美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】第18回「いろはの㋞」――それはどなたの「仕事」ですか?

喜多川歌麿「江戸名物錦画耕作 画師・板木師・礬水引」の中から「画師」(東京国立博物館蔵)

喜多川歌麿に「江戸名物錦画耕作」という作品がある。三枚続きの大判錦絵で浮世絵の制作過程を描いたものだ。2組で「画師・板木師・礬水引」と「摺工・店先・新板くばり」の合計6図に分けられている。上と下に挙げたのは、その中の「画師」と「板木師」だ。「画師」では、文机で頬杖を付いている絵師の前で版元らしい人物が絵を眺めている。この絵がヒット作になるかどうか、考えているのだろうか。「板木師」はまさに彫師の仕事場。手前の人物は小刀を研いでいるし、後ろの人物は木槌でのみを打っている。中央の人物が「親方」のようである。

喜多川歌麿「江戸名物錦画耕作 画師・版木師・礬水引」の中から「版画師」(東京国立博物館蔵)

一連の絵を見てもらえれば、分かるように浮世絵の制作は、完全に分業化されていた。「絵師」「彫師」「摺師」と制作過程が分かれており、さらにそれぞれの過程が工房になっていたのである。何を出版するかを決めるのは、プロデューサーである「版元」の仕事。その依頼に基づいて、絵師が下絵を描いた。「歌川国貞(三代豊国)ぐらいの大物になると、自分で何枚かサンプルの絵を作って、版元にその中から何を出版するかを選ばせるということもありました」と言うのは、太田記念美術館の主席学芸員・日野原健司さん。上に挙げた「画師」の態度を見ると、ひょっとするとここに描かれているのは、そういう「大物」かもしれない。絵師が描いた版下絵に基づいて、彫師が版木を作り、それを摺師が摺っていく。完成した錦絵は絵草紙屋の「店先」に並べられ、そこでお客さんたちの手に渡る。

それらの作業を一枚にまとめたのが下の絵、国貞の「今様見立士農工商 職人」だ。右上から絵師、彫師、摺師などの仕事ぶりが描かれている。中央の刷毛を持っている女性が紙に塗っているのは、絵の具がにじむのを防ぐための「礬水」という液体。その隣の女性が「礬水」を塗った紙を干している。これが「礬水引」という作業。液体がなじんだ紙を使って、摺師は浮世絵を摺っていくのである。

歌川国貞(三代豊国)「今様見立士農工商 職人」(メトロポリタン美術館蔵)

「現代でも、売れっ子の漫画家はアシスタントを使うのが普通になっていますよね」と日野原さんはいう。「そのアシスタントも、人物担当、背景担当と分業化されるケースもあると聞いています。浮世絵の制作も同じようなイメージで捉えてもらっていいのではないでしょうか」。下の絵は、明治の絵師、細木年一が描いた「錦絵製造之図」。ここでも「礬水引」の様子が描かれており、その手前で「摺り」の作業が行われている。刷り上がった錦絵を梱包している姿もあり、歌麿や国貞よりもずっとリアルな雰囲気だ。ざんばら髪の男性と、髷を結った男性が共存しているのも、明治初期という時代の空気を感じさせて、ちょっと面白い。

細木年一「諸工職業競 錦画製造之図」

しかしまあ、歌麿や国貞の絵を見て思うのは、「江戸時代の浮世絵は、女性を描くのが好きだなあ」ということだ。男性中心だった浮世絵の世界、絵師や彫師、摺師の工房に「女性がいなかった」ということはなかったにしても、「すべてが女性」の工房は存在しなかったはずである。むしろ、年一が描いた「男ばっかり」の状態の方が普通だったはずだ。

だけど江戸の浮世絵で、こういう状況の絵を描くときは、働いている人間を「女性」とすることが多いのである。「いろは」の「は」で紹介した「見立て」や「やつし」の絵を思い出してみて下さい。中国の仙人も『三国志』の劉備や孔明も女性の姿になって、錦絵の画面に登場していたではありませんか。「まあ、むくつけきオジサンを描くよりは、華やかに見えていい、と思っていたのかもしれませんね」と日野原さんも笑いながら話す。

何でもかんでも画面に登場するキャラクターを「女体化」してしまう江戸の浮世絵。何となくそこには、現代の「ウマ娘プリティーダービー」などと同様の感性を感じてしまう。ちなみに「女体化」と同時に浮世絵でよく行われていることは「動物の擬人化」で、これもまた現代のアニメや漫画に見られがちだ。「いろは」の「は」でも書いたが、実は日本人の感覚は、今も昔もさほど変わっていないのではないか。「ヲタク文化」の基盤をなす感覚は江戸時代から綿々とつながっている、と思ったりもするのである。

(事業局専門委員 田中聡)


美術展ナビ×太田記念美術館コラボ企画【いろはde浮世絵】
江戸時代、日本を代表するポップカルチャーだった浮世絵。マネやゴッホなど西洋の画家たちにも影響を与え、今や世界に誇る日本文化のひとつ、とまで言われている。そんな浮世絵の「いろは」をいろは47文字に併せて学んでいくのが、この連載。浮世絵を専門に収集・研究・展示している太田記念美術館(東京・原宿)と美術展ナビのコラボレーション企画だ。