【探訪】永井紗耶子さんが見た「重要文化財の秘密」展 “世界の潮流”と向き合った近代日本の巨匠たち 新しい視点を与えてくれる展示

展覧会を見ていて、素敵な作品だな、と思って解説を見て、
「あ、これ重文なんだ……」
ふうん……と、思いながら、なんとなく通り過ぎてしまったことが何度あったことか。
でも、「何故、この作品が重要文化財になったのか」について、こんなに真剣に考えさせられたのは初めてかもしれません。
今回は、新たな視点を手に入れながら楽しめる展覧会でした。
「日本画」って何?
以前、日本画家の方にお話をうかがったところ、
「要は、和紙と墨、あと顔彩が使われていれば、題材は国内のものでも、海外のものでも構わない。最近はアクリルを入れちゃったっていいんだよ」
と、おっしゃったことがありました。
何となく、「日本画」というと、掛け軸とか、屛風とか、そういうもののような気がするのですが、そもそも「日本画」という概念が、明治以前はなかった。それはそうですよね。それ以前は「絵」は「絵」ですから。海外から入ってきた「洋画」に対して、日本古来の画材を使ったものが「日本画」だったわけで。
突如として海外に向かって開かれたことで、新たな日本ならではの「美」というものを模索してきたのが「日本画」の一つの時代であったろうと思うのです。


その草創期を作り上げた一人が、今回の圧巻。横山大観の「生々流転」でしょう。
墨の濃淡だけで描かれたのは、水の一滴から始まる壮大な物語。川となり、滝となり、龍となっていくその様は、ただの風景などではなく、もはや宗教観や世界観まで感じさせます。それを、かつて試みて物議をかもした輪郭を持たない「朦朧体」の技法をはじめ、さまざまな技法を駆使して描くことで、霧に霞む風景や、水の飛沫を感じさせます。「日本画」黎明期を代表する大観が、水墨という古来の手法を用いつつ、世界に向かって発信していった作品。正に、「重要」というに相応しい一作です。

一方で、かなりの挑戦作であったとされるのが今村紫紅の「熱国之巻」。
ビビッドな色彩で描かれる熱帯の国々の風景。海にかかる鮮やかな虹には、金砂子が散り、異国情緒あふれる人々の、生き生きとした様が描かれています。

いつまでも眺めていたくなる、明るく楽しい作品だなあ…というのが、現代を生きる私の感想なのですが、どうやら当時は少々、違ったようで…

近代数寄者の一人で、美術コレクターでもある原三渓は、この作品のための旅費をはじめ、今村紫紅を支援してきました。それで、この作品を入手したそうですが、作品について、「余り気持ち好からず候」と、書き残していたそうです。三渓は、古美術についても造詣が深い人物で、独自の審美眼を持っていました。彼は紫紅を高く評価していたからこそ、支援をしてきたのですが、その彼をもってして「どうした紫紅?」と思わせるほど、意外な作風だったのかもしれません。

同じ時代であっても、「日本画の因習的制約を打破って」と高く評価する方もいたようで。正に、「問題作」だと言えるでしょう。
現代の「日本画」が、幅広く様々な表現を手に入れることができているのは、こうした紫紅のような試みの積み重ねがあればこそ。そう思うと、「重要文化財」というに実に相応しい作品と言えるのではないでしょうか。
「洋画」という表現
「洋画」という概念もまた、近代に入って日本が得たものでしょう。油彩の絵の具を使って、新たな表現を模索した画家たちの奮闘が見えてきます。
今回の「重要文化財」の中には、洋画の手法を使って、日本の伝統的な画題に挑戦した作品も多くありました。

その一つ青木繁の「わだつみのいろこの宮」は、何とも幻想的な一作。「古事記」の海幸彦、山幸彦の物語をベースとして、山幸彦が海神の娘である豊玉姫と出会う場面を描いたもの。赤い衣の豊玉姫と、白い衣の侍女と、山幸彦の姿です。
古来、伝わる日本の神話の一場面なのですが、洋画と言う手法によって、どこか、ギリシア神話など、海外の物語の一場面のようにも見えてきます。だからこそ、世界と日本の間に通底するものが見えもし、また同時に、違いも分かる気がします。

