「日本史王」本郷和人のアート入門!第6回 特別展「東福寺」で超実力主義だった禅宗の歴史を考えました 前編

会場(第5章)展示風景

「日本史王」本郷和人です。僕は1988年に東京大学史料編纂所に入所して、30年以上、『大日本史料』第5編の編纂をしてきた歴史研究者です。『大日本史料』第5編は、承久の乱(1221年)から鎌倉幕府滅亡(1333年)までを対象としています。
今回訪れたのは、東京国立博物館で5月7日まで開かれている特別展「東福寺」です。東福寺が開山した1243年(寛元元年)は第5編のど真ん中。美術展ナビの担当記者さんは「この古文書はどうですか?」「これなんて書いてあるんですか?」ってしきりに聞いてくるのだけど・・・・・・
。ゴメンね、「いつもお世話になっています」くらいの薄い反応で。僕はきょうアートを見に来たんだ!
案内してくれたのは、美術史を専門とする東京国立博物館研究員の高橋真作さんです。美術史と中世史でフィードバックしながら作品を見るのはとても楽しかったです。(後編はこちら

会場(第1章)展示風景。本郷さんと高橋さん(左)

禅宗界のトップ・オブ・トップ無準師範

日本では鎌倉時代に禅宗が中国から本格的に入ってきました。歴史の教科書的には、鎌倉の建長寺の蘭渓道隆や無学祖元が太字で強調されているけど、東福寺の円爾えんにとその師匠の無準師範は、名前はいちおう載っているけど、という知名度でしょうか。

でも、当時の状況からすると、無準師範―円爾のラインは世界の最先端かつ最高水準の禅僧でした。高橋さん曰く「無準師範はトップ・オブ・トップ」。日本から中国に渡って無準師範の弟子となり、法を嗣ぐことを認められた円爾も、日本ではトップ・オブ・トップです。

国宝「円爾宛印可状」 無準師範筆 中国・南宋時代 嘉熙元年(1237) 東福寺蔵。南宋の高僧・無準師範が円爾の悟道熟達を認可して授与した証明書

超実力主義の時代

円爾は公家などではなく、地方の駿河(静岡県)出身ですから、才能が抜きんでていたのでしょう。この頃の禅宗は、最先端だけに超実力主義でした。

東福寺は、公家の九条道家が1236年(嘉禎2年)に、東大寺と興福寺にちなみ、京都に新しい禅宗寺院を創建すると祈願したことから始まります。九条道家は、1241年に帰国して九州でお寺を開いていた円爾を、東福寺の開山としてスカウトします。

九条道家という人物は歴史の教科書に載っているでしょうか? 太字ではないですよね。でも、僕は、九条道家のことを、ある分野で日本史上初という重要人物と考えています。それは、「住民サービス」を初めて行った人物だからです。

九条家は藤原氏の名門ですが、鎌倉時代になると、九条家が持っている荘園などからの税収が減ってしまいます。それまでのように、「公家だから」「領主だから」というだけでは、住民たちは簡単に税を納めないようになったのです。武士ではない九条道家は、どうやったら領地の住民が気持ちよく税を納めてくれるかを考えて、現代の感覚で言う「住民サービス」を始めたのです。東福寺の創建も、こうした歴史とからめて考えると、面白いでしょう?

禅の言葉は千利休にも通じる?

重要文化財「遺偈」円爾筆 鎌倉時代 弘安3年(1280)東福寺蔵

会場でインパクトがあったのが、無準師範、円爾、その後の歴代の東福寺の住持たちの死の直前の「遺偈ゆいげ(遺言)」。死の床で筆を持たされて、字もふらふらなのだけど、血気迫るものがあります。

その内容については、禅なので、分かりやすいわけではありませんが、高橋さんによると、無準師範の遺偈には「この期に及んで仏道の真理を問われるならば、天台山には付近に五百羅漢が住するという石橋があるから、そこに行ってみるがよい」(更要門端的、天台有石橋。)とあり、円爾の遺偈にはこれを受けたような「衆生の利益を念じて精進した七十九年。仏道の真理を知ろうとしても、それは仏も祖師も伝えず(自ら体得するものである)」(利生方便、七十九年。欲知端的、仏祖不伝。)となっているのです。(現代語訳は展覧会図録から)

この円爾の遺偈(1280年)を見て、思ったのは、千利休の遺偈(1591年)です。

利生方便 七十九年 欲知端的 仏祖不伝

人生七十 力㘞希咄 吾這宝剣 祖仏共殺

構成が似てますよね? 円爾が無準師範の遺偈を意識したように、千利休も禅の先達である円爾の遺偈を意識したのでしょうか。

うーむ、仏を知りたければ仏を殺せ・・・・・・そうかこれは弁証法か!そういうことか! 会場で高橋さんと、うんうんと頷き合いました。

実力主義から門戸主義へ

鎌倉時代に日本に新しく入ってきた禅宗は、地方出身の円爾が京都に新しく造られる大寺院「東福寺」の開山に抜擢されるなど、完全な実力主義でした。このように、各寺のトップの人材を出身やどの寺で学んだかなどに関係なく選ぶことを「十方住持(十方刹)」制と言います。

しかし、南北朝時代から室町時代になると、先代の住職が弟子の中から次の住職を指名する、つまるところ、出身母体が重視される「度弟院つちえん」制が広がっていきます。

世間に東福寺の存在を示す明兆の絵画

僕はこの歴史的な流れが、現代の教科書的な感覚で「建長寺」は太字だけど「東福寺」は太字で無いことと関係していると思います。鎌倉時代には飛び抜けていた東福寺ですが、南北朝・室町時代になると、衰退したわけではないけれども、京都のほかの禅宗寺院と同じランクに並ぶようになります。

東福寺も、なんとか存在を世間にアピールしなくてはと考えたことでしょう。そのとき、この展覧会のもうひとりの「主役」ともいえる東福寺の絵仏師だった吉山明兆きっさんみんちょう(1352~1431年)が表舞台に出てくるわけです。

明兆のカラフルでスケールの大きい仏画は、大いに東福寺の存在感を知らしめたでしょう。(後編に続く

重要文化財「五百羅漢図」 吉山明兆筆 南北朝時代・至徳3年(1386) 東福寺蔵


◆本郷和人(ほんごう・かずと) 1960年、東京都生まれ。東京大学史料編纂所教授(日本中世政治史、古文書学)。近著に『「将軍」の日本史 』(中公新書ラクレ)など。

特別展「東福寺」
東京会場:東京国立博物館 平成館(上野公園)
会期:2023年3月7日(火)~5月7日(日)
開館時間:午前9時30分~午後5時 ※入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日
※ただし、5月1日(月)は開館
観覧料:一般2,100円 大学生1,300円 高校生900円 中学生以下無料
事前予約不要、美術展ナビチケットアプリ(当日購入可)でも販売
アクセス:JR上野駅公園口・鶯谷駅南口より徒歩10分
問い合わせは050-5541-8600(ハローダイヤル)
京都会場:京都国立博物館 平成知新館
会期:2023年10月7日(土)~12月3日(日)
開館時間:未定
観覧料:未定
詳しくは、展覧会の公式サイト https://tofukuji2023.jp/

(撮影 読売新聞 青山謙太郎)