気者といえば「三男」、「さんなん」ではなく「さんおとこ」と読む。

火事と喧嘩は江戸の華。そう言われるぐらい火災が多かった江戸の街。いち早く火災現場に駆けつけて消火活動にあたる「火消し」は頼りになる存在だった。同じく街を守る存在だったのが、警察官・裁判官の役割を兼ねていた「与力」。小銀杏という細くて短い髷を結い、着流しに黒羽織。他の武家とは一味違う粋な姿で街を闊歩した。そして「火消し」「与力」と並ぶ人気だったのが、「相撲取り」だった。

江戸で相撲が「ブーム」になったのは、18世紀後半のことだ。寺社の建立、移転の資金を集めるために境内で行っていた「勧進相撲」が発展して、両国で本格的な興行が行われるようになったのである。谷風、小野川、雷電といった強豪力士が登場し、将軍上覧相撲が行われたこともあって、相撲は庶民の娯楽として定着していった。<江都繁華の中、太平を鳴らすの具、二時の相撲、三場の演劇、五街の妓楼に過ぐるは無し>。天保3(1832)年から7(1836)年にかけて出版された『江戸繁昌記』の序文で、儒学者・寺門静軒はこう書いている。年に2回の相撲興行は、三座の歌舞伎、五町からなる吉原と並び、江戸という街の象徴になったのである。

歌川国安「大空武左衛門」

浮世絵も、その人気向上に一役買った。相撲ブームが盛り上がっていく18世紀後半、人気力士の姿だけでなく、盛り上がる土俵の様子や相撲興行の熱気を錦絵の題材としたのが、役者絵で有名な勝川春章とその一門だ。冒頭に挙げた一枚は、春章による「土俵入り」の図。力士はとにかく大きくて強い存在として描かれ、土俵の周りにはその姿に熱狂する人々が鈴なりになっている。

「浮世絵は、現代でいえばブロマイドであり、生写真のようなものでした」と話すのは、太田記念美術館の主席学芸員、日野原健司さん。だから、力士の姿を描く際に「デフォルトとなっていたのは、立ち姿の一枚絵でした」ともいう。上に挙げたのは、巨漢力士として有名だった大空武左衛門。身長七尺五寸、体重三十貫目とかかれているから、225㎝、131㎏ということになる。力士には筋肉質の「ソップ型」とまん丸な感じの「アンコ型」という2タイプがあるが、大空は「ソップ型」だったのだろう。この時代、男性の平均身長は「五尺あまり」、今でいえば155㎝ぐらいだったというから、この数字が本当だとすれば、まさに雲を付くような巨人に見えたのではないのだろうか。ちなみに相撲の実力自体は大したことがなく、巨体を生かして土俵入りを専門に見せていたのだそうだ。

歌川国貞「生月鯨太左エ門」
歌川国貞「生月鯨太左エ門」

もうひとり、巨漢力士として人気があったのが、やはり土俵入り専門だった生月鯨太左衛門。「いきつき げいたざえもん」と読む。こちらの身長も七尺五寸とあるが、体重は四十五貫目(約169㎏)だから、大空武左衛門に比べると横幅は二回りぐらい大きい。これだけ大きいと手形を欲しがる向きも多かったようで、上の絵は、手形を押している生月を描いたものである。その原寸大の手形(たぶん)と立ち姿をセットにしたのが、下の一枚。ちなみに相撲とゆかりの深い東京・深川の富岡八幡宮には「巨人力士手形・足形碑」があり、生月の手形も残されているのだが、長さは約25㎝、幅は約11㎝あるという。

大空武左衛門は1832年、数え年37歳で亡くなった。生月鯨太左衛門は1827年生まれだから同じ土俵に立ったことはない。勝川派の絵師たちが盛んに描いた相撲絵は、文政後期になると歌川派のフィールドとなっていった。大空を描いたのは、役者絵で有名な初代歌川豊国の弟子で「豊国門下の三羽烏」の筆頭と言われた歌川国安。生月を描いたのは、三代豊国となった歌川国貞である。勝川派も豊国一門も、得意としたのは役者絵。スターを描きなれた絵師たちが、力士の姿を手掛けたのである。

歌川国芳「通俗水滸伝豪傑百八人之一人 花和尚魯知深初名魯達」
歌川国貞「近世水滸伝 清瀧の佐七 市村羽左衛門」

相撲取りはなぜ、人気があったのか。「大きくて強い」のはもちろんだが、裸一貫、土俵の上の技だけで世を渡った「潔さ」が、江戸っ子の琴線に触れたのではないだろうか。自らの力のみを信じ、世間のしがらみを超えて生きようとする。「意地」と「張り」が江戸っ子好だったのである。

思えば、「侠客」という存在も、「意地」と「張り」を前面に押し出した男たちだった。そして侠客たちの争いを江戸時代にブームを呼んだ中国の白話小説『水滸伝』になぞらえたのが、講釈などで人気を呼んだ「天保水滸伝」。国貞描く「近世水滸伝」のシリーズは、その登場人物を描いたものだ。考えてみれば本家の「水滸伝」も宋の時代、私欲に満ち、汚職がはびこった現実に反発した「豪傑」たちが理想の社会を求めて終結した物語であった。国芳描く魯知深も「強きをくじき、弱気を助ける」義侠心に満ちた英傑。こう考えてみると、江戸っ子があこがれたヒーローたちは、心の根の奥でつながっているように見えるのである。

(事業局専門委員 田中聡)

美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。