そして、「洋画」の展示の最後にやって来るのが、萬鉄五郎の「裸体美人」です。これはもう、現代の私たちが観たとしても分かる「問題作」なのではないでしょうか。
萬鉄五郎は、明治18年生まれで、この作品が描かれたのは明治45年。すっかり開国されてから生まれ、先輩たちがかつての「日本」的な芸術との葛藤を乗り越えた後だからこそ、描けた作品なのではないだろうか…などと思ったり。同時に、マティスやルオーなどのフォービズムの影響を強く感じさせる作品です。これが、萬の卒業制作であったそうです。
なかなかのパワーを感じる意欲作なのですが、当時、西洋画科の卒業生19人のうち、16位であったとか。
でも、何となく、描いた当人はすごく満足していたのではないかしら…と、勝手に想像してしまいます。それくらい、迷いなく力強い作品です。
この頃になると、既に、世界の絵画の潮流の中に、日本の美術もあるのだということを感じさせます。
一体に込められた物語

これは、もう国宝ではないの?まだ、重文だったの?と、思わず言いたくなってしまうのが、高村光雲の「老猿」。
まだ、東京が江戸と呼ばれていた時代。仏師の徒弟となった光雲ですが、その後、時代は明治へ。「神仏分離令」から始まる廃仏毀釈の波が時代を飲み込み、多くの寺で貴重な仏像が破壊されたり、海外に安く売り渡されたりしました。仏師として修行をしてきた光雲にとっては、正に受難の時であったでしょう。
それを越えた明治26年、アメリカで開かれたシカゴ・コロンブス世界博覧会に出品するために創られたのが「老猿」です。左手には、今しがた逃した鷲の羽を掴み、眼差しは、飛び去った鷲の行方を睨むように右上を見上げる。その姿は、動物でありながらも、深い悲哀と矜持を感じさせる、堂々とした佇まいです。そこには、仏師として培われてきた独自の宗教観や、世界観がにじみ出ているように感じられます。
当時、博覧会の「彫刻」部門では、大理石か青銅に限られていたとか。それを日本側の交渉によって木彫や乾漆を認めるに至ったとか。そして、この作品は内外の評価を博した名作でもあります。
現代でも、日本国内の仏師の作品が国内外で高く評価されています。それもまた、こうして光雲が苦悩の時代を越えたからこそ、拓かれた道なのかもしれません。

そして、もう一作。彫刻で心に残ったのが朝倉文夫の「墓守」です。
朝倉文夫は明治16年生まれ。萬鉄五郎と同じく、日本がすっかり開国されてから美術の世界に足を踏み入れています。だからこそ、彼の眼には「かつての日本」よりもむしろ、「世界の潮流」が見えていたのでしょう。ロダンの影響も感じさせますが、そこから更に自らの表現へと昇華させていきます。
本作のモデルとなったのは、朝倉が学生時代からの顔見知りであった谷中の墓守の老人とのこと。ポーズをつけるのではなく、ただありのままの佇まいを写した作品は、当時、文展において最高賞の二等賞を受賞したとのこと。
この「墓守」の気負わぬ佇まいと柔らかい表情を見ていると、この墓守の老人が、どんな人生であったのか、思い巡らさずにはいられない。物語を感じさせます。
「わが国初期洋風彫塑が到達した写実主義の一頂点を示す」と評価され、2001年に重要文化財に指定されました。まさに、写実であり、だからこその深みを感じさせる作品でした。

他にも高橋由一の「鮭」に、鏑木清方の「築地明石町」(前期4/16まで)に……と、見たことがある名作がずらりと並んでいる、今回の「重要文化財の秘密」展。思いがけない作品が、意外と最近になって「重文」指定されていることに気付かされたりします。
まさに、「この作品があったから今がある」と思わされる、ターニングポイントを象徴する作品たちなのだということを、改めて知りました。
そして、音声ガイドはぜひ、使ってみて下さい。
声優の小野大輔さんが演じる「ヒミツ案内人」のクイズや、新井恵理那さんの解説を聞きながら見ると、意外な真相に気付けて、より一層楽しめます。
時々、同時代を生きる現代美術の作家たちの作品を見ながら、「素晴らしい!」と思うこともあれば、「ん?これってどうなの?」という問題作に出会うこともあります。でも、こうして今回の「重要文化財の秘密」を見ることで、「この不可解な作品は、或いは未来へのターニングポイントなのだろうか」……なんていう視点が生まれてきました。
これから更に、アートを楽しむきっかけにもなりそうな展覧会。ぜひ、お運び下さい。
