美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第22回「いろはの㋶」――羅漢も鍾馗も観音も

江戸時代、庶民にとって神仏は身近な存在だった。信仰は日常生活の中にあり、神社仏閣は崇拝の対象であるとともに、その土地を代表する名所旧蹟でもあった。「人が多く集まる場所だった寺社仏閣は、古くから『名所絵』に描かれる対象でした」と太田記念美術館主席学芸員の日野原健司さんはいう。神社仏閣やそこに祀られる神仏の姿は、浮世絵にも数多く描かれている。上に挙げた「青面金剛」は、勝川春朗を名乗っていた頃の葛飾北斎の作品。「おそらくは掛け軸に仕立てられて、床の間にでも飾られていたのでしょう」と日野原さんはいう。名の知れた絵師が描いた仏画を床の間にかけることが出来たのは、かなりの素封家である。そこまでは懐が温かくない庶民たちにとっては、浮世絵の仏画が「信仰の証明」であり、日々の「心の支え」になっていたのかもしれない

神仏や歴史上・伝説上の勇将・英雄の姿を描いた絵は、魔を祓い、疫病を退散させる「縁起物」だった。「五月人形でおなじみの鍾馗、『三国志』の英雄である関羽などの一枚絵は数多く描かれています」と日野原さんは話す。特に「赤」という色は「特別な霊力」があるとされ、魔払い・病魔退散を願う絵には数多く使われた。「縁起物」の春駒をミミズクとともに朱一色で描いた下の絵は、江戸時代に流行した疱瘡(ほうそう=天然痘)に「かからないよう」「かかっても軽くすむよう」にと描かれた「疱瘡絵」だ。大きく見開かれたミミズクの目は「疱瘡の高熱による失明を防ぐためのまじない」といわれている。病気になった子どものお見舞いの品にも使われた「疱瘡絵」は、病気が回復した後には焼却されたり川に流されたりしたといい、意外と実物は残っていないのだともいう。
災厄を避ける、という意味で使われた絵には「猫絵」もある。穀物倉庫、養蚕農家などで「ネズミ除け」のために室内外に貼られたものだ。定期的に取り替える、ある種の「お札」のような性質を持っていたため、こちらも実物はほとんど残っていない。ちなみに、その「猫絵」で生計を立てる「猫絵師」を主人公にした現代の漫画が、永尾めるさんの「猫絵十兵衛 御伽草紙」である。

江戸の神仏には、流行もあった。なぜだか分からないけど、急にどこかの神社(あるいは寺)で祀られている神様(あるいは仏様)が人気になって大勢の人でごった返す、ということがしばしばあったのである。今風に言えば、神様が「バズった」のである。これを「流行神」という。現代の「バズる」現象の多くは短期間のブームで終わってしまうのが常だが、「流行神」も同じ。大体が、1年ぐらいの流行で終わったようだ。「流行神」が出現すると、その神社の周辺には食べ物の屋台が出たりその神様にあやかった土産物が売られたり。一気に観光スポットが出現したのである。
嘉永2(1849)年には、3つの神仏が「流行神」になった。「於竹如来」「奪衣婆」「翁稲荷」である。下の絵は、歌川国芳が描いた「於竹如来」の絵。老若男女が口々に、於竹如来に対して様々な願い事をしている。ちなみにこの「於竹如来」、江戸時代の初めに実在した「お竹」という女性に由来している。山形県の庄内地方で生まれたお竹さんは江戸に出て、名主さんの家で奉公していたのだが、何事にも誠実親切で貧しい人には常に施しをするなどの善行を重ね、「大日如来の化身」といわれたのだという。お竹さんが奉公していた名主の家が京都から仏師を招いて「於竹大日如来」の像を造り、羽黒山正善院黄金堂の境内に建てた「於竹大日堂」に祀っていた。ブームになった嘉永2年は、ちょうど両国の回向院で「出開帳」が行われた年なのである。

そういう「流行神」のあれこれを見ていると、江戸の人々は「信心」をキーワードのひとつにして「イベント」を楽しんでいたのではないか、と思いたくなる。例えば、神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社に参詣する「大山詣り」。江戸の人口が100万人の時代に、年間20万人もの参拝客がこの神社に参詣していたというのだが、お参りした帰り、近くの宿場で酒宴を開くのが楽しみ、という人も多かったようだ。江戸ッ子たちが「一生に一度は行ってみたい」と思っていた「お伊勢参り」も、楽しみの半分は道中の観光。なにしろ「東海道中膝栗毛」のおなじみ、弥次さん喜多さんも、旅の目的は「お伊勢参り」だったのである。

疫病退散を絵に託す、と言う感覚は、今の日本にもあるようだ。「アマビエという妖怪の絵が、コロナ禍のこの時代、SNSで拡散しましたよね」と日野原さんはいう。災厄や疫病に対する畏れ、世の平穏を願う思い。それを何かの「キャラクター」に託すという感覚は、江戸の昔も21世紀の現代も、さして変わっていないのかもしれない。その気持ちが極端な形で現れたのが「流行神」という現象ではないだろうか。葛飾北斎の晩年の肉筆画、「羅漢図」を見ていると、そういう神仏に関する日本人の感覚が、そこはかとなく現れているように思うのである。
(事業局専門委員 田中聡)
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。