美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第21回「いろはの㋤」ナマズが語る、天下の大事を

安政2(1855)年、旧暦の10月2日。昼間は霧雨が時々降っていたが、夜には止んでいたという。そして午後10時ごろ、大地が大きく揺れた。
《須臾にして大厦高牆を傾倒し、倉廩を破壊せしめ、剰その頽たる家々より火起り、熾に燃上りて、黒煙天を翳め、多くの家屋資材を焼却す》
武蔵国江戸で中世から近世に起こった出来事をまとめた『武江年表』には、こんなふうに描写されている。「ほんのわずかの間に高い建物や塀が倒れ、穀物を入れておいた倉庫が破壊され、崩れた家から火が出て、多くの家や資材が焼けてしまった」のだ。
世に言う「安政の大地震」。後の検証ではマグニチュード7前後で、震央は荒川河口付近。死者は1万人を超えたという。《再度の振動を恐れて、貴人は庭中に席を設けてこゝに明し給ひ、庶人は大路に畳を敷き、戸障子をもて四方を囲ひ、しばらくこゝに野宿し、傾たる家はかりそめに繕いてこゝに憩ひたり》(『武江年表』)。江戸の街はまさに崩壊状態で、高貴な方々も下々の人々も仮住まいを余儀なくされたのだった。
この大地震の直後、地震の様子を報じる瓦版などが数多く出され、大いに売れたのだという。浮世絵も例外ではない。地震と言えば「地中の大ナマズが起こすもの」というのが古くからの俗信。それにちなんで地震に関わる様々な世相を、ナマズを題材にして描いた絵が大量に出版された。これを総称して「鯰絵」という。

江戸も末期のこの頃になると、「マスコミ」は相当に発達していたようだ。絵師はもちろん、専業ライターである読本作者もかなりの数、存在していたのである。その「マスコミ人」が直接体験し、見聞きした大地震。通常、浮世絵や版本は、お上の許可を得て出版されたのだが(ちなみに「瓦版」は非合法である)、「鯰絵」は許可を得ない「無改物」として出版された。非常時の非常事態。「正規の出版」よりも「何が起きているのかを知らせる」ことを優先したのだろうか。「江戸時代は時事的な話題、事件を直接的に描くことは禁じられていましたからね」と太田記念美術館の主席学芸員・日野原健司さん。だから、「『鯰絵』に絵師の名前、文章を書いた人の名前は記されていません」とも。とはいえ、仮名垣魯文、河鍋暁斎ら、そうそうたる面々が関わっていたようだ。
地震の被害、それに関わる世相を、「鯰絵」は様々な角度から描いた。どんなものか、ひとつ例を挙げてみよう。上の図版は、「鯰のかば焼大ばん振舞」と名付けられた一枚。鹿島神宮にまつられている「鹿島神」がナマズを蒲焼きにするところだ。
《地震は、地中深くにいる大鯰がのたうつことで起こり、鹿島神宮の要石が、地下でその頭部を押さえていると信じられていた。しかし神無月と称された一〇月は、全国の神々が出雲大社に集まる神議りの月と信じられ、鹿島神の不在から鯰が動き出したと考えられた》
2021年7月13日から9月5日まで国立歴史民俗博物館で開かれた特集展示「黄雀文庫所蔵 鯰絵のイマジネーション」の図録では、鹿島神宮と地震ナマズとの関係、安政の大地震との関連が、こんなふうに説明されている。鹿島神から叱責を受けるナマズたちの姿も数多く描かれているという。よく見ると、ナマズを料理する鹿島神の後ろには、「要石」と書かれている酒樽(?)がある。こんなふうに江戸の「マスコミ人」は、時にユーモラスに、時に皮肉たっぷりに、世相を斬っていったのである。

地震の後は色々な事が起こった。「瓢箪二二」では、大工や左官がニコニコしながら酒盛りをしている姿が描かれている。ナマズと一緒に踊っている輩もいる。崩壊状態になった江戸、その「復興景気」で潤った人たちもいたわけだ。世情や政治を批判的な眼で見た「鯰絵」も数多く残されている。川柳にいわく、「噺家は世情のアラで飯を食い」。「世情のアラ」で飯を食うのは、「噺家」だけではない。「鯰絵」を見ていると、江戸の「マスコミ人」たちは、たくましく、したたかに、「自分たちの伝えたいこと」を表現していたのだな、と思う。
「鯰絵」の主人公であるナマズは、次第にキャラクター化していき、「すちゃらか」を歌ったり、吉原を素見したりするようになる。先ほど紹介した「図録」を見ていると、芸者をはべらせて「大尽遊び」をしているナマズもいる。人間や動物をすぐにキャラクター化するのは、かの「鳥獣戯画」に遡る“日本の伝統”。そのキャラクターが一人歩きしていくのも、黄表紙本の時代から「ありがちな」ことだ。

「鯰絵」の流行は、そう長くは続かなかった。地震発生から1か月後の11月2日には、読売・風説取り締まりの「町触」が出され、お上が「違法出版」を厳しく取り締まるようになったのである。地震をルポした『安政見聞誌』は発禁となり、版元も「所払い」の処罰を受けた。これらの動きに呼応するように、「鯰絵」のブームも約2か月で終わったのである。とはいえ、その間に残された「鯰絵」は200種類を超える。天災への怒り、被災の悲しみ、逆境を笑い飛ばす庶民の力強さ……その数々を眺めていると、江戸のリアルが胸に迫ってくるのである。
(事業局専門委員 田中聡)
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。