美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第20回「いろはの㋧」――ネコも歩けば…イヌも歩く

江戸後期から幕末にかけて活躍した浮世絵師・歌川国芳は、大のネコ好きだったという。
《彼の画室には、猫が我もの顔にのさばっているのが常であって制作のとき、いつも数匹を懐に入れ、話しかけたりしていたそうである》。美術史研究家の辻惟雄氏は著書『奇想の系譜』の中でこんなふうに書いている。そこに挿絵として添えられているのが、下の画像、河鍋暁斎の『暁斎画談』だ。七歳の暁斎が国芳の「画塾」に入門した当時の様子を描いたものだが、「先生」である国芳は懐にネコを抱きながら、暁斎らしい少年に筆を持って絵の手ほどきをしている。その文机のすぐそばには、2匹のネコが思い思いの格好でくつろいでいるのである。
国芳のネコ好きは、作品にも現れている。まるでアクセサリーのように画面に登場するのが美人画だ。例えば上の画像の「山海愛度図絵 えりをぬきたい」。襟を抜いて白粉を塗っているのだろうか。玄人っぽい女性のそばで、うにゃうにゃとネコたちが戯れている。

江戸の人々は、現代の私たちと同じくペットとして動物を飼うのが大好きだった。「金魚を飼育するのがブームになったこともありますし、小鳥を飼うのが流行った時代もありました。『南総里見八犬伝』などの読本で有名な曲亭馬琴も、鳥を飼うことに凝ったことがありました」と話すのは、太田記念美術館の主席学芸員・日野原健司さんだ。中でも多く描かれているのがネコ。ちょうど太田記念美術館では5月28日まで「江戸にゃんこ 浮世絵ネコづくし」展が開かれている。ちなみに、すみだ北斎美術館では、葛飾北斎一門の鳥の絵を集めた「北斎バードパーク」を5月21日まで開催中。江戸時代、人々の暮らしは今よりも自然が豊かだった。身近にいた様々な動物たちは、格好のモチーフだったのである。

ネコと並んで登場することが多いのは、もちろんイヌである。「人間に近いところにいる動物だけに、親しみを込めて描かれています」と日野原さんは話す。奥方様、お嬢様など、お上品な女性たちとともに描かれることが多いのは、上に挙げた狆。毛がふさふさした小動物をセレブが飼っているというイメージは、現代のトイプードルやチワワなんかにも共通するものだろうか。まあ、街中にいるのは、もっとざっかけない庶民的な連中で、例えば下の歌川広重「江戸高名会亭尽 亀戸裏門」を見てみると、白と茶色、3匹のワン公が料理屋とおぼしき店の前でたむろしている。野良犬かもしれないが、割とぷくぷくしていて、そんなに「暮らしに困っている」わけではなさそうだ。「野良犬はしばしば描かれているのですが、あまり苛められているようには見えません。『生類憐れみの令』を置いておいても、浮世絵の中の江戸の庶民は動物たちに優しかったようですね」と日野原さんはいう。

浮世絵に登場するのは、リアルな動物たちだけではない。妖魔として、神仏の使いとして、あるいは擬人化されて、様々な形で描かれる。『猫絵十兵衛 御伽草紙』という作品で現代の漫画家、永尾めるさんが描いているのは、鼠よけに蔵などに張る「猫絵」を生業にしている十兵衛さんが化け猫らとともに遭遇する奇談の数々。こういう絵を売り歩く人々も実際にいたようだ。下の「流行三ツびやうし」にはトラとガマ、それとキツネが擬人化されて「虎拳」をしている様子描かれているが、キツネはとても鼻が高いし、ガマは何だかどっしりしているし、何だかとても特徴的な姿をしている。これにはちょっと理由がある。
「老中水野忠邦が推し進めた『天保の改革』(1841~43)で、浮世絵に歌舞伎役者や遊女、芸者を描くことが禁じられたんですね。だから、こういうふうに動物の姿に託して、役者の姿を描くアイデアが生まれたのです」と日野原さん。鼻が高いのは、六世松本幸四郎だろう。恰幅の良いガマは四世中村歌右衛門、トラは二世市川九蔵(=六世市川団蔵)、いずれも当時の人気役者だと思われる。「禁制」の網を逆手にとって、絵師たちは様々な工夫を凝らしたのだ。「ガマの歌右衛門」はちょっとユーモラスで、国芳もその雰囲気が気に入ったのか、その姿の作品をいくつも残している。

化け猫などの怪物や鵺などの想像上の動物も浮世絵には多数描かれるが、それはまた別の機会に紹介しよう。もうひとつ、江戸末期に大流行したジャンルに「鯰絵」があるが、それもまた、㋤の回で詳述しよう。とにかく江戸の人々は、何事もキャラクター化するのが好きだった。動物たち、とりわけネコは東海道を旅したり、蹴鞠をしたり、役者のまねごとをしたり……浮世絵の中で大忙しなのである。
(事業局専門委員 田中聡)
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